その夜は、幸いにも晴れていた。
月は細い三日月。
月の光が控えめな おかげで、星が いつもより たくさん見える。
瞬は 逸る胸を抑えながら こっそり夜の庭に出て、これまでの どんな時より真剣に心をこめて、夜空に向かって囁いた。
「こぎつね座の神様、こぎつね座の神様。僕にきつねの窓を作る方法を教えてください」

これまで瞬の願い事が一度も叶わなかったのは、やはり、願い事を言う星を指名しなかったからだったらしい。
その夜、瞬が名指しで星への願い事を口にすると、これまでとは違う不思議なことが起きた。
夜空に 突然 黒い穴が開き、そこから一人の大人の男の人が下りてきたのだ。
髪も瞳の色も銀色。
その上、額に星の形の印がある。
こぎつね座の神様だ! と、瞬は、胸を弾ませたのである。

「こぎつね座の神様! ほんとに来てくれるなんて!」
思わず歓声をあげた瞬に、こぎつね座の神様は、途轍もなく変な答えを返してきた。
その銀色の神様は、
「こぎつね座の神様? 何だ、それは。俺は もっと強大な力を持つ神だ」
と応じてきたのだ。
とても機嫌の悪そうな声で。
怒声ではないのに、怒られているような気がする。
瞬は一瞬 怖気(おじけ)たのだが、『神様が恐いから』などという理由で、瞬は そこから逃げ出すわけにはいかなかった。
たとえ こぎつね座の神様でなくても、こぎつね座の神様より強大な力を持っている神様なのなら、小さな子供の願い事を叶えることくらい、彼には簡単にできてしまうかもしれないではないか。

「なら、きつねの窓も作れる? 会いたい人の姿を見ることのできる窓なの。氷河のマーマは、氷河を守って死んじゃったの。氷河を氷河のマーマに会わせてあげたいの」
「きつねの窓? なんだ、それは」
気負い込んで まくしたてた瞬に、銀色の神の顔と声は 一層不機嫌そうな それになった。
しかし、瞬としても、ここまで来て あとには退けなかったのである。
こぎつね座の神様より強大な力を持った神様に 今 見捨てられてしまったら、今度はいつ 別の神様に出会えるか わからない。
「あのね、両手の親指と人差し指で、窓を作るの。指に魔法がかかっていると、その窓の向こうに、会いたい人の姿が映って見えるんだって。その窓を作る方法を僕に教えて! ……教えてください」
「会いたい者の姿が見える窓……」

銀色の神は、初めて 不機嫌な顔以外の顔で、瞬を見おろしてきた。
暫時 何事かを考え込むような素振りを見せ、やがて唇だけで微笑のようなものを作る。
笑顔だと思うのに――瞬は なぜか、彼の その様子に悪意のようなものを感じてしまったのである。
少し――瞬は不安になった。
神様なら いい人なのに違いないと思い込んでいたのだが、もしかしたら この世には悪い神様もいるのだろうか――?
そんなことがあるはずがないと、瞬は懸命に自分に言いきかせたのである。
悪い願い事を願ったわけでもないのに、悪い神様が現われるはずがない――と。

「その窓を作る力を与えてやらぬでもない。ただし、条件がある」
「条件?」
「ただで そんな願いを叶えてもらえるわけがないだろう。まさか、おまえ、そんな図々しいことを考えていたんじゃないだろうな」
「あ……」
銀色の神に そう言われて、瞬は慌てて 幾度も首を横に振った。
銀色の神の言うことは、至極 当然のことである。
これまでに読んだ絵本の中で、何か願い事を叶えてもらえた人間は皆、悪者を退治したり、何か良いことをした代償として、願い事を叶えてもらっていた。
オズの魔法使いのドロシーたちは、西の悪い魔女を退治して。
笠地蔵のおじいさんは、お地蔵様に笠をかぶせてあげて。
もちろん、瞬は知っていた。
願い事を叶えてもらうには、代償が必要なのだということを。

「うん。はい。僕は何をすればいいの」
瞬はどうしても氷河を 氷河のマーマに会わせてあげたかったので――銀色の神に頷き、きつねの窓を手に入れるには どうすればいいのかを、彼に尋ねたのである。
銀色の神は、ひどく楽しそうな目をして、瞬が払うべき代償を瞬に知らせてきた。
「そうだな。嘘をついて、人を騙す。それが5回できたら、きつねの窓とやらを作ってやろう」
「う……嘘をついて、人を騙す? 嘘をついちゃいけないんだよ。嘘つくなんて、僕、そんなことできないよ」
よいことをしろと言われるのだとばかり思っていた瞬は、銀色の神が持ち出してきた代償に びっくりしてしまったのである。
やはり この神様は悪い神なのだろうか。
我知らず 後ずさりした瞬に、銀色の神は 一層 楽しげな笑みを向けてきた。

「うまい。ちゃんと嘘をつけたではないか。同じように、人間に5回、嘘を信じ込ませてやればいいんだ。それができたら、おまえの願いを叶えてやる」
銀色の神は 本気のようだった。
彼は 本気で、瞬に“嘘をつく”という悪いことをさせようとしている。――とても楽しそうに。
あまりに彼が楽しそうなので、瞬は、もしかしたら この世には 人を楽しい気持ちにさせる良い嘘というものもあるのだろうかと 迷うことになった。
「嘘って、どんなふうにつけばいいの」
恐る恐る尋ねてみた瞬への、銀色の神の答えは、
「事実でないことを言えばいい。それだけだ」
というもの。
「……」
そんなことを、たとえ神様の言いつけでも、本当に してしまっていいのだろうか。
それでも やはり どうしても、『そうだ』という確信を持てなくて、瞬は顔を伏せたのである。
瞬は、兄にも、以前 いた教会の牧師様にも、『嘘をつくのは よくないことだ』と言われていたから。
これまでに瞬が読んだことのある絵本でも、嘘つきは 大抵、最後には ひどい目に会っていた。

空には、曇り一つない清浄潔白な光をたたえた無数の星たち。
その星たちの中に戻っていく銀色の神が、
「そして、清らかでなくなればいい」
そんなことを呟いたような気がした。






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