冬が来ると気分が沈む病気があるという話は 聞いたことがあった。 日照時間が短くなることが人間の心身に影響を及ぼし、メラトニンの分泌が過剰となるせいだとか、セロトニンの分泌が減少するせいだとか。 自分は そういう病に侵されているのかもしれないと、氷河は思ったのである。 深まる秋。 氷雪の聖闘士のシーズンとも言える季節に向かって 時は歩みを進めているというのに、秋が深まるほどに自分の心が 暗く沈んでいくのは、病のせいだというのでもなければ説明がつかない。 ただし、自分が迎えようとしている冬は、ある1年のうちに巡ってくる冬ではなく、氷河という男の人生の中にある冬という季節であるに違いない。 そう、氷河は思ったのである。 自分の人生の これまでが、春であり、夏だったのだ。 春、仲間たちと出会い、夏、彼等と命をかけた戦いを共に戦った。 その戦いの中で、本来は敵として出会うべきでなかった者たちに 敵として出会い、本来は戦うべきでなかった者たちと戦い、彼等の命を奪った。 そのたび 傷付き、苦しみはしたが、季節が夏だったために、自分の心は何とか持ちこたえることができていたのだ。 だが、今、季節は秋。 時は、冬に向かって着々と その歩みを進めている。 だから、これまでは何とか耐えることができていたことに、自分は耐えられなくなりつつあるのだ――と。 一人の人間が人生の冬を迎えた時、その人間が再び 生き生きと自分の命を生きることを始めようと思ったら、その人間は いったん死ななければならないだろう。 冬に一度 死に、その後 新しい命を得て 生き返り、新しい命を持つ者として春を迎え、新しい人生を生き直す。 それが、命の自然な営みというものなのだ。 命を再び生きるためには、一度 死なければならない。 だらだらと秋を やり過ごし、死の時を待つようなことは、できれば したくない。 死の時までの時間を、緩慢な生――あるいは それは緩慢な死なのか――で費やすようなことはしたくない。 古い命に しがみついて 残滓のような生を生きるより、潔く死んで、早く新しい命を生き直したい。 そうして、今度こそ、罪も後悔もない美しい人生を、歓喜に満ちた人生を築くのだ。 氷河はそう思った――否、そうすることを決意したのである。 だというのに。 “潔い死”というものを手に入れることは、アテナの聖闘士には容易なことではなかった。 アテナの聖闘士である氷河は、敵に倒されるわけにはいかなかったのだ。 それは、地上の平和を守るという義務を 白鳥座の聖闘士が果たせなかったということ、アテナの聖闘士には最も不名誉なこと、最悪の死だったから。 |