互いに互いが どういう人間であるのかを すっかり わかり合っている二人。
よほどの不手際がない限り、氷河と瞬の間の誤解は 速やかに解けることになるだろう。
そうして、誤解の解けた二人が親交を持つようになり、親しさを増し、最終的に くっついてくれれば、二人に気のあるアテナイの男と女たちは 叶いそうにない自らの希望を諦め、自分の隣りにいる他の女(もしくは男)に目を向けるようになるに違いない。
それが 多少なりともアテナイの少子化問題解決の糸口になってくれたなら、星矢と紫龍の仕事は無駄ではなかったことになる――苦労が報われる。
女神アテナも、彼女の部下たちの働きを認め、ねぎらってくれることだろう。
――そんなことを語り合いながら、星矢と紫龍は 徒歩で てくてくと瞬の屋敷に向かったのである。
十中八九、氷河と瞬の間の誤解は解けるだろうと思っていたが、万一の時には 二人を仲介する人間が二人の側にいた方がいいだろうと考えて。

あまり早く着くのも よろしくないだろうと気を利かせ、わざと のんびり歩いて(とはいえ、所詮は 徒歩で歩けるほどの距離、さほどの時間はかからなかったのであるが)星矢と紫龍が瞬の屋敷に到着した時、瞬の屋敷の庭では、その建物と庭の維持管理を任されている下働きの男が、氷河が乗り捨てた馬の興奮を静めようと四苦八苦していた。
どうやら庭に置いてある檻の中のライオンがかもし出す肉食獣の気配に怯えて、馬が暴れ始めたらしい。

「あー……、手間かけさせて悪いなー」
「明日には、この庭の動物たちは 皆、聖域に移動させるようにする」
と下男に声をかけ、屋敷の中に入る。
「氷河の奴、ちゃんと誤解を解けたのかなー」
勝手知ったる瞬の屋敷。
案内は乞わずに、二人は まっすぐに 屋敷の1階東側にある客間に向かった。
そして、その扉を開けようとして――星矢は、異変に気付いたのである。
客間の扉の向こうから洩れ聞こえてくる、肉食獣の唸り声と小鳥の鳴き声に。

「また動物の贈り物が届いたのかよ。今度は何だ? 豹か、ピューマか、チーターか? 鳥の方は やたらと か細い鳴き声だな」
庭は既に 動物たちで埋まっている。
更に増えた動物たちの置き場所に困って、瞬は ついに動物を屋内に運び入れるしかなくなったのだろう。
そう考え、呆れながら、星矢は客間の中の様子を確かめるために、その扉を開けようとした。
その星矢の手を、紫龍が押しとどめる。

「星矢。その扉は開けるな。その方が身のためだ」
「身のため? 危険な獣なら、檻に入れられてるだろ。遠方から時間をかけて運んできた動物みたいだし、聖域に運ぶなら、正体を確認しといた方がいいんじゃないか?」
遅れてやってきた贈り物が巨大で凶悪なヒグマだったりしたら、運搬には それなりの運搬車と屈強な運搬人が複数 必要になる。
そのためにも 運搬物が何なのかを確かめておいた方がいいに決まっている。
星矢は、紫龍の制止を訝った。
そんな星矢に、紫龍が顔を引きつらせて 首を横に振ってみせる。

「星矢。これは動物の唸り声や 小鳥の鳴き声じゃない」
「鳴き声じゃない?」
「まあ、動物の鳴き声ではあるかもしれんが」
嘆いているような、憤っているような、呆れているような、苦り切っているような――複雑怪奇な表情で、紫龍が、室内の音を よく聞くように、星矢に目配せをしてくる。
仲間の態度を訝りつつ 耳を澄ませた星矢は、まもなく 客間から洩れ聞こえてくる鳴き声の正体に気付き、息を呑むことになってしまったのである。

「あ……ああ……氷河、僕、もう駄目……」
「まだだ」
「そんな……もう 無理っ、あっ、あっ、ああ……っ!」
「もう少し、我慢しろ」
紫龍の言う通り、それは 確かに動物の鳴き声だった。
プラトンが『二足歩行する毛のない動物』と定義し、アリストテレスが『ポリス的動物』と定義し、プロタゴラスが『万物の尺度』と定義した動物の。
捕えた獲物に食らいつき、今 まさに飢えを満たそうとしている肉食獣の荒い息と、飢えに殺気走った肉食獣の爪と牙に捕えられ、彼の血肉になろうとしている小動物の歓喜の鳴き声。

「誰が草食系だと?」
星矢の、低い――地を這うように低い呻き声での疑問文は、答えを期待してのものではなかっただろう。
瞬の誤解を知った氷河が瞬の許に向かってから、馬が飼い葉桶一杯分の草を食べ終えるほどの時間しか経っていない。
奥手、不器用、草食系男子の疑いをかけられていた男は おそらく、この屋敷に着いて 瞬に会うなり、瞬に飛びかかっていったのだ。
そして、瞬は、飢えた肉食獣の凶暴な爪と牙を歓喜して受け入れた――。

「何が草食系男子だ……! 氷河が氷河なら、瞬も瞬だぜ!」
星矢が、再度、低い呻き声を洩らす。
これは 期待していた通りの展開。
望んでいた通りの展開である。
決して腹を立てるようなことではないのだが、紫龍は、星矢の怒りも わかるような気がしたのである。
奥手なのか、未熟なのか、あるいは その不器用無愛想は 女にもてすぎた弊害なのか、はたまた 彼は生まれついての草食系男子なのか――。
散々 やきもきし、心配し、橋渡しの労を取ることまでした草食系男子が、実は とんでもなく凶暴で貪欲な肉食獣だったのだから。

「ま……まあ、これでアテナイの少子化問題も解決に向かうだろう。俺たちもアテナに雷を落とされずに済む。……多分、おそらく」
紫龍のその言葉は、星矢の怒りを鎮めることに成功したのか。
そして、アテナイの少子化問題は解決したのか。
古代ギリシャ文明は、数ある古代文明の中では突出して多数の資料文献が残っている文明なのだが、残念ながら その記録は残っていない。






Fin.






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