そう決めたのはいいけど。 二人は、クリスマス仕様の夜の街を歩いている。 常識で考えたら、どこかのビルから飛び降りるために 俺がビルをのぼってるうちに、この二人はどこかに行ってしまうだろう。 当然、俺の目的は果たされない。 それじゃあ、困る。 何かいい手はないかと考えながら、俺は二人の後を歩き続けた。 どっかのカフェに入って、通りに面した席でも着いてくれたら、俺は そのカフェが入っているビルの屋上に上がって、そこから飛び降りることができるのに、二人はなかなか歩くのをやめてくれない。 百貨店が立ち並んでいる通りを抜けて、二人は高層ビルが林立する方に向かっていた。 新都心の高層ビル街。 その中の一つ。 建物の前が ちょっとした広場になっているビルの前で、二人は立ち止まった。 広場は、その周囲にベンチが幾つも置かれていて、カップルが多数。 その中央では、スケートボードをしてる高校生くらいの十数人の男たち。 そいつ等の連れらしい女の子たち。 もう深夜なのに、こいつ等は不良だと、自分のことは棚に上げて、俺は そいつ等を ひと渡り睨みつけたんだ。 こいつ等も、俺をいじめるクラスの奴等と同じように馬鹿なんだと決めつけて。 そんな奴等はどうでもいいから、俺は すぐに あの綺麗な二人連れの方に視線を戻したけど――戻したんだけど。 俺が あの幸せそうな二人から目を離したのは、ほんのちょっとの間だった。 多分、5秒か そこいら。 なのに、二人の姿は広場から消えていた。 5秒だぞ、5秒。 たった5秒で、人が どれくらい動けるっていうんだ? でも、二人は そこにいなかった。 ビルの前の広場の幅は50メートル。奥行きも それくらい。 普通の人間なら、絶対に、この広場の外に移動することなんかできないのに。 俺は慌てて、辺りをきょろきょろ見回したんだ。 あの二人を見失ってしまったら、俺は死に場所を失ってしまうことになると 滅茶苦茶焦って。 幸い(?)、俺は すぐに 二人を見付けることができた。 『いない、いない、どこだ』って、声には出さずに叫びながら 後ろを振り返った俺の目の前。 つまり、二人は、二人を見失った俺の すぐ後ろ――距離にして1メートルも離れていないところに立っていたんだ。 俺は、だからって安心したわけじゃないけど、 安心できるわけがない。 綺麗な二人の一方――金髪男の方が、見るからに不機嫌そうな目で 俺を睨み、どう聞いたって怒ってる声で、 「俺たちに何の用だ」 って、訊いてきたんだから。 どこからどう見たって金髪のガイジンが完璧な日本語を話すのが こんなに恐いことだなんて、俺は それまで知らなかった。 しかも、その声は、俺の頭上30センチ超のところから下に向かって降ってくる。 俺は震えあがったさ。 死ぬつもりでいる人間だって、恐いものは恐いんだ。 金髪男の隣りに立ってる美少女が、優しい声で心配そうに、 「具合いが悪いの? 顔が真っ青だよ」 って言ってくれなかったら、俺は、ものも言わずに その場から逃げ出してしまっていたかもしれない。 美少女は金髪男を全然恐がってないみたいで(当たりまえか)、俺の答えを待たずに 金髪男の顔を見上げ、そして 軽く睨みつけた。 「氷河が恐い顔するから」 って言って。 氷河? 変な名前だ。 そう、俺は思った――思うことができた。 美少女の声が、やたらに甘くて優しくて、金髪男を睨みつける様子も可愛くて、だから俺は一瞬で恐さを忘れてしまったんだ。 恐さは忘れた。 代わりに、金髪男の、 「おまえが可愛すぎるから、血の気が引くほど驚いてるんじゃないのか、このガキ」 ってセリフが、俺を 思いっきりムカつかせてくれたけど。 何だ、この馬鹿。 これから死のうとしている不幸でかわいそうで いたいけな子供に、自分たちの幸運を見せつけて自慢しようってのか? そりゃ、確かに、間近で見ると、美少女は 血の気が引くほど可愛かったけど。 俺より年上なのに、背だって 金髪男ほどじゃないにしても俺より高いのに、そんなふうに感じるなんて変なことだけど、でも やっぱり可愛い。 