瞬には、“手加減なしの可愛い じゃれ合い”と言って、一輝の暴力沙汰を ごまかした。
罪のない仲間に暴力を振るった男が平然としているというのに、暴力の被害者である自分が なぜ そんな虚言を弄さなければならないのか。
星矢は その点に関して 今ひとつふたつ 合点がいかなかったのだが、瞬に余計な気病みをさせないためには、それも やむを得ないことである。
とはいえ――だからこそ――この理不尽への不平不満を口にすることくらいは許されるだろう。
星矢が そう考え、その考えを実行に移したのは、『俺、今 急に、どーしてもどーしても ハーゲンドッチの きなこ黒蜜のアイスが食いたくなった!』と言い張って、瞬と氷河を買い物に行かせてから。
星矢は、自分の気配りに、自分で感動していた。

「一輝! おまえ、顔にコンプレックスでもあるのかよ! ここまで、氷河の顔にこだわるのは異常だぞ、異常!」
瞬がいなくなったところで、心置きなく瞬の兄を怒鳴りつけることができるようになった星矢が、木霊が生じるほどの大声をラウンジ内に響かせる。
それを馬鹿げた 言いがかりとでも思っているのか、一輝からは反論すらなく、
「ないと断じることはできないだろうな」
と、星矢に応じてきたのは龍座の聖闘士だった。

「え? あんのか? 顔へのコンプレックスが、一輝に?」
星矢が意外そうな顔になるということは、自分で言い出しておきながら、星矢は 一輝が自分の顔にコンプレックスを抱いているなどとは 露ほどにも思っていなかった――ということなのだろう。
口にする言葉の7割強が思いつきでできている星矢らしいといえば星矢らしい反応に、紫龍は苦笑を禁じ得なかった。
とはいえ、星矢の思いつき発言の的中率は、尋常でないほど高いのだが。

「ないとは言いきれないだろう――というだけのことだ。あくまで可能性の話だがな。星矢、おまえ、一輝にとって、この地上で最も美しい顔を持っている人間は誰だと思う」
「そりゃあ、瞬だろ」
「そうだ。だが、一輝と瞬は まるで似ていない兄弟だ。つまり、一輝は、一輝が最も美しいと思う人間に似ていないわけで――少なくとも 一輝は自分を美しい人間だとは思っていないだろう」
「ああ、そういう理屈かあ。でも、俺、一輝は、いい顔してると思うぜ。ちょっと暑苦しいのは事実だけど、男の顔としては上出来の部類じゃん。女受けは どうか知らないけど、男受けは、氷河の顔より一輝の顔の方が 断然いいだろ」

理不尽な暴力の被害に会っていながら、その暴力を振るった男の顔を、あっさりと“いい顔”と評する。
この屈託のなさは、星矢の美点――間違いなく美点だろう。
そんな星矢に比べると、確かに氷河は、わかりやすい美点を持っているとは言い難い男だった。

「んでもさ。真面目な話、おまえだって、瞬がほんとに面食いだとは思ってないんだろ? もし 本気でそう思ってんのなら、氷河の顔を一発 殴って、鼻の骨を へし折ってやれば済むことなんだから」
「……」
問答無用で自分を殴り倒してくれた男に、星矢が、屈託なく、またしても思いつき発言をかます。
そして、もちろん、その発言もまた 正鵠を射ているのである。
図星を指された一輝は、再び 心底から嫌そうな顔を作った。


そうして、話は振りだしに戻ったのである。
すなわち、
『救い難いマザコンで、瞬より強くもないし、瞬のように清らかな心を持っているわけでもない。洞察力が欠如しているから、人に優しくできるわけでもない。不器用で愛想もないし、世渡りもへた。なのに、身内を不幸にする才能にだけは恵まれている。つまり、氷河は、顔以外に 人より秀でたものが何もない男だ。瞬は、そんな奴のどこがいいんだ!』
という最初の疑問に。
要するに、一輝の苛立ちは、氷河の上に、顔以外の美点――瞬の兄が 文句のつけようもなく 腹の底から認められるほどの美点――を見い出せないという、ただ一事によるものなのだ。

聖闘士になれたことは、美点でも長所でもない。
瞬の周囲には、聖闘士が ごろごろいる。
地上世界の平和や正義のために命をかけて戦うことも、瞬の周囲の人間は誰でもしている。
それは、氷河だけの特徴でも特性でもない。
強さ、戦闘能力、友情の篤さ、仲間への誠意、人を信じることのできる人間だということ。
一般人に比べれば、氷河は十分に 様々な点で優越したものを持つ男といえるだろう。
だが、アテナの聖闘士しかいない場所で――瞬の境遇で、瞬の立場で――なぜ氷河なのか。
一輝は その点が どうにも得心できないでいるのだ。
誰もが聖闘士である場所で、氷河が他に優れている点といえば、やはり顔の造作――ということになる。

しかし、一輝には、彼の最愛の弟が軽薄な面食いだとは思えないし、思いたくない。
だが、瞬が面食いでないのなら、いったい瞬は氷河のどこがいいのか。
正義なら正義、邪悪なら邪悪。
愛なら愛、憎しみなら憎しみ。
白なら白、黒なら黒。
0か、1か。
有か、無か。
すべてを きっちり二つに分けて、自分が好ましいと思う方向に突進したい一輝には、この中途半端に割り切れない状況が不愉快でならないのだろう。
氷河の鼻の骨を へし折って済む問題なのなら、一輝は とうの昔にそうしていたはずだった。






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