直接話法による氷河のデート状況レポートに、星矢と紫龍は言葉を失った。
氷河の不幸は、ホテルにチェックインする以前に起きていたのだ――というより、ホテルが存在しない世界で起きていた。
これは 確かに、ホテル以前 かつ不能未満の不幸である。
言葉のみならず 声までが失われた状態から何とか立ち直った星矢は、ホテル以前かつ不能未満を前提とした質問を、氷雪の聖闘士に投げかけることになった。
「あー……えーと、おまえら、そういう仲なんじゃなかったのかよ? おまえらって、どっかに出掛ける時は、それが当たりまえのことみたいに 俺たちを誘わずに、いつも二人だけで いそいそと出掛けてくし、ウチん中にいる時も 大抵一緒で、不自然なまでに びっとり くっついてるから、俺はてっきり――」
てっきり二人は そういう仲なのだと、星矢は思い込んでいたのだ。
理想の恋人同士なのかどうかという問題は さておいて、普通の(?)恋人同士ではあるのだろうと。

星矢の 今更ながらの質問に、氷河は答えを返してこなかった。
答えるのが つらかったのか、悲しかったのか、空しかったのか――ともかく、氷河は 星矢の質問に対して沈黙を守った。
かなりの間を置いてから、ふいに、
「俺は瞬が好きだ」
という、恋人同士以前の事実に関する報告が提出される。
「俺も、瞬、好きだぜ」
真面目モードで対応するのも気の毒で、星矢は とりあえず ぼけてみた。
「混ぜっ返すんじゃない、この阿呆」
星矢の気遣いを無視して、氷河が本気で星矢を睨んでくる。
どうやら ここは、真面目モードで話を進めていっていい場面のようだった。

「冗談だって」
もちろん、星矢は瞬が好きだったが、自分の“好き”と氷河の“好き”の内容が違うものであることくらいは、星矢にもわかっていた。
瞬は、人当たりがよく、誰にでも親切。
何よりも、瞬自身が誰も嫌っていない。
その98パーセント以上が善意でできている人間であり、更に“地上で最も清らかな魂の持ち主”という神のお墨付きまである。
そんな瞬を嫌うのは、よほど 心の捻じ曲がった人間だけだろう。
瞬の命を奪おうとする敵でさえ、彼が瞬に そんなことをしようとするのは、決して 彼が瞬を嫌っているからではないのだ。
いうなれば、『瞬が好き』は人類の大前提であり、わざわざ言葉にするようなことではない。
そういう状況下で あえて『瞬が好きだ』と言うのなら、その“好き”には特別な意味があるのだ。
それくらいのことは、もちろん 星矢もわかっていた。
もっとも今日、改めて言われなくても、氷河の“好き”が特別な“好き”だということは、氷河の仲間たちは かなり以前から承知していたのだが。

「俺は瞬が好きだ。だから、瞬にも 俺を好きになってほしい。そのために、俺は 俺なりに頑張ったつもりだ」
「無愛想で面倒くさがりのおまえにしちゃ、頑張ってるよな」
「だが、駄目なんだ。どんなに頑張っても、俺は瞬の恋人にはなれない。瞬は俺の恋人には なってくれない」
「俺には、瞬も おまえを好きでいるように見えるが。それも かなり」
「うん。嫌ってるようには見えないよな」
それは世辞でも 社交辞令でも 慰撫でも おためごかしでもなく、氷河の仲間たちの いたって正直な見解だった。
瞬は 特別に氷河を好きでいるように見える。事実、瞬は氷河を好きでいるだろう――というのが。
仲間たちの言葉に、氷河が忌々しそうに――だが、苦しげにも見える表情で 頷いた。
「当然だ。瞬は俺を好きでいる。だが、それは俺の努力には全く無関係な“好き”なんだ。俺が そんな努力をするまでもなく、瞬は最初から 俺を好きなんだ。仲間としてな。俺が窮地に陥れば、瞬は命をかけて俺を救ってくれる。俺が瞬に死んでくれと言えば、瞬はきっと死んでくれるだろう。だが、それは 瞬が俺の仲間だからなんだ。瞬が そう思っているから。俺は 瞬にとって、あくまでも どこまでも仲間でしかないんだ」

その人を好きでいる。
その人に、自分が好かれていることもわかっている。
その人の心を、かけらも疑わず 信じている。
その人の幸福を願っている。
その人のために命をかけることもできる――。
本物の恋人同士でも、そこまでの絆を築くことは 極めて難しいことだろう。
世の中には、相手の誠意も好意も信じておらず、その幸福を願ってもおらず、その人のために命をかけることなど絶対にできない――ような恋人同士さえ多数 存在するのだ。
これは 実に難しい問題だった。
既に一般的な恋人同士以上の強い絆で結ばれている二人に、今更 恋人同士という肩書きが必要だろうか。

「俺は瞬のためになら、命も捨てられる。だが、瞬は それを当たりまえのことだと思うんだ。俺たちは仲間同士なんだから、それは当然のことだと。そして、瞬も 俺のために同じことをする。だが それは、瞬が俺を自分の仲間だと思っているからで、俺たちが恋人同士だからじゃない。こういう状況で、いったい俺は どうすれば 俺の瞬への思いが恋だということを、瞬に わかってもらえるんだ!」
「それは――」
「一瞬の躊躇もなく命を預けられるような仲間なんて持つものじゃない。その信頼と好意を一瞬たりとも疑わずにいられるような仲間なんて持つものじゃない。おかげで 俺は、いつまで経っても、貴様等と同じ仲間でしかないんだ……!」

「で……でもさー。俺、瞬もおまえのことを好きなんだと、ずっと思ってたんだぜ。これは、まじで。いや、俺は いつも まじだけどさ」
そんな言葉で 氷河の打ちひしがれた心が慰撫されることはないだろうと思いつつ、それでも 星矢は 哀れな仲間に そう告げたのである。
予想通り、氷河の心は そんな言葉では慰められず、星矢の慰撫の言葉は むしろ彼の落ち込みに拍車をかけることになってしまったようだった。

「だから、瞬は俺を好きでいてはくれるんだ。俺が瞬を好きでいることも、瞬は知ってくれている。俺は一度でいいから、好きすぎて できない状況を経験してみたい。好きすぎて早く終わりすぎて、瞬に慰められたい……」
氷河の恋の病(恋未満の病)は、かなり重症である。
だが、そういう事情なのであれば、氷河の非常識な望みも わからないではない(ような気がしないでもない)。
とはいえ、それは、氷河の“一瞬たりとも ためらうことなく自分の命を預けることのできる仲間”でしかない星矢と紫龍には、どうしてやることもできない問題だった。
それは、すべてが瞬の心ひとつにかかっている問題なのだ。

三人のアテナの聖闘士の周囲を 重苦しい沈黙が包む。
そこに登場したのは、暗く非常識な氷河の望みを叶えることのできる ただ一人の人間だった。






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