そんなに可愛い人と一緒にいられる幸運を、金髪男は きっちり自覚してるらしくて、大馬鹿氷河は 美少女を見おろし、見詰め、やたらと嬉しそうな顔をしてる。 なに、馬鹿みたいに そんな めでたいツラしてるんだ。 そんな顔してられるのも、今のうちだ。 「俺はこのガキに何かしたか。こいつはなんでこんなに攻撃的なんだ。まるで一輝だ。一輝になら、憎まれるのもわかるが」 あんまり恐くなくなった金髪男が 美少女に尋ねる。 美少女は困ったように、 「そんな……仲良くしてよ」 って言って、 「無理を言うな」 金髪男は美少女のお願いを一蹴した。 イッキって何だよ。 俺は これから あんた等の前で死ぬんだぞ。 なのに、俺が ここにいることを忘れたみたいに、俺にわからない話をしやがって。 俺は思いっ切り むっとして、綺麗で幸せそうな二人に噛みついていったんだ。 「あんたたちが そんなふうに楽しそうにしてられるのも今のうちなんだ。この世に確かなものなんて、何もない。今は幸せでも、いつか必ず不幸になる。あんたたちも、今は そんなだけど、いつかは別れて 離れ離れになるんだ!」 「え?」 美少女が、どう見ても 自分が何を言われたのか わかってない顔で、きょとんとする。 俺の唐突な わめき声の意味を先に理解したのは、金髪男の方だった。 「貴様は何を言っているんだ。俺と瞬が別れることなど――」 瞬っていうんだ、この美少女の名前。 あんまり普通じゃないけど、こんな可愛い人の名前が普通だったら、それこそ変だから、それでいいんだろうな。 「別れることなんかないって言うのかよ? 絶対なんて、ない。絶対、いつか、みんな壊れて、消えて、最後には死ぬんだ。絶対に そうなるんだ!」 絶対のものなどないって言う側から『絶対』を繰り返す俺に、氷河は呆れたようだった。 口の端を ちょっと歪めて、氷河は うんざりしたみたいな顔になった。 「ガキがニヒリストを気取っているのか? 馬鹿の相手はしてられん。瞬、行くぞ」 そう言って、氷河は美少女の肩に手を置いて、そのまま どこかに行こうとした。 『見捨てられる』って、俺は思った。 ほんの数分前に出会ったばかりの二人に見捨てられるも何もあったもんじゃないのに、『見捨てられる』って。 俺は見捨てられたくなかった。 だから 俺は、すぐに金髪男を引きとめた。 「逃げるのかよ!」 「馬鹿とは関わり合いになりたくない」 「なにおーっ!」 死ぬつもりなのに、完璧な日本語を話す外人は恐い。 死ぬつもりなのに、出会ったばかりの人に見捨てられるのが恐い。 恐かったから――俺は、俺に背を向けた氷河が恐かったから、それを掴んだんだ。 万一 飛び降り自殺ができなかった時、代わりに ビルの役目を果たしてもらおうと思ってポケットに入れていたジャックナイフを。 「氷河!」 美少女が呼ぶ。 氷河は、ゆっくりと後ろを振り返った。 俺の右手はウインド・ブレーカーのポケットの中。 まだ、人の目に触れるところにナイフを出してはいない。 けど、氷河は、ポケットに突っ込まれたままの俺の右手を見てて――どう考えたって、氷河は気付いてた。 おかしな話だ、ほんとに。 俺は死ぬつもりでいたんだぞ。 死ぬつもりでいたのに、警察に突き出されるかもしれないって思ったら 急に恐くてなって、俺は 足も手も動かせなくなったんだ。 ふいに、世界から音が消えたような気がした。 これは恐怖のせいなんだろうか。 死ぬつもりでいる人間が、恐怖のせいで耳が聞こえなくなるなんて、ほんとに変な話だ。 しかも、その恐怖っていうのが、『警察に突き出されるかもしれない』と思ったせいだっていうんだから、変も変、大変。 とはいえ、俺の突発性難聴は一時的なものだったらしくて、徐々に俺の世界には音が戻ってきた。 そうして最初に俺の耳に飛び込んできたのは、『サンタが町にやってくる』のメロディー。 音が割れて、素頓狂なことになってる。 俺はこれから死ぬつもりなのに、サンタなんか来たって何にもならない。 ふざけてんのか。馬鹿にしてんのかって、俺は泣きたいくらい腹が立った。 その ふざけた音は、ビルの前の広場で店開きしているクレープ屋の小型トラックから聞こえてきていた。 |