あっけにとられてる私に、マリアが困ったような目を向けてくる。
「彼女のこと訊かれると、決まって あの答えが返ってくるのよ。嘘っぽいでしょ」
言われて、私は頷いた。
マリアの言うように“嘘っぽい”と感じたからじゃなく、それが嘘でも ほんとでも、あまりにも それが用意されていた答えにしか聞こえなかったから。

ほんとかどうかはさておいて、それは 見事に女性客を遠ざける答え。
氷河は、商売のために彼女がいることを隠しているのではなさそう。
マザコンでゲイって公言してる男に これだけ女が寄ってくるってのも すごいけど。
これは つまり、そんなこと言われても 群がらずにいられない力が 氷河にあるってこと。
マリアの言ってたフェロモンの話、根拠のない妄想とは言い切れないかもしれないわね。
人間は 他の動物と違ってフェロモンを出していないっていう定説は、性周期同調フェロモンの発見によって覆された。
人間に、まだ発見されていないフェロモンがないとは言い切れないわ。

自分でも馬鹿なことを考えてると思ったけど、私は真面目に その可能性について考え始めていた。
そんな私に、それまでテーブル席に着いてた女性客の一人が席を立って声をかけてくる。
「謎めいてて不思議な男でしょ」
黒いミニドレスの その彼女は、どうやらマリアの知り合い――もしかして、この店の先輩客? ――らしかった。
「こちらが、マリアの言ってた例の社長さん?」
いったい何を“言ってた”んだか、マリアが まるで毒気のない顔で彼女に頷く。
「そうなの。私の自慢の幼馴染みよ。サヤカちゃんは小さな子供の頃から、頭よくってぇー」
その間延びした馬鹿みたいな言い方はやめなさいって。
それは、勉強以外 取りえがなかった、もてない私への嫌味なの?
「どうも」
私が軽く首を振ると、彼女は まるで品定めするみたいに、私の顔と 身に着けている服に視線を走らせた。
ご心配なく。
私は、あなたたちのライバルになれるような女じゃありません。

そもそも 私がここに来たのは、“超カッコいい”男に いかれるためじゃない。
私は、そういう意味では男なんかに興味はない。
男は、私の商売道具よ。
私は、(よわい)28にして30人の社員を抱えた会社の代表取締役社長。
業種は、企業や個人の信用調査。つまり、探偵業――興信所。
探偵って言っても、シャーロック・ホームズやエルキュール・ポワロなんかとは違う、浮気調査専門の探偵だけどね。

ご覧の通り、十人並みの ご面相。
マリアみたいに青春を謳歌することもなく勉強一筋、いわゆる、いい高校、いい大学に進み、予定では、国家公務員試験の総合職に合格して 中央官庁のキャリア官僚になるつもりだったのよ、私は。
そんな私が大学で初めて、男と付き合うってことを経験して――私、見る目がなかったのよね。
なんか様子がおかしいと思って、その身辺を調べてみたら、その男は、私以外に彼女が三人もいて―― 一人でも多すぎるってーの。
で、私の初めての男との交際は、相手の浮気で破綻、失恋。
それまでの人生を、挫折や失敗っていう単語と無縁に過ごしてきた私には、それが大ショックで――これ以上 そんな不幸な女性を作っちゃいけないって気持ちが高まって、在学中に興信所まがいのことを始めたの。

最初は学内の知人友人の彼氏の周辺をボランティアで探ってあげてた。
そのためのノウハウを勉強してね。
それがどんなことだって、私、勉強が好きだったから。
マリアの何番目かの彼氏を調査してあげたこともある。
もちろん、その男も二股かけてたわよ。
彼氏の挙動を不審がってる女の子って、実は結構 多いのよね。
そのうち、口コミやネットで、私の良心的かつ卓越した調査能力の噂が広まって、依頼者が増えて、実費以外にも謝礼をもらうようになり、協力者も増えて――それが やがて会社にするしかない規模になった。
考えた末、私は 私の人生計画を大幅変更。
その仕事を続けるために公安委員会に届け出て、認められた探偵業者になって、今に至る。

