「なに……?」
星矢たちにも、俺の考えていることが読めている?
それは いったいどういうことだと 俺が問う前に、星矢は、俺が口にしていない問い掛けへの答えを返してきた。
「おまえ、顔に出るもん。自分の考えてること、まるっきり 隠せねーの。おまえが あんまり無防備に自分の感情を さらけ出すから、瞬なんか いつも心配してんだぜ。正直すぎる氷河は、いつか悪い人に騙されるんじゃないか――ってさ」
俺が無防備?
俺が悪い人に騙される?
星矢は、何を言っているんだ。

「じゃ……じゃあ、おまえは、俺が今 何を考えているか わかるのか」
戸惑いながら――いや、かなり焦りながら――俺は、星矢に尋ねた。
星矢が、僅かに首を傾け、少し――ほんの少しだけ――真面目にものを考えるポーズを見せる。
「んー……。こんな冗談 言って、変に思われないか不安――ってとこかな。特に瞬にどう思われるかを気にしてる」
「……」
俺は冗談は言っていないが、不安だったのは事実だ。
星矢の言う通り、特に瞬にどう思われるかを案じていたのも事実で――星矢の読み(?)は外れてはいなかった。

星矢たちは――星矢たちも読めるのか?
本当に、こいつ等は 俺の心を読んでいるのか?
いや、そんなはずはない。
もし星矢たちにも 人の考えを読む力があるのなら、こいつ等は、読めることを 俺に読まれていたはずだ。
にもかかわらず、俺は、星矢たちの そんな思考を読んだことはない。
じゃあ、これは いったいどういうことなんだ。

俺が どう応じればいいのかわからず困惑していると、今度は紫龍が楽しそうに笑いながら、
「おまえは、瞬が好きなんだろう?」
と、俺の考えを読んで――いや、違う。
読んではいない。
俺は そんなことを考えていなかった。
紫龍は俺の考えを読んだんじゃなく、俺に尋ねてきたんだ――“確認を入れてきた”と言った方が、より適切な表現かもしれない。
とにかく、俺の心を読んだわけじゃない。
(もしかして、氷河は、俺たちに 気付かれていることに気付いていなかったのか?)
それが、紫龍の思考。
紫龍が 俺の考えを読んでいるのでないことは明白だった。

事情が呑み込めず、紫龍に答えを返せずにいる俺に、星矢が心得顔で、
「そんなの、瞬だって知ってるぜ?」
と、とんでもないことを言い出した。
「なにっ」
(星矢ったら。氷河は知られたくないと思っているかもしれないのに……)
したり顔の星矢の横で、瞬が困ったように顔を伏せる。
俺は、何が何だか、何がどうなっているのか、本気で わけがわからなくなってきた。

そもそも 俺は、自分が瞬を好きでいるのだと考えたことは、これまで一度もなかった。
いつも瞬が側にいてくれればいいと思っていたし、いつも瞬の側にいたいと考えていたし、ずっと そうしていられたらどんなにいいかと願ってもいた。
だが、瞬を好きだと考えたことはなかった。
考えていないことが、なぜ読めるんだ。
やはり、こいつ等は俺の考えを読んでいない。
読んではいないんだ。

「俺たちに気付かれてることに気付いてなかったのかよ? ばればれだぜ。おまえの目、いつも瞬を追いかけてるもんな。おまえは認めたくないかもしれないけど、思いっきり助平な目で」
星矢は言葉と同じことしか考えていない。
「氷河……星矢の言うこと、気にしちゃ駄目だよ……!」
それは瞬も同じだ。
瞬は、まるで壁際に追い詰められた小さなウサギみたいな目をして、俺を見詰めている。
その すがるような瞬の眼差しに出会った途端、俺は、何もかもが どうでもよくなってしまったんだ。
俺が人の心を読む力を持っているとか いないとか、星矢や紫龍が その力を持っているとか いないとか、そんなことは全く問題じゃない。
少しも重要なことじゃない。
重要なことは――。

「お……おまえは……」
かすれた声で、俺は瞬に尋ねていた。
「おまえは、俺のことをどう思っているんだ」
――と。
「え?」
それが何より重要なことなのに、瞬は俺に そんなことを訊かれるとは思ってもいなかったらしい。
俺が もっと違うことを考えていると思っていたらしい。
“らしい”というのは、その時 瞬が何も考えていなかったからで――俺に読めるような思考を、瞬が全く形作っていなかったからで――そんな瞬に、俺は焦れた。
瞬が何か考えてくれれば、俺には瞬の気持ちが わかる。
なのに、瞬は何も考えない。
おそらく、戸惑い混乱して、瞬の思考は まっさらの白紙状態。
焦らすな。
俺を焦らさないでくれ。

「瞬、何か考えてくれ」
「氷河。ここは、『何か考えてくれ』じゃなく『何か言ってくれ』だろ。おまえ、昔っから、どっか ずれてるっていうか、変なんだよな。馬鹿なのか利口なのか、冷たいのか熱いのかわかんないっていうかさ。ガキの頃は日本語が苦手なせいで そうなのかと思ってたけど、さすがに今はそうじゃないよな?」
(氷河の奴、かなり取り乱してんなー。こいつ、表情 読まれてることに、ほんとに全然 気付いてなかったのかよ? 大物すぎるにも ほどがあるぜ)
表情?
星矢たちが読んでいるのは思考じゃなくて、俺の表情なのか。
ああ、だが、今は そんなことはどうでもいい。
「瞬。答えてくれ。おまえは俺を好きでいてくれるのか」

