「あら……」 マリアの言うことだから、『超カッコいい』って言ったって、どうせ某J系アイドル顔の優男なんだろうと思っていたのに、これはまた どうしてどうして。 そのバーのカウンターにいる金髪の男は、この私でも『超カッコいい』と評せざるを得ない容姿の持ち主だった。 マリアってば、趣味が変わったのかしら。 この子は好みは、ある程度 容姿の整った、女子中高生受けしそうなアイドル顔。 軟派の(マリアは『優しい』って言うけど)優男のはずだったのに、この男は 見るからに危険な男。 ちっとも優しそうに見えない。 「そうね。確かに超カッコいい」 中身はどうか知らないけど、外側は。 「でしょ、でしょ」 私に『カッコいい』と認めさせたことを大変な手柄とでも思ってるみたいに、マリアが得意げに破顔する。 まあ、これまで 私は、マリアが連れてくる男共を ことごとく こき下ろしてきたから、マリアのこの反応は わからないでもないけどね。 ちなみに、私とマリアは同い年。幼稚園、小学校、中学校と同じ学校。 高校、大学は違うけど、家が近所の腐れ縁の幼馴染み。 マリアのフルネームは、阿部マリア。 真面目につけたんだが、ふざけてたんだか、マリアの両親の真意は わからないけど、我が子に“マリア”って名をつけることを決めた時、マリアの両親が 笑っていたことだけは確かだと思うわ。 何か困ったことが起きると、マリアは私を頼ってくるけど、私がマリアに頼ったことはない。 私とマリアは そういう関係、そういう付き合いよ。 「彼は、女を引きつけるフェロモンを出しているのよ、絶対!」 「確かに、色気だだ洩れの男ね」 私の口から『カッコいい』を引き出せたことが、マリアは よほど嬉しかったみたいだけど、何がフェロモンよ。 マリアは、絶対にフェロモンが どんなものなのかを知らずに そんなことを言ってる。 100万円 賭けてもいいわね。 ちなみに フェロモンっていうのは、動物の体内で産生され、体外に放出され、同種の他個体の行動や生理状態に影響を与える分泌物質の総称。 19世紀後半、昆虫記で有名なファーブルが、オスの蛾を自分に引き寄せるためにメスの蛾が何らかの物質を出してると気付いたのが最初の発見だと言われてるわ。 フェロモン――特に、性フェロモンは、交尾が可能なことを他の個体に知らせるために、基本的にメスが出すもの。 オスが出す場合もあるけど、オスの出す性フェロモンで最も有名なのは、台所に よくいる あの黒い昆虫よ。 ――なーんてことを言ったら、私はマリアだけじゃなく、この店にいる客全員の袋叩きに合いそうだったから、黙ってたけどね。 この店は、かなり繁盛してる店みたいだった。 カウンター席は すべて埋まってて、他に二人掛けのテーブル席が4つあるけど、そっちも満席。 満員御礼のバーって、私、初めて見たかも。 バーっていうより、人気のスイーツ店の雰囲気。 この店、バーとしての雰囲気は 最悪なんじゃないかしら。 なにしろ、客層が特殊すぎ。 「見事に女性客ばっかね」 それも、若い女の子ばっかり。 と言っても、お酒を飲むところなんだから、当然 全員成人はしてるんでしょうけど、こういうのって、どうなんだろ。 客が若い女の子ばかりのバーなんて、バーテンが 顔で客寄せしてる店だって言われても 反論できないわよ。 どんなに美味しい お酒を出してくれても、どれだけ バーテンの腕がよくても、評価されにくいと思う。 酒やバーテンとしての評価は気にしてなくて 商売最優先なのなら、これで問題ないんでしょうけど、でも、美貌っていうのは いつまでも維持できるものじゃない。 そういう やり方で、店が永遠に繁盛し続けることはあり得ない。 ま、この金髪男なら、30年後も セクシーな おじさまバーテンダーっていうんで、女性客を引きつけておけそうだけど。 その金髪フェロモン男が、店の出入り口に立ってる私とマリアに ちらりと一瞥をくれる。 なのに、『席が空くまで待て』とも、『満席だから帰れ』とも言わない。 不親切。超不親切。 これで よく接客業なんてやってられるものね。 