つまり、私が 今夜 ここに来たのは――連れてこられたのは――私に氷河の謎を解明してほしいっていうマリアの依頼を受けてのこと。
依頼っていっても、正式なものじゃなく――マリアは それを、できればタダでやってほしいと思ってるみたいだけど。
私が氷河に興味を持って、自分の好奇心を満たすために調査を開始してくれたら、欲しい情報がタダで手に入るだろうって、マリアは それを期待してる。
場合によっては、この店の女性客有志で調査料を出すとか言ってるけど、どこまで本気なんだか。
マリアの前の彼氏を調べてあげたのは、学生時代のボランティアの一環だったから、マリアは この手の素行調査の相場なんて知らないはず。
1日8時間で8万、それ以上の時間がかかったら 割増し料金追加、他に実費。
一件の調査に70万かかるのが平均――って聞いたら、泡 吹いて倒れるんじゃないの?
もっとも、私は今は もう調査員の真似はしてないけどね。
なにしろ社長サマだもの。
それに、バーテンダーの私生活なんて――昼間は ほとんど ぐーたら寝てるだけだと思うけどな。
夜 起きてるのと、昼 起きてるのだと、人間の疲労度は かなり違うものよ。

まあ、マリアたちが期待してるみたいだし、私も全く興味がないわけじゃないから、昔取った杵柄で、軽く探りを入れてみるか。
「氷河。ジントニックをちょうだい。マザコンって……あなたの お母様も金髪?」
「ああ」
「あなたのお母様だもの、超美人よね」
「無論」
ふーん。
マザコンは事実みたいね。
氷河はどう見ても20代半ばから後半
その母親となったら、40代か50代、へたすると60代ってことも あり得る。
その母親を超美人と ためらいもせず言ってのける男が マザコンでないはずがない。

「お母様は、今 おいくつ?」
「26」
「ごめんなさい……!」
氷河の返事を聞いて、私は反射的に彼に謝ってた。
別に謝る必要はなかったと思うし、氷河は 見事にポーカーフェイスを堅持してたけど、でも やっぱり、マザコン男に そんなこと訊くのは心ないことだから。

「30分」
そんな私の気も知らず、順番待ちの女の子が、私とマリアに声をかけてきた。
どうやら、タイムリミットの30分が過ぎたらしい。
マリアは、まだ3分はあるはずだとか何とか文句を言ってたけど、私は速やかにテーブル席に移動した。
マリアも しぶしぶ私と一緒に移動する。
入り口に立ってた女の子が二人、嬉々としてカウンター席に着き、シンガポール・スリングとバレンシアをオーダー。
ワタシ的には、それは いいタイミングのタイムアップだった。

「なに? ごめんなさいって、どういうこと?」
マリアは私の『ごめんなさい』の意味がわからなかったらしい。
なんで わからないのかが、私には わからないわよ。
「彼の愛する お母様は、彼が子供の頃に 26歳で亡くなってるってこと。だから、氷河のマザコンが本当のことでも、実害はないでしょうね」
「わっ、さすがサヤカちゃん。新情報!」
マリアは歓声をあげ、マリアの先輩客も 私に尊敬の目を向けてきたけど――そんな新情報を喜ぶなんて、あんたはどういう神経してるのよ、マリア。
あんたは、もう少し、人の気持ちを推し量ることを覚えた方がいいわ。
――なーんてことを言っても無駄か。
マリアは、人に注意されれば、すぐに素直に反省するけど、その反省を 以降の行動に活かせたことなんか一度もないもの。
悪気がないのは わかってるんだけど、ややこしいことになるから、ここは沈黙。

