「ところで、俺の相談事なんだが」
「おお、そうじゃった。いったい何じゃ。カミュの頑迷に耐えきれなくなったか」
“死”に重みのない聖闘士世界。
幾度も生き返ることを繰り返す仲間たちを見ているうちに、童虎は、実は カミュが故人であることを忘れてしまっているらしい。
脳細胞は若いはずだから認知症等の病に罹っているはずはないのだが、万一のことを考えて、氷河は その可能性には言及しなかった。
童虎の発言を無視して、本題に入る。

氷河の本題。
それは、つまり、
「どうしても解けない謎があって、悩んでいる。それを解いてほしい」
というものだった。
「解けない謎? どうしても解けない謎とは何じゃ。言ってみろ」
若き聖闘士の悩みに興味を抱いたのか、童虎が、彼にしては比較的 真面目な顔で応じてくる。
やっと真面目になってくれた(ように見える)童虎を見て、氷河も 真顔になった。

「瞬は知っているな」
「無論。時折、ここにも 季節の付け届けを持ってきてくれる。礼儀正しく、気配りのできる よい子じゃの。紫龍に聞いたところでは、確か――いや……」
童虎が 口ごもったのは、それが 言いにくいことだからではなかっただろう。
それが 言っていいことなのかどうかを迷ったわけでもなく――彼は、発言の許可を氷河から引き出したかったのだ。
責任逃れをするために。
その証拠に、
紫龍が(・・・)何を言っていたんだ」
と、氷河が水を向けると、彼は つかえる様子もなく、続く言葉を口にしてみせた。

「紫龍は、おぬしと瞬が 一方的不純同性交遊の関係にあると言っておった」
「何だ、それは。一方的――?」
「双方向ではないということじゃ。瞬からおぬしに対しては、一方的純粋同性交友。おぬしから瞬に対しては一方的不純同性交遊の関係にあると、紫龍は言っておったぞ」
そう告げた童虎は、氷河の応答を待たずに、
「まさか、おぬし、その是非を問いにきたのではあるまいの」
と、氷河に問うてきた。
童虎の 馬鹿げた質問に、氷河は内心で 大いに呆れてしまったのである。
そんなことで迷い悩むほど、氷河は幼くはなかった。
そんなことで迷う人間は、恋というものが どんなものなのかを知らない お子様だけである。
そして、氷河は お子様ではなかった。
少なくとも、氷河自身は そういう認識でいた。

「そんなことは、人に聞くまでもない。瞬を思う俺の気持ちは崇高なものだし、瞬は それを受け入れてくれているんだ。瞬が間違ったことをするはずがない。俺が知りたいのは、そんな基本的なことではなく――俺が どうしてもわからないのは――なぜ、星矢と紫龍は瞬に惚れないのかということだ。より正確に言うと、そんなことにはならないと、なぜ俺は信じているのかということだ」
「なに?」
今一つ――どころか、二つも三つも、氷河の語る謎の意味が 理解できない。
謎の答えが わからないのではなく、謎の意味するところが――謎そのものがわからない。
童虎は、氷河の前で遠慮する様子もなく、そういう顔を作った。
それが わかりにくい謎だということは、氷河も承知していたので、彼は自分が抱えている謎の内容を更に細かく噛み砕いて 童虎に説明したのである。

「老師も知っているように、瞬は、あの通り、可愛くて、綺麗で、清らかで、心優しく、まあ、一個の人間としては完璧と言っていい人間だ。人を傷付けるのが嫌いで、自分の命を奪おうとしている敵への攻撃すら ためらう瞬を 戦いに向いていないと評する者もいるが、それとて、瞬の優しさから出たこと。それが欠点だというのなら、瞬は、その欠点すら魅力なんだ」
「……」
氷河の言の正否はともかく、それは謎というより、単なる称賛なのではないか。
否、むしろ、“一個の人間としては完璧”な瞬を我が物にしている男の のろけ。でなければ、自慢なのではないか。
その いずれであったとしても、そこに謎はない。
――と、それは、童虎でなくても そう思っただろう。
氷河の言の どこに謎があるのか わからなかったらしい童虎が、氷河の意図を探るような目と言葉を 氷河に向けてくる。

「おまけに強いしの。にもかかわらず、人に強いという印象を与えないのは、瞬が謙虚で控えめで、仲間を立てるということを知っているからだと聞いておる」
「それも紫龍が言っていたのか」
「そうじゃ。おぬしは、そんな瞬とは真逆だとも言っておった」
“謙虚で控えめで、仲間を立てるということを知っている”瞬と真逆だということは、白鳥座の聖闘士が傲慢で図々しく、仲間を立てるということを知らない人間だということになる。
そんなことを飄々ひょうひょうとした態度で言ってのける童虎に むっとして、それはどういう意味だと反駁しかけ――だが、氷河は その直前で考え直し、口をつぐんだのである。

