鳳凰座の聖闘士の怒りの拳が 白い大地に作る巨大な窪地の数が増えている。
瞬の兄に反撃するわけにもいかず、間髪のところで仲間の拳を避けながら 逃げ惑っている白鳥座の聖闘士。
今の鳳凰座の聖闘士と白鳥座の聖闘士の念頭には、地上の平和も アテナへの忠誠も存在していないに違いない。

アテナの聖闘士たちの 大義も何もない見苦しい戦いを、冥界の果て、至福の園エリシオンから眺めながら、死を司る神タナトスと 眠りを司る神ヒュプノスは 妙に力の抜けた溜め息をついていた。
「我等は、あんな輩に勝てずにいるのか」
そう思うと、神話の時代から続く アテナとハーデス、聖域と冥界による聖戦が 空しく馬鹿げた戦いに思えてくる。
それも これも、人間が“愛”などという くだらないものに支配されているからなのだ。
愛とは 何と面倒で厄介なものであることか。
愛の力の前には、冥府の王ハーデスの力も、知恵と戦いの女神アテナの力も無力。
タナトスとヒュプノスには そう思えてならなかった。

「まあ、そう投げ遣りになることもあるまい。あの壺の封印は、我等が へたな画策をしなくても、封印の時から243年が経てば無効になることになっている。それまで、あと僅か2年だ。2年経てば、ハーデス様は復活なされるのだ。その時には、今度こそハーデス様とアテナの聖戦にも決着がつくだろう。おそらく」
落胆しているタナトスに、珍しく優しく、ヒュプノスが 慰めの言葉をかける。
タナトスの心は、しかし、そんな言葉ごときでは 少しも慰められなかった。
「あの ひ弱なガキの肉体を魂の器にして、か? 我等は あのガキの魂や心を汚すことにも失敗したような気がするんだが」
「そうだな。だが、それも2年後には わかる」

すべては2年後。
あと2年の時が過ぎれば、また聖戦が始まる。
その時間は、永遠の命を与えられている神にとっては、瞬きをするほどの短い時間である。
その分 アテナと聖域に戦いの準備期間を与えることになるが、愛という厄介な代物に邪魔されて こうなってしまったからには致し方がないだろう。

「それにしても――本当に あの薬は キグナスに全く効いていなかったのか」
「瞬が薬を使う前に、キグナスは愛の魔法にかかってしまっていたようだったからな。薬が多少は力を発揮していたのだとしても、魔法というものは 先にかかったものの方が優先するものだ。そして、あとから かかった魔法が解けても、最初にかかった魔法は解けない」
「何が愛の魔法だ!」

隙さえあれば、人間の心の中に忍び込み、その心を支配しようとしている“愛”という魔法、“愛”という力。
それさえ なければ、神話の時代、最初の聖戦が起こった時に、地上世界は冥府の王の手に落ちていたのではないか。
冥府の王の真の敵はアテナではなく、聖戦の真の勝利者は ハーデスでもアテナでもないのではないか。
これまで 決定的な決着がつかないまま繰り返されてきた(ことになっている)聖戦は、実は そのたびに“愛の勝利”という決着を見てきたのではなかったのか。
タナトスは今、なぜか そんな気がしてならなかった。






Fin.






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