星矢と紫龍の話はこうでした。 三つの国が それぞれ平和を保ちながら共存していることこそが、世界の平和と多様性を維持するためには最善と考えている南夏国の知恵者の女王は、以前から 東春国の行く末を 大層 憂えていたのだそうです。 調べれば調べるほど、東春国の現皇帝の暗愚は 東春国 ひいては世界を乱す原因になりかねないと思うようになり、南夏国の女王は、東春国には もっと賢明で指導力のある皇帝が必要だと考えるようになった。 そこで 女王が白羽の矢を立てたのが、現在 行方不明の前帝の妾腹の長子 ――すなわち、瞬の兄である一輝公子だったのだそうです。 瞬ではなく瞬の兄が選ばれたのは 統率力の問題で、瞬は その性格から判断するに、どう考えても君主タイプではなく参謀タイプだったから。 そして、行方不明の一輝公子を捕まえて帝位に就けるには、(ここが氷河には よく理解できなかったのですが)一輝公子の妹である瞬公主に恋人を持たせるのが最も手っ取り早いと、南夏国の知恵者の女王は考えたのだそうでした。 瞬公主の恋の相手として、南夏国の女王が選んだのが、北冬国の氷河で、その抜擢の理由は、年齢、容姿、身分の釣り合い。 及び、瞬公主が氷河の好み ど真ん中だということを、南夏国の女王が確信したから――だったとか。 星矢と紫龍は、南夏国の女王の計画が うまくいくのかどうかを疑いながら、それでも主命には逆らえず、かねてより友人だった氷河を、北冬国から この東春国に誘い出した――のだそうでした。 「ウチの女王様はさあ。東春国の風来坊公子は とんでもないシスコンだから、最愛の妹に恋人ができたら、心配で必ず故国に帰ってくる。だから、そこをふん捕まえて問答無用で皇帝にすればいいって、自信満々で言っててさ。俺も紫龍も半信半疑だったんだけど、ほんとに帰ってくるとは、びっくりだぜ。しかも、見計らったように絶妙のタイミング!」 「だが、まあ、これで 東春国も安泰だ。ちなみに、我等が女王は、風来坊公子を 東春国の帝位に留め置くには、氷河と瞬を結婚させてしまえばいいと言っていた。一介の風来坊のままでいたのでは、いくら東春国の公子といえど、北冬国の国王である氷河に逆らうことはできないからな。一輝は東春国の皇帝の権力を かさにきて、氷河に嫌がらせをするしかないだろうと。しかし、肝心の瞬公主が男子とは、我等が女王も さすがに そこまでは調査が行き届いていなかったか……」 南夏国の一介の家臣でしかない星矢と紫龍が、東春国次期皇帝(予定)を押さえつけたまま、南夏国の女王の計画を、氷河に(今になって)打ち明けてきます。 知恵者で有名な南夏国の女王の噂は 氷河も しばしば耳にし、星矢や紫龍から聞いてもいました。 彼女なら、こんな大胆不敵な計画を立て、実行に移すこともするでしょう。 できれば、事前に計画を教えておいてほしかったとは思いましたけれど、事前に計画を知らされていたら、自分は こんなにも純粋な気持ちで瞬に恋をすることはできなかったかもしれない――と考えると、氷河は 南夏国の女王の秘密主義は 恋人たちのためのものだったのだと思い、許すこともできたのです。 そんなふうに、氷河は 南夏国の女王の計画に あまり驚くことはなく、腹を立てることもせずに済んだのですが、東春国の二人は そういうわけにはいきませんでした――いかなかったようでした。 「北冬国の国王陛下 !? 氷河が !? 」 星矢と紫龍に取り押さえられている兄を心配顔で(ですが、再会を喜んで)見詰めていた瞬が、驚きの声をあげます。 その段になって、氷河は初めて、自分が何者であるのかを瞬に知らせていなかったことに気付いた――もとい、思い出しました。 氷河は既に北冬国の王位に就いていて、だから 東春国の皇帝にはなれなかったのです。 二つの国の君主の仕事を兼任できるほど、氷河は器用な男ではありませんでしたから。 「いや、まあ、その……。ウチは、家臣が揃いも揃って 優秀なんだ。出来の悪い国王に代わって 国の平和を保ち栄えさせることに、皆 熱心で。だが、二国の統治を兼任となると、あいつらも大変だろうし、東春国の民も、異国人による統治を わだかまりなく受け入れることはできないだろうし――」 弁解がましく そう言ってから、ここは もっと男らしく毅然とした態度を示す場面と考え直した氷河は、居住まいを正し、 「ともかく、俺は瞬を俺のものにする」 と、男らしく(?)毅然とした態度で(?)宣言しました。 途端に、瞬の兄が、横から吠えてきます。 「どこの馬の骨ともわからない男に、そんなことをさせてたまるか!」 北冬国の国王に向かって、『どこの馬の骨ともわからない』とは、なんて失礼な言い草でしょう。 『こんなに可愛い瞬を これまでずっと一人ぽっちにしていた無責任な兄貴には 何を言う権利もない!』と反駁しかけた氷河の機先を制したのは 星矢でした。 