(あー、もー、こいつ、どーしよーもねーなー。そんなの、普段の瞬を見てたら一目瞭然、馬鹿でも わかるだろうに。この分じゃ、自分の助平な目にも 全然 気付いてなかったぞ、氷河の奴)
瞬に答えを迫る俺に――俺は おそらく必死の形相をして、瞬に答えを迫っている――星矢が呆れている。
呆れて当然だ。
俺は、人の思考を読み、その内容について あれこれ思索することだけをして、他のことには全く意識を向けていなかった。
自分が 自分の表情を――自分の心を――人に読まれていることに、全く気付いていなかったんだ。

(救いようがないほど鈍いな。まあ、氷河は子供の頃から こうだったが……。子供の頃のまま、全く 成長していないのは、ある意味 驚嘆に値する)
うるさい、紫龍。
余計なことを考えて、俺の邪魔をするな!
俺が欲しいのは、貴様のコメントじゃない。瞬の答えだ。

「瞬。答えてくれ」
(やだ。星矢たちのいるところで、そんなこと答えろっていうの……)
瞬の瞳に涙がにじんでくる。
瞬、すまん。
あとで いくらでも謝る。
あとで いくらでも謝るから、今は そんなことじゃなく、俺を好きかどうかを考えてくれ。
「瞬。おまえは俺を――」
大人しく待っていられなくなって、俺は瞬の腕を掴もうとした。
その手から、瞬が 素早く身を引く。
瞬の瞳は潤んでいて、その目の周囲は 微かに朱の色に染まっていて――俺は瞬に そんな無体なことを求めているんだろうか。
瞬は、今にも泣き出しそうだった。

「瞬、頼む。答えを――」
4度目――いや、5度目か。
俺に繰り返し“答え”を求められることに、瞬は それ以上 耐えられなくなったらしい。
瞬は何か言いかけて――きっと、俺への非難の言葉だ――だが、結局何も言わずに身を翻し、その場から逃げ出した。
“脱兎のごとく”とは、まさに このこと。
瞬が開け放したままにしていったドアが、どんな時にもクールに職務を全うするドアクローザーによって、冷酷な音を響かせ、残酷に閉じられる。
その音の中で、俺は ただ呆然とするばかり――。

なぜこんなことになってしまったのか、俺には まるで合点がいかなかった。
俺は、俺のマーマにも明かしたことのない秘密を 仲間に告白し、こいつ等の真の仲間になる決意をしただけだったのに、なぜ――なぜ こんなことになるんだ!

「あーあ。おまえ、ほんと、TPO わきまえてないっつーか、空気が読めてないっつーか、どーしよーもねーな! 人の心が読めるなんて冗談言って、ギャグセンス磨いてる暇があったら、空気を読む修行でもしてた方が、よっぽど有益だぞ。俺や紫龍のいるとこで、好きだの何だの、瞬に答えられるわけないだろ。瞬はデリケートなんだから。おまえ、少しは瞬の身になってやれよ!」
「救い難いな。こんな告白の仕方があるか。ほとんど脅迫じゃないか。瞬には 言葉や態度で迫るより、その手の花言葉を持つバラやチューリップの花を1輪、さりげなく手渡すくらいでいいんだ。瞬は それでわかってくれる」

やかましい!
俺だって、それくらい わかってる!
いや、たった今 わかった。
自分が人の思考を読めることばかり気にして、自分の方が人に心を読まれている可能性に考えを及ばせていなかったことも間抜けだが、それ以上に、よりにもよって瞬に あんな迫り方をした俺は大馬鹿者だ。
おまけに 俺は、自分で 自分の心をさえ読めていなかった。
こんなに瞬を好きな自分の心にさえ、気付いていなかったんだ。

すべては、糞の役にも立たない 変な力のせいで。
こんな力、何の役に立つっていうんだ。
人の思考を読めても何にもならない。
心を読めないなら、思考なんか読めても何にもならない。
人の心を読むには、思考が読める能力なんか、むしろ邪魔だ。
俺は、瞬の思考を読もうなんてことをせず、ただ 瞬の綺麗な目を見詰めていればよかったのに。
もっと前から そうしていればよかったのに。

「瞬みたいに 人の心を思い遣れとか、人に優しくしろとか、おまえに そんな高等技術まで要求しないけどさぁ。せめて 人の心を察するくらいのことはできるようになった方がいいぞ。他でもない、瞬のために」
「そして、それは、おまえ自身のためでもあるな」
星矢と紫龍が、何やら有難そうな忠告を垂れてくれていたが、それは俺の耳と心を素通りしていった。
奴等の有難い忠告を しみじみ噛みしめるのは、今 俺の眼前にある問題を解決してからだ。

俺は、今はとにかく、瞬に 瞬の心を傷付けたことへの謝罪をし、瞬に 俺を好きになってもらわなければならないんだ。
そのためには、どうすればいいのか。
今の俺に わかっているのは、そのための方策は、瞬の思考を読むことでは得られないということだけ。
人の考えを読む力も、永遠に融けない氷を作る技も、強大至極な小宇宙を生む力も、瞬の心を手に入れるという俺の願いの実現には 何の役にも立たない無用の長物なのだということだけ。

思考でもなく、感情でもなく、欲念でもなく、生理でもなく、だが それらすべてを含む 複雑怪奇な何か――恋。
おそらく、人間の営みの中で最も不可解な恋というものの前で、俺は ただただ 途方に暮れていた。






Fin.






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