どういう意味も、こういう意味もない。
それは言葉通りの意味で、かつ、紛れもない事実である。
自分を謙虚な男だと思うような愚かな誤認を犯すほどには、氷河も 判断力に不自由はしていなかった。
事実を事実と認めた上で、それでも氷河の表情が不機嫌なままだったのは、氷河の不機嫌の原因が“白鳥座の聖闘士は図々しい”という事実のせいではなく、
「そんなふうに、紫龍も 瞬の美点は ちゃんと わかっているんだ」
という事実のせいだった。
つまり、氷河の不機嫌は、彼が抱えている謎のせいだったのだ。

「先日、瞬が中国茶のいれ方を覚えたいと言って、城戸邸の厨房で、紫龍に その手ほどきを受けていた。例によって例のごとく、星矢が、茶をいれるためではなく茶々を入れるために、その脇で騒がしくしていて――まあ、俺たちの間では よくある光景が繰り広げられていたんだ。そして、俺は、その和気藹々とした よくある光景を、よくある光景だと思いながら眺めていた」
「平和なことじゃの。結構なことではないか」
その平和な光景のどこに どんな問題があるのだと言いたげな顔で、童虎が合いの手を入れてくる。
だが、氷河には、 その平和こそが大問題だったのだ。

「そうだ。結構なことだ。だが 俺は、瞬たちが そうしているのを、平穏な気持ちで見ている自分に気付いて 愕然としたんだ。俺は、通りすがりの不細工な有象無象の輩が 瞬を見ると、それだけのことが気に障り 腹を立てる男だぞ。だが、星矢と紫龍は どれだけ瞬と一緒にいても、全く気に障らない。俺は それが不思議でならないんだ。それは奇妙なこと、理屈に合わないことだ。瞬の恋人としての俺の立場を脅かすことなど決してできない雑魚が瞬を見ることには腹が立つのに、そんな雑魚共と違って 俺を蹴落とす力を持っているだろう紫龍たちには、奴等が どれほど瞬と親しげにしていても、俺は気に障らない。それは、ウサギを恐れて 獅子を恐れぬ行為だ。どう考えても おかしい。理屈に合わない。俺は何かを間違えているのか。これは油断か、それとも 正しい行動なのか」

それこそが 氷河を悩ませている謎。どうしても解くことのできない謎だった。
だが、童虎にとっては、それは謎でも何でもなかったのである。
そもそも、いくら その姿が可愛らしいものであっても、瞬は男子なのだ。
男子である瞬が、男子である友人たちと仲良くしている様を見て 腹を立てることがあったとしたら、その方が よほど おかしいことだろう。
伊達に250年の時を生きてきたわけではない童虎は、その考えを口にすることはしなかったが。

「それは、紫龍と星矢が瞬に抱いているものが友情だということを、おぬしが信じているからではないのか」
250年の時を生きてきた男の当たり障りのない意見に、氷河が浅く頷く。
「瞬はそうだ。瞬が紫龍たちに向けるものは、大切な仲間への友情だ。俺は、だが、逆もそうだと信じていられる自分に疑問を抱いたんだ。瞬は あんなに可愛い。よほど ひねくれた奴でもない限り、誰だって瞬に惹かれる。街を歩いていて、横に彼女がいるのに 瞬に見入って、躓いて すっ転ぶ馬鹿男共を、俺は これまでに何人も見てきた。いったい紫龍と星矢は、瞬が可愛いことに気付いていないのか? それとも、奴等は目がおかしいのか」
「……」
『瞬に見とれて すっ転ぶ馬鹿男たちは、そもそも 瞬が男だということに気付いていないだろう』と、童虎が 声に出して言わなかったのは、へたをすると その発言は 歴とした男子である瞬への侮辱になりかねない――と、それを案じたからだった。
この場に瞬がいなくても――童虎は それは避けたかったのである。

「瞬は、紫龍たちの仲間で、友人で、幼馴染みで、その上 男子。しかも、平生は 同じ家で起居を共にしている。どれほど可愛い人間でも、毎日 顔を会わせていれば、人は それを見慣れてしまうじゃろう。俗に『美人は三日で飽き、ブスは三日で慣れる』と言うではないか」
「馬鹿な。瞬の可愛らしさに、俺は毎日 はっとさせられている。瞬は会うたびに可愛らしくなる。見慣れることなどあり得ん」
『それは 白鳥座の聖闘士がおかしいのであって、龍座の聖闘士と天馬座の聖闘士は まともなのだ』という言葉を、童虎が またしても口にしなかったのは、龍座の聖闘士を“まとも”と評することに、彼が抵抗を感じたから――だった。
そして、男が男に“毎日 はっとさせられている”ことを まともでないと決めつけるようなことをして、どこぞの人権団体からクレームがきても困ると思ったからだった。
童虎は、どこぞの人権団体に目をつけられないような理屈で、龍座の聖闘士は まともで(白鳥座の聖闘士に比べれば まともで)、白鳥座の聖闘士は まともではないことを、氷河に得心させなければならなかった。
しばし 考え込んでから、童虎は、おもむろに その作業に取りかかったのである。






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