聖域の中心で愛を叫ぶ

- I -







「水瓶座アクエリアスの黄金聖闘士の氷河さんが クールな男と言われているのは、あの人が冷却系の技を使う聖闘士だからってわけじゃないんだぞ」
と、おやっさんは言った。
『cool』――『冷静』『冷淡』『格好がいい』。
確かに、アクエリアスの黄金聖闘士は そのすべてを兼ね備えている。
でも、あの人は それ以上に『冷酷』で『冷徹』で、もしかしたら虚無主義者の気もあるのかもしれない――と。

「聖域に来て 最初の仕事が宝瓶宮の修繕だなんて、おまえは ついていない奴だ」
そう言って、多分 年齢じゃなく ギリシャの強い陽射しと 仕事への責任感が深くしたんだろう皺を寄せて、おやっさんは 人好きのする笑み――苦笑だったが――を その顔に浮かべた。
毎日 ノミや金槌を持つ手は武骨で、いかにも職人の手。
歳は60に届こうとしているんだと思うが、身体は30代と言っても通りそうなくらい、たくましく引き締まっている。
おやっさんも、若い頃は 大望を抱いて、この聖域にやってきたんだろうか。
だが、その望みは叶わなかった。
それでも おやっさんが聖域に留まり続けたのは なぜなんだろう。
俺は そんなことを思い、青く晴れ上がった空の下で 少し しんみりした。
すぐに、今は そんな感懐に浸ってる場合じゃないってことを思い出したけどな。
この おやっさんでも なれなかった聖闘士。
その聖闘士たちの頂点に立つ黄金聖闘士。
その黄金聖闘士が冷酷で冷徹で――って 話を聞かされて、聖域に職を得たばかりの ペーペーの俺は、大いにびびったさ。

聖域ってところは、普通の観光地でもないし、普通の遺跡でもないし、普通の建設現場でも 普通の石切り場でもない。
もちろん、普通の会社でも、普通の役所でもないってことは 聞いてたけど、俺は聖域に職を得たあとに もらえる給金のことしか頭になくて、そこにいる人間のことなんて ろくに考えてもいなかったから。
というか、それまで普通の石切り場で 毎日 切り出した大理石の運搬の仕事をしていた俺は、聖域で働けば これまでの5倍の給金をもらえると聞いて、聖域での仕事が どんなものなのかも ろくに確かめずに、聖域に来ることを決めたんだ。
俺には金が必要だったから。
多少 ヤバい仕事でも構わないとさえ、俺は思っていた。

聖域に来た俺に仕事の指図をしてくれることになった おやっさんに そう言ったら、おやっさんは呆れた顔をして、それでも親切に 聖域のあれこれを俺に教えてくれたから、俺も 今では 聖域がどういうところなのかってことだけは わかってるけど。
ま、一言で言えば、聖域っていうのは、ファンタジーの世界だな。
知恵と戦いの女神アテナが統べる 正義の味方の拠点。
そこには、女神アテナと、彼女に従う聖闘士たちがいて、地上支配を目論む邪神と戦ってるっていうんだから、これがファンタジーでなくて何だっていうんだ。
『聖域っていうのは テーマパークみたいなものなのか?』って、おやっさんに訊いたら、俺はおやっさんに 手加減なしで 頭を殴られた。

聖闘士っていうのは、常人には持ち得ない優れた身体能力と強力な戦闘能力を持つ戦士のことで、黄金聖闘士、白銀聖闘士、青銅聖闘士の位がある。
もちろん、黄金聖闘士が いちばん強くて偉い。
で、聖闘士は 小宇宙とかいう不思議な力を原動力にした特殊な技を繰り出して、銃や大砲でも倒せないような敵を倒す。
そして、地上の平和を守る。
そんな聖域に 金目当てでやってきた俺みたいなのは、かなり珍しいらしい。
大抵の奴等は――特に 若い男は――(少なくとも建前では)聖闘士志願。
俺は『金のために聖域で働きたい』と言って 聖域に入ることが許された最初の人間なんじゃないかって、おやっさんに言われた。

とにかく、12人いる黄金聖闘士は、聖域では皆の憧憬の的。
地上の平和と正義を守るために戦う正義の味方で、しかも 地上で最も強い戦士となったら、まあ、夢見がちな少年たちが黄金聖闘士に憧れるのは当然のことなのかもしれない。
俺は そんな夢なんか見ないで、地に足をつけてるけどな。
“仕事”なんかしたくない、そんなことをしている暇があったら 聖闘士になるための修行をしたいと、俺と同年代の若い奴等は言う。
けど、俺には 奴等の気持ちが全く わからない。
聖闘士になるための修行だか何だか知らないが、実戦訓練だの、訓練じゃない実際のバトルだの、そんなのは まるで生産的じゃない。
怪我や落命の危険だってあって、危ないじゃないか。
俺は、安全で地道な仕事の方をしていたいし、そのつもりで聖域に来たんだ。
なのに――。