それまで 半ば呆れ顔で、彼の女王の計画の説明をしていた星矢が、突然 偉そうな顔になり、瞬の兄の咆哮を遮ったのです。 「えーい、控えおろう! ここに おわす御方をどなたと心得る。畏れ多くも、北冬国第12代国王、キグナス氷河陛下なるぞ。北冬国の国王陛下に意見できるのは、世界広しといえど、東春国の皇帝、南夏国の国王のみだ。控えろ、頭が高ーい!」 ここで、『おまえ等も意見しまくってるじゃないか』という事実を指摘するほど、氷河は馬鹿王ではありませんでした。 おそらく 星矢の偉そうなセリフも南夏国の女王の計画の内なのです。 そして、すべては南夏国の女王の計画通り。 星矢に偉そうに そう言われた瞬の兄は、 「いいだろう。王位でも帝位でも継いでやろう。瞬は絶対に誰にも渡さんぞ!」 と応じてきました。 『これは俺と瞬、二人だけのこと。貴様の許可など必要ない!』と 氷河が瞬の兄を怒鳴りつける前に、今度は瞬が 氷河の発言を妨げます。 「兄さん! 本当に この国の帝位に就いてくれるんですね!」 明るい瞳で 歓声をあげる瞬が あまりに可愛らしいので、氷河は、畏れ多くも北冬国第12代国王 キグナス氷河陛下の発言を遮った瞬を責める気にはなれませんでした。 まあ、世の中には、たとえ真実の言葉でも、たとえ正論であっても、黙っていた方が事態が うまく運ぶ場合があるものです。 まさしく、今が そうでした。 せっかく すべてがうまくいっているのに、ここで瞬の兄に臍を曲げられて『やっぱり皇帝になんかなりたくない』と言われてしまったら、瞬がまた 悲しい思いをすることになります。 氷河は、瞬のためになら、言いたいことを言わずにいることもできました。 そして、それは賢明な判断だったに違いありません。 氷河が この場は沈黙することで、東春国には新帝が即位。東の大国は、馬と鹿の区別もできないような皇帝を戴く必要がなくなり、皇帝を侮り横暴を極めていた増上慢な家臣たちは朝廷から一層され、まともな政治が行われるようになるでしょうから。 もとい。 『なるでしょう』ではなく『なりました』です。 一輝捕獲後も、すべては南夏国の女王の計画通り、すべては とんとん拍子に進んでいったのです。 東春国の馬鹿帝は、『東春国と南夏国の国境である東南山脈の裾野に、立派な馬がたくさんいる牧場をやろう』と言ったところ、それはそれは喜んで帝位の譲位に同意しました。 幸せや価値観というものは、人それぞれということでしょう。 馬と鹿の区別がつく新帝の即位が、東春国の すべての民を安心させ、歓迎されたことは言うまでもありません。 かくして、東春国の政情は安定し、人心もまた落ち着くことになったのです。 もっとも、東春国の政情不安が落ち着いた代わりに、北冬国の国王と東春国の皇帝の間に 瞬を巡る見苦しい争いが勃発し、それは今も続いているのですけれどね。 ですが、そこは明晰英邁の誉れも高い瞬が、絶妙の対応を為し、今のところは事なきを得ています。 「氷河、兄さん。お願いだから、仲良くして」 と 瞬に泣きつかれたら 嫌とは言えない二人が国王と皇帝なのですから、君主同士の嫌味の応戦はあっても、二国の間に 武力による衝突が起きることは考えられません。 それに なにしろ、いざという時には、南夏国の知恵者の女王の調停が期待できますし。 最近、瞬は、南夏国の女王と親交を持つようになっているそうです。 世界の平和は盤石と言っていいでしょう。 昔、国や人というものは、二つあるから、二人いるから、争い事が絶えず、また その争いによって生じた溝が決定的なものになってしまうのだと考えた人がいました。 力が二つあるということは、自分の他の存在が一つあるということ――比較対象が一つ、対抗相手が一つ、敵になり得るものが一つ、明確に存在するということですから。 その人は、ですから、国でも人間でも二つではなく三つ、もしくは三つ以上の勢力が並び立っていれば、世界は決定的な決裂を生まずに済むと唱えたのです。 これが、いわゆる“天下 三分の計”。 今、世界は そういう状態にあります。 皆さんは、『三つの勢力が並び立っているから うまくいくのは国同士のことだけで、恋は 二人だけの方がうまくいくのでは?』と思うかもしれませんね。 どうしてどうして。 一輝の邪魔立ては、氷河の恋の情熱を 否が応にも燃え立たせ、恋愛超初心者の瞬が盲目的に氷河に従い 流される事態を防いでいます。 星矢や紫龍が 脇から入れてくる茶々は、氷河の暴走を食い止め、何かと深刻に考えすぎる きらいのある瞬の心を軽くするのに力を発揮しています。 恋ですら、二人きりでいるより、第三者がいた方が うまくいくのです。 氷河と瞬の恋の顛末は、“恋愛 三分の計”として 辞書にも載っていますから、興味のある方は調べてみてください。 テストにも出る、重要イディオムですよ。 Fin.
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