瞬が住まいとしている神殿は、ごく小さな、こじんまりとした神殿だった。
確かに これは、アテナほど有力な神が しばしば来臨するような神殿ではない。
瞬は 自分の家を持たず、神殿の奥の一室で暮らしている――という話だった。
もちろん、神殿は 神が下りてくる場所、本来は 人間が神殿で暮らしているという言い方は 適切なものではない。
瞬は 他の幾人かの巫女たちと共に その神殿の維持管理の仕事に携わっている――というのが 適正な表現で、事実もそうであるようだった。
どれほど大規模で壮麗な建物であっても、人間たちの信仰が寄せられていなければ、神殿は生気を失い荒れ果てていくもの。
アテナの威光のたまものなのか、瞬の神殿は 小規模ながら生気の輝きに満ち、祈りや供物を捧げにくる人間も多かった。

知恵と戦いの女神の神殿なら、武具や文書の捧げ物が多くて しかるべきなのだろうが、この神殿には なぜか花や種子等、植物関連の捧げ物が多い。
氷河が訳を尋ねると、瞬は、
「農作物を育てるにも、知恵は必要ですから。祈りに来る者が多いのは、農作業の始まる春が近いからですよ」
と教えてくれた。
『春が近い』という言葉を聞かされた氷河が 僅かに憂い顔になり、そんな氷河に瞬が不安そうな目を向けてくる。
春が来れば、客人が この神殿を去っていくのではないか――と、瞬は それを案じているようだった。
氷河当人は そんなつもりはなく――叶うことなら いつまでも瞬の側にいたいと思うようになってきていたのだが、その願いが叶わないことも、氷河は知っていた。

冬が終われば、春が来るように――時や季節は未来に向かって進むしかないのだ。
季節が廻らなければ、この神殿に祈りを捧げに来ている者たちの願いも空しいものになる。
それでも 氷河はここに留まることを望んでいた。
氷河は、瞬と離れたくなかったのだ。
寒さに凍える冬の間、人々が春に焦がれるように、長い冬の眠りの中で、動植物が春の訪れを夢見るように、氷河は瞬に惹かれていた。
氷河が ここに留まることを 瞬が望んでくれているのが わかるから なおさら、氷河は この地を離れたくなかったのである。






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