その最初の仕事が、冷酷で冷徹な黄金聖闘士が守護する宝瓶宮の修繕――っていう、危ない仕事。
前途が思いやられると、俺は胸中で盛大に舌打ちをすることになったんだ。
何でも、この聖域では、かなり前に 激烈な戦いがあったとかで、聖域にある12の宮と教皇殿は その際の損傷個所が多く残っているらしい。
損傷個所が深刻化する前に さっさと修理修繕しておけばよかったのに、戦いの記憶を留めるために 宮に残った損傷を そのままにしておきたいなんて阿呆なことを言う奴がいて、アクエリアスの氷河も その一人。
でも、そろそろ 本気で修繕しないと宮自体が倒壊しかねないと説得して、今になってやっと 宮を修繕することを承知させたんだそうだ。
で、俺は その仕事の手伝いをすることになったんだけど、作業に取りかかる前に、宝瓶宮の主である水瓶座アクエリアスの氷河が いかに危険な男かってことを、おやっさんが俺にレクチャーしてくれたわけ。

黄金聖闘士なんて、ただでさえ強くて恐い。
人間以上 神未満の存在。
へたに機嫌を損ねると命の保障はない。
特に宝瓶宮の黄金聖闘士は 要注意人物――危険人物。
絶対に刺激するな。
何を言われても、まず『はい』と応じること。
仕事の前準備をしながら、おやっさんは 水瓶座の黄金聖闘士の傾向と対策を、俺に くどいくらい丁寧に教示指導してくれた。

そのレクチャーによると。
水瓶座アクエリアスの氷河は、一応、かなりの苦労人であるらしい。
最初から黄金聖衣を与えられたわけじゃなく、青銅聖闘士からの叩き上げなんだとか。
つまり、キャリア組じゃなく ノンキャリア。
エリートコースに乗って、今の地位を得たわけじゃないんだ。

聖域の聖闘士の最高位は、もちろん 黄金聖闘士だ。
黄金聖闘士になれば、聖域に守護する宮――黄道十二宮に即した宮の一つ――を与えられる。
その時々に 地上世界で12人しかなることができないわけだから、世界に200ヶ国近くある国家元首になるより狭き門。
聖域は、代表取締役社長のアテナと、代表権のない取締役である黄金聖闘士12人が 経営している特殊法人のようなものだ。

で、一人の人間が黄金聖闘士になるには、その昇格・昇進に2つのパターンがある。
一つは、生まれながらに 誰にも追随できないほどの 傑出した才能に恵まれ、それゆえに、大した修行を積むこともなく、若いうちに黄金聖衣に選ばれて黄金聖闘士になるパターン。
いわゆる天賦の才パターンだな。
キャリア組、エリートコース。
もう一つは、聖闘士以前の候補生から修行を始めて、努力を重ね、実戦を重ね、実力を蓄えて、雑兵から青銅聖闘士、白銀聖闘士、そして黄金聖闘士へと地位を上げていくパターン。
こっちは努力型・叩き上げパターンで、ノンキャリアの非エリートコース。
その二つのうち、アクエリアスの氷河は後者の道を辿ってきた黄金聖闘士らしい。

でも、おやっさんが言うには、現在の射手座、天秤座、乙女座と水瓶座の黄金聖闘士は全員が叩き上げパターンで黄金聖闘士になった非エリートコース組だけど、歴代最強と評されてる人たちなんだとか。
あ、あと もう一人、歴代最強メンバーがいるんだけど、その男は滅多に聖域に寄りつかなくて、聖域勤続30年超のおやっさんも まだ会ったことがないそうだ。
その歴代最強メンバー全員が、ただの聖闘士候補から青銅聖闘士になり、黄金聖闘士になった。
白銀聖闘士は飛び級したらしいけど、ともかく天賦の才に恵まれて黄金聖闘士になったわけじゃないんだ。
それが、今 この聖域にいる聖闘士志願の奴等の希望になってる。
つまり、生まれながらの才能に恵まれていなくても、誰でも努力次第で強くなれる、努力次第で上に上がれるんだ――ってな。

現在の射手座、天秤座、乙女座と水瓶座の黄金聖闘士(+1)の歴代最強メンバーは、全員が同期で同輩で同年代で、同じ国(日本)出身(アクエリアスの氷河はハーフだそうだが)。
多分、その時代、その場所に、強い聖闘士が集まる必要があったんだろうと、おやっさんは言った。
実際、女神アテナは 彼等と幼馴染み(神と幼馴染み!)だそうだから、それこそ 彼等が同じ時に同じ場所に集ったっていうのは、アテナが この聖域に君臨するために星が定めた運命――必然だったんだろうって。
その奇跡があったから、今の聖域があり、アテナがいる。
だから、アテナも彼等を特に厚遇しているんだそうだ。






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