「じゃ、問題はゲイの方かー……。でも、こんなに女の子に もてるゲイなんているもの?」
よかったわね、マリア。問題が一つになって。
少し 投げ遣りな気分で、私は 心の中で皮肉を言った。
「確かに ゲイには見えないし、女の子に こういう群がり方をされてるゲイは滅多にいないけど……。でも、女友だちの多いゲイっていうのは少なくないのよ。ま、ゲイじゃないのに ゲイだって嘘をついたところで何の得もないのに、あえて そんなことを公言してるんだから、一概に 氷河が嘘をついてるとも言えないんじゃないかしらね」
「でも、信じられないんだもん。ゲイがこんなに女ばっかり引きつけるのって、変じゃない?」
「あんたは、信じられないんじゃなくて、信じたくないだけなんじゃないの」
「そういう気持ちがないとは言わないけどぉ。毎晩 何人のも女の子が秋波を送ってるのに、誰一人 相手にされないなんて、確かに怪しいんだけどぉ」

マリアは、私と違って 男にもてて、男に素っ気なくされたことがないから、氷河みたいな態度を取る男の存在が信じられなくて、『なんで?』って思うんでしょうけど、男が 興味のない子を無視するのは、ごく普通のことよ。
氷河が“普通の男”かって言われると、それは私には何とも言えないけど。
現時点では、さすがに 氷河に関する情報が少なすぎるし。

でもね。
この世の中、ゲイの男は、実は かなり多いのよ。
ウチの会社にも、結構 その手の調査依頼はくる――っていうか、その手の報告書に、私は何度も目を通してきた。
『婚約者がいつまで経っても手を出してこないから、その理由を調査してくれ』とか、『夫が浮気してるような気がするけど、女の気配を感じないから調べてくれ』とかの依頼を受けて、実際に調査してみると、その男がゲイだったり、自分をゲイだと気付いていないゲイの男だったりするのよね。
自分の性的指向を自覚した上で、彼女を作ったり 結婚したりする男も多いけど、自分の性的指向を自覚できていない男も多い。
ウチの会社に、そういうのの判定役がいるくらい。
さすがに正社員じゃなく、嘱託の調査員だけど。

あ、そっか。
彼に判定してもらうっていう手があるか。
んー。
半ば強引にマリアに連れてこられたけど、なんか、私、結構 乗り気みたい。
やっぱ、私でも気になるわよ。
この綺麗な男が 本当にゲイなのかどうか。
ここは、本腰入れて確かめてみようかな。

「マスタ……氷河。この店、男子禁制ってことはないわよね?」
氷河の正体を探ることを決意して、私は、テーブル席から カウンターの中にいる氷河に尋ねた。
「ああ」
返ってくるのは、短い返事。
余計なことを詮索されないのは助かるわ。
「よかった。私、明日、知り合いのオトコを一人連れてくるわね。スティンガーもジントニックも美味しかったから」
それは お世辞でも何でもなく、ただの事実だったんだけど、酒の味を褒められても、氷河は 喜ぶ気配は見せなかった。
金や女だけでなく、人からの賛美や称賛も 欲しくないタイプ?
いったい氷河の欲しいものは何なの。

「知り合いの男を連れてくるって、どういうこと?」
順番待ちの女の子の行列ができるような店に、何のために 男を連れてくるのか、マリアは不思議に思ったらしい。
結局 マリアの期待通りのことをしようとしてる自分を認めるのは癪だったんだけど、好奇心には勝てない。
私は 純粋に氷河の正体を知りたいのよ。
艶っぽい気持ちがないだけで、それは十分に動機不純なのかもしれないけど。

「ゲイかどうかを確かめるには、ホンモノに見てもらうのが いちばんいいのよ。そういうのって、同好の士には、ぴぴっとわかるらしいの。明日、その判定ができるホンモノを連れてくるわ」
そう言ったら、マリアってば、自分も明日も来るとか言い出した。
あんた、いつも お金がないないって言ってるのに、大丈夫なの。
そりゃ、バー通いは、せいぜい 2、3杯のお酒代だけで済むから、ホストなんかに貢ぐよりは 全然 安上がりだけど。
氷河の方も、女の子を引っかけて貢がせようなんて考えはないみたいだから、これは安全な遊興といえば 安全な遊興ではあるか。
そう考えて、私は マリアのことは放っておくことにした。






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