まあ、こっちも、美味しいお酒を飲めることを期待して来たわけじゃなく、マリアの言う“超カッコいい”男の検分に来ただけだから、文句を言うつもりはないけど。 「なに、今の目」 「素敵でしょ。あのクールな流し目」 どこが『クールな流し目』なんだか。 マリア。あんたは、もう少し言葉の意味を理解してから ものを喋るべきたわ。 今のは、流し目っていうより、むしろ蔑視。 客を鬱陶しがってるみたい。 “アンニュイ”とか“気だるげ”と言えば 聞こえはいいけど、『女なんて、見るのも飽きた』って言ってるような目。 『だから、寄ってくるな、声をかけるな、見るな』と言ってる目よ。 マリアは、彼の その冷たいところがいいらしくて、軽蔑の視線(としか言いようのないもの)を向けられて嬉しそうにしてるけど、この子、ほんとに趣味が変わったわね。 自分を ちやほやしてくれる優しい男が好きなんじゃなかったの、あんたは。 うん、まあ、マリアの気持ちは わからないでもないけど。 冷たいのに、だから なおさら近付きたい。 恐いけど、触ってみたい。 自覚してるかどうかは ともかく、マリアは今、そういう気持ちでいるんだ。 でも、やっぱり、この男はマリア向きじゃないと思うな。 ナイフのエッジみたいな視線は、滅茶苦茶 危険そう。 殺気みたいなものを感じる。 でも、あらゆることに無気力無関心なようにも見えて、だから 安全な気もする。 奇妙な――ほんとに奇妙な雰囲気の男だわ。 「クールでしょ。愛想なしでしょ。でも、そこが いいのよぉ」 はいはい、わかりました。 「これは、あれね。寄ってくる女に興味がない素振りを見せて、逆に 女の気を引こうとしているのね」 並の男には使えない手。 けど、これだけの美貌を持つ男なら、十分に有効な手。 でも、おあいにく。 私に その手は使えないわよ。 「ところで、マリア。私たちは いつまで ここに 阿呆みたいに突っ立ってなきゃならないの」 席が空きそうにないなら 出直した方がいいんじゃないの? って、暗に私はマリアに言ったんだけど、マリアは、 「もうちょっと」 って、まるで具体性のない答えを返してきた。 “もうちょっと”が1時間なら――ううん、10分でも、私は嫌よ。 この子、私の時給がどれくらいなのか わかってるのかしら。 しかも、時刻は そろそろ深夜割増しがつく頃。 労働基準法に のっとれば、3万を下らない私の時給が更に5割増しよ。 ――と言いかけた私に、マリアは、労働基準法に優越する この店のルールを教示してくれた。 曰く、 「混んでる時には、1時間以内に出ていくのが、この店の女性客全員に適用される 暗黙のルールなの。カウンター席は30分まで。30分が過ぎたら、店を出るか、テーブル席に移動」 だそうだ。 この店の女性客全員に適用される 暗黙のルール? いったい何なのよ、それは。 店の回転率を上げるために、客の方が そんなルールを決めて 気を遣ってるっていうの? 「席は選べないんだけどね。それは早い者勝ち。運もあるし。カウンター席は 正面の席もいいけど、斜めから見るのもいいわよ。ていうか、どこから見ても彼は素敵なのぉ」 店内の移動のルートと滞在時間が、客によって決められてるなんて、ほんと呆れた。 動物園の客寄せパンダか、この男は。 「言っとくけど、私、英語は あんまり得手じゃないわよ」 日常会話もビジネス会話もできるけど、パンダと支障なく会話できるほどの英語力は、私にはない。 嫌味のつもりで言ったのに、マリアは 私がほんとに英会話ができないんだと思ったらしい。 いったい私と何年 付き合ってるのよ、あんたは。 そんなはずないでしょ! ――なんて私の心の声が、マリアに届くはずもなく。 「その点は大丈夫よ。あ、交替の時間!」 カウンター席に着いていた女性客が二人、カクテルグラスを持って席を立った。 その二人に、テーブル席の二人が席を譲って、店の出入り口に移動。 ところてん式移動とでも言えばいいのかしら。 コンプライアンスができているというか何というか、お見事としか言いようがないわね。 |