そう。私にわかるのは氷河のことだけ。
氷河が恋する人の心の中までは わからない。
でも、その人が、氷河を愛しているのでなければしないようなことを 氷河にしてくれることは知っているのよ。

あなたが死の危険に瀕するたび、あなたが恋する人は、あなたを守ってくれる。
あなたが 苦しい時には、あなたを励まし、あなたが つらい時には、あなたを慰め、あなたが 悲しい時には、あなたと共に涙を流してくれる。
逆巻く激流のような あなたの激しさも、燃え上がる炎のような あなたの情熱も、その人は 我が身に受け入れ、受けとめてくれるの。
氷河のすべてを許し、抱きしめてくれるのよ。
その人を抱きしめるたび、氷河は、自分が素晴らしい幸福の中にいることを実感し、自分の幸運に感謝するでしょう。

でも、その幸運に甘えては駄目。
油断しては駄目よ。
氷河は 常に、氷河が恋した人に ふさわしい人間でいるための努力をしなければ。
氷河が恋する人は、美しく清らかなだけでなく、とても強い人なの。
氷河も同じだけ強い人間でいなければ、恰好がつかないでしょう?

まあ、嫌そうな顔。
大丈夫よ。
強いといっても、ヘラクレスのような姿をしているわけじゃないから。
とても可愛らしいの。
美しくて、清らかで、とても可愛らしい人よ。
その人に最も似ているものは、やっぱり、清らかで美しい淡い色をした可憐な花だと思うわ。
今が春なら、そして 私がいるのが船の上でなく 春の野なら、氷河が恋する人に いちばん似ている花を探し出して、それを氷河に見せてあげることもできるのに。

なのに、忌々しい、この氷の風。
冷たい水しぶき。
氷河。
可愛い、愛しい、私の氷河。
あなたは、まもなく私を失う――母を失う。
そうして、この地上に たった一人だけになる。
でも、挫けないで。
これ以上の悲しみと喪失感は、もう あなたの人生に訪れないわ。
これが最後よ。

僕の恋する人は死なないのかって?
そして また 悲しい思いをすることになるではないかって?
ああ、残念なことに、氷河が恋する その人も人間だから、いつかは死ぬでしょう。
それが人の定め、命あるものの定め。
でも、安心して。
その人が死ぬ時は、あなたも死ぬ時。
氷河に、その人の死を悲しむ時はないの。
その人を失って嘆く時はない。
二人は いつも一緒なのよ。
生きている時も、その幸福な命を終えたあとも。

だから――今、この悲しみを乗り越えれば、私を失う喪失感を耐え抜けば、それ以上の試練は あなたの上に訪れない。
これが最後。
これが最後よ。
氷河、私の言葉を信じて。

なぜ 私に、あなたの未来のことがわかるのかって?
それは、私が あなたの母親だから。
マーマには、あなたのことは何でもわかるの。
きっと こんなふうに別れる私たちを哀れんで――私の死を その目で見る氷河と、これから氷河に そんな惨酷を見せなければならない私を哀れんで――神様が、私に見せてくれたんでしょう。
氷河の幸せを。
だから安心して、その身を氷の海に沈めろと、神は私に言っている。


悲鳴のような風。
天が泣いているような、氷混じりの水しぶき。
沈みゆく船の上にいる私。
小さなボートに命を乗せて、揺れている あなた。
聞こえるはずのない声が聞こえるのも、きっと神様が私たちに与えてくれた最後の哀れみ、最後の恩寵。
私の命を奪われまいとする あなたの思いの力と、あなたの幸福を願う私の思いの力が 起こした奇跡――最後の奇跡。

あなたの人生の先で、あなたを待っているのは、素晴らしく美しい幸福の日々。
楽しいことばかりではないけれど、悲しい思いも つらい経験もするけれど、幾つもの死に出会いもするけれど、それは生きている人間なら、誰もが経験すること。
決して 乗り越えられないことはない。
あなたは きっと乗り越えられる。
そして、あなたは あなたの美しく清らかな人と出会い、その人が あなたを この世界で最も幸福な人間にしてくれる。

氷河。
私の愛しい可愛い氷河。
マーマは、永遠に、いつの時も、あなたの幸せを願っているわ。






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