石切り場で傍若無人を働いていたのは、ある有力な神の手下――だったそうだ。
その有力な神は、今のところは地上世界の侵略を目論んではいなくて、ただ自分の新しい神殿を 最高級の大理石タソスホワイトを使って建造しようとしていた(だけ)だったらしい。
それなら、聖域が おやっさんを この島に派遣したみたいに 普通に石を買い付ければよかったのに、たまたま その有力な神が泥棒の守護神だったせいで、彼は 立場上 そうすることができなかったようだ――と、瞬さんは俺に教えてくれた。
瞬さんと氷河が身に着けているのは、二人が黄金聖衣を授かる前に着用していた青銅聖衣で、瞬さんが滅多に乙女座の黄金聖衣を その身にまとわないのは、そのアンドロメダ座の聖衣に愛着があって、乙女座の黄金聖衣より戦いやすいから。
「黄金聖衣は 戦闘用っていうより、儀式用っていう感じでしょう?」
と、瞬さんは笑いながら言った。

へたに隠す素振りを見せると かえって心配を募らせるだけだと判断したのか、瞬さんは そういったことを、俺の母さんのいるところで、母さんにも聞こえるように 説明してくれた。
瞬さんの言葉のどれだけを 母さんが理解できたのかどうかは、わからないけど。
でも、だから、俺も 家庭の事情を隠さずに、瞬さんたちの前で母さんを責めたんだ。
「どうして、町の家を出たんだ! 何かあった時、近くに人がいた方がいいに決まってるだろ!」
って。
「でも、あんな立派な家……おまえ、どこから お金を――」
母さんは、それを心配していたらしい。
多分、俺が よくない仕事、危ない仕事に手を出してるんじゃないか――と。
まあ、聖域は確かに危険な職場ではあるんだろうけど、聖域での仕事は どんな仕事だって、正義と平和の実現のために努める仕事だぞ。
瞬さんの前で、俺は少し 気まずい気持ちになった。
幸い、瞬さんは 気を悪くした様子は全然見せなかったけど。

「息子さんは、とてもよく働いてくれています。石の質を見極める目も、細工の腕も確かで、石に親しんできた人にしか持つことのできない技術を持っている。息子さんは、その技術に相応の報酬を受けているだけですから、お母様は 心配には及びませんよ」
「あなた――あなた方は……」
瞬さんが 醸しだす温かい空気のせいで、瞬さんの説明を受ける前に、実は母さんの不安は消えていたみたいだった。
氷河は、自分の小宇宙が どんな感じを人に与えるのかを心得てるみたいで、まるで借りてきた猫みたいに 小宇宙を抑え、大人しくしている。

「オパリオスさんと同じところで働いている、彼の友人です」
「オパリオスのお友だち?」
『友人』『お友だち』――ガキの頃から、俺の友だちは採掘場で働いている威勢のいい おっさんたちだけだったから、母さんは その言葉に驚き、心を安んじ、そして 喜んだ――みたいだった。
瞬さんに『友人』って言ってもらえた俺は、ひたすら驚き、畏れ入るばかりだったけど。

「ええ。それで 僕、実は ちょっとだけ温熱療法の心得があるんです」
そう言って、瞬さんが 母さんの手を取り、その小宇宙で母さんを包む。
今日 初めて会った人なのに、母さんは 恐れる様子も 怪しむ様子も見せず、瞬さんの小宇宙に心身を預けてた。
瞬さんの小宇宙に包まれてから数分後、母さんは、怪しんではいないけど 不思議そうに 僅かに首をかしげて、
「なんだか、目が見える……ような気がする」
と呟いた。

まさか そんなことがあるはずないって、俺は思ったさ。
角膜移植以外の方法では視力の回復は100パーセント不可能って医者が断言するくらい、母さんの角膜は損傷してしまっているんだぞ。
見えるようになることなんて、あるはずがないんだ。
「そんなことが、まさか――」
「でも、本当に、ぼんやりとだけど……」
母さんの言葉は本当みたいだった。
実際、これまで まるで光を反射してなかった母さんの瞳には、今は輝きと言っていいようなものが たたえられている。
母さんは迷わず俺の頭に手をのばして、俺の髪を撫でてくれた。
俺は母さんの目が見えなくなってから30センチ以上 背が伸び、母さんより20センチも背が高くなっていたのに。

「ごめんね。僕の力ではこれ以上は無理みたい」
瞬さんが 申し訳なさそうな目を俺に向けてきたけど、とんでもない話だった。
真っ暗な世界と、ぼんやりとでも 物の輪郭を把握できる世界では、地獄と天国とまではいかなくても、地獄と地上世界くらいの差がある。
「瞬さん……ありがとうございます! ありがとうございます!」
俺は 喜びのあまり、畏れ多くも黄金聖闘士の両手を取って――その両手を自分の手で包み、伏し拝まんばかりに幾度も 瞬さんに礼を言ったんだ。
氷河が何か言いたげに 一瞬 小宇宙を燃やしたのがわかったけど、どういうわけか氷河は その小宇宙をすぐに消し去ってしまった。






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