「あの男、この間、冬囲いの下見のために 城戸邸の庭の業者が入った時、臨時雇いの助手として来ていた雑用係の一人だったそうだ。あの時、瞬に親切に応対してもらって、勝手に自分に気があるんだと思い込んだらしい。ここのところ毎日 城戸邸の周りをうろうろしていたとか。いわゆる、ストーカーだな。おまえより(たち)の悪い病人だ」
瞬が かすり傷の一つでも負っていたら、氷河は 瞬の側を離れることなど 思いつきもしなかった。
瞬が被った被害が 上着一枚だけだったので、氷河は かえって瞬に会わせる顔がないと、それこそ対人恐怖症の人間のように 自室に閉じこもることになってしまったのである。
瞬が あんな目に合ったのは、瞬の気を引くために 自分がついた嘘のせいだと 思わないわけにはいかなかったから。

そこに やってきた紫龍の説明は、事件の根本原因は氷河の嘘ではないことを知らせるものだった。
とはいえ、だからといって、紫龍に 氷河を責めるつもりがないわけではなかっただろう。
彼は、氷河を慰めるために 氷河の許にやってきたのではなく、ただ 事実を知らせるためだけに そこに来たのだ。
実際、紫龍の説明を訊いても、氷河の心は晴れなかった。
その胸中に、自身の分の後悔と反省とは別の怒りが生まれただけで。

「瞬が自分に気があると思い込んだ? あのご面相で、どうして そんなふうに うぬぼれることができるんだ!」
「おそらく、自分を見ずに、瞬だけを見ていたんだろうな。自分を好きなはずなのに、金髪の男なんかと歩いている瞬を見て、裏切られたと思い、かっとなった――と言っているそうだ。本当に切りつけるつもりはなかったと」
「切りつけるつもりがなくて、剪定バサミなんか持ち歩くか!」
「銃刀法違反には 刃渡りが足りないものだったらしい。瞬を脅して、いろいろ迫るつもりだったのかもしれんな。本物の病人のすることには、常人には理解できないものがある」
『おまえは偽物の病人なのだから、理性も まともな判断力もあるだろうな』と 言葉にはせず、紫龍が氷河に問うてくる。
もちろん、氷河には理性も まともな判断力もあった。
本物の病人が現われるまで、氷河は それを どこかに置き忘れてしまっていたのだが。

「俺は瞬に守られたいんじゃない。瞬を守りたいんだ」
氷河が、低く 呻くように言う。
「それが わかったなら、ストーカーも少しは いいことをしたことになる」
紫龍は 浅く氷河に頷いた。
「瞬に 本当のことを言う。謝りに行く」
「ストーカー襲撃のショックで、治ってしまったと言えばいい。本当のことを言って、瞬を悲しませる必要はないだろう。自分の罪を告白して 楽になろうなどとは思わないことだ。瞬の気持ちだけを考えろ」

当事者でないせいもあるだろうが、紫龍は、氷河より はるかに良質の理性と的確な判断力を備えているようだった。
馬鹿正直は愚行だと言い切る紫龍の忠告に従うべきか否かを 少しく迷いながら、氷河は 今度こそ 本当に自身の病気を治すために 自室を出たのである。






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