それから10日後。 氷河は、彼が長らく 自らの心の内に秘めていた思いを、ついに瞬に告白したらしい。 そして、瞬は、その思いを受けとめ 受け入れたらしい。 グラード医科学ラボが開発した惚れ薬ケストス・ヒマスが城戸邸ラウンジのリビングボードの上に置かれた日から2週間後、15日目の早朝。 氷河が瞬の部屋から出てくるところを、星矢は、視力2.5の左右の目で しっかりと目撃した。 幸か不幸か、不幸か幸か。 それで 瞬にかけられた嫌疑は めでたく晴れたのである。 星矢と、星矢の報告を受けた紫龍は、やはり惚れ薬を盗んだのは氷河だったのだと確信することになったのだった。 長い片思い、報われない恋。 その苦しみに耐えられなくなった氷河は、賭けに出たのだ。 事態が こうなった今となっては、それしか考えられなかった。 「潔く 白状しろっ! おまえが 惚れ薬を盗んで、あの得体の知れないものを瞬に飲ませたんだなっ!」 「危険なことをしたものだ。いや、危険安全以前に、おまえのしたことは非人道的行為、人として許されない行為だ。人の心を薬で変えようなどとは」 長かった冬が終わり、ついに訪れた春。 烈火のごとく怒り狂った星矢と、人非人を見る目をした紫龍に糾弾されても、ついに瞬を我が物にした喜びが大きすぎるのか、氷河はまるで反省の色を見せなかった。 反省どころか。 氷河は、なぜ自分が仲間たちに責められるのか、まるで 訳がわからないというかのように、ひたすら ぽかんとしている。 手段は どうあれ、恋は成就させた者の勝ち――とでも、氷河は思っているのだろうか。 こうなったら 腕力に訴えてでも、氷河に悪行の報いを与えてやらなければならない。 そう考えた星矢と紫龍が、氷河に正義の鉄槌を下すべく 小宇宙を燃やし始めた時だった。 瞬が、 「星矢、紫龍、違うのっ! あの薬の壜を盗んだのは氷河じゃない。あれを盗んで隠したのは僕です。ごめんなさい!」 と訴えて、星矢たちと氷河の間に割って入ってきたのは。 「……」 一時は(ほんの数秒間だけ)その可能性を考えたことはあったが、結末がこうなのでは、窃盗犯は氷河でしかあり得ない。 そう判断して 氷河の制裁に取りかかろうとしていただけに、瞬の訴えは 星矢たちには 素直に信じられるものではなかった。 彼等が瞬の自供を真実のものと認めることになったのは、瞬の自供を聞いた氷河が 驚き戸惑う様子もなく、ただただ虚を衝かれたような顔をしていたからだった。 もし 瞬が氷河を庇って そんなことを言い出したのであれば、氷河のその反応は あり得ないものだったのだ。 氷河は クールでもないくせにクールぶりたがり、決して清廉潔白でもなく、少々 間の抜けたところもあったが、瞬に対してだけは 常に誠実であろうとする男。 自分の罪を瞬に負わせて平気でいられるような男ではない――絶対にない。 では、瞬の自供は事実なのだ――。 「なんで、おまえが……。おまえには惚れ薬なんか必要じゃないだろ」 瞬に問う星矢の声は、心なしか震え かすれていた。 瞬が、そんな星矢の前で力なく項垂れる。 「責めているのではないぞ。おまえと……その何だ。こういう仲になることは、氷河の望むところだったろうし。いや、それ以前に、おまえは 本当に 氷河に あの薬を飲ませたのか?」 何よりもまず、その点の確認をしなければならない。 紫龍が瞬に尋ねると、瞬は顔を俯かせたまま、首を横に振った。 「そんなことはしてないよ。そんなことをする つもりはなかった。僕はただ、氷河があの薬のことを気にしてたから……氷河に あんな薬を使うようなことはしてほしくなくて、だから 隠しただけ。あの小壜は 図書室の いちばん奥の書棚の本の裏に 置いてある。蓋も開けてない。氷河が他の誰かを好きになってしまうかもしれないのに、あの薬を氷河に飲ませることなんかできない……」 小さな声で 己れの罪を告解し 切なげに身悶える瞬の前で、星矢と紫龍は糾弾の声を失ってしまったのである。 『氷河に あんな薬を使うようなことはしてほしくなかった』 『氷河が他の誰かを好きになってしまうかもしれないのに、あの薬を氷河に飲ませることはできない』 それは、窃盗の罪の自供より はるかに重大な告白――まさに告白だったのだ。 瞬の(悪)趣味が理解できず、星矢が呆然とし、紫龍が唖然とする。 そこに登場したのは 彼等の女神――もとい、グラード財団総帥 城戸沙織だった。 四者四様の様子をしている彼女の聖闘士たちの前に 颯爽と登場した沙織は、実に残念そうに――悪びれる様子もなく、言ってくれたのである。 「なーんだ。氷河に盗ませて 瞬に飲ませてもらうつもりだったのに、飲ませてないの。ざーんねん」 と。 |