二人のマリアのどちらが新聖堂に飾るマリアとして ふさわしいか。
2週間の作品公開期間終了後、その決定投票は行われた。
投票権を持つ成人男子は4万強。
二人のマリアは それぞれに1万票前後を獲得し、最も多かったのは、二人に競作させるべきであるという意味での棄権票だった。
リヴォルノ侯爵がトスカーナ大公に提案するまでもなく、新聖堂に飾る絵は二人の競作で行われることが決定したのである。

決定投票での獲得票数は 氷河のマリアの方が 瞬のマリアの獲得数より1割ほど多かったのだが、投票権を持たない婦人や子供、奴隷たちは圧倒的に瞬のマリアを支持していた――という情報を、氷河がリヴォルノ侯爵から聞いたのは、市民の票決が実施された日の数日後。
リヴォルノ侯爵は同時に、氷河が描いた絵のある個人宅を 瞬が熱心にまわっているという話も、氷河の許に運んできた。
瞬はそうして、いってみればライバルである氷河の描いた絵を『素晴らしい』『美しい』と絶賛しているらしい。
フィレンツェ市民の期待と希望を背負った二つの光。
その一方の光の振舞いは フィレンツェ中の噂になっている――ということだった。

「瞬が そんなふうなのに、君は 瞬のマリアへの評価を全く口にしない。それで フィレンツェの市民たちは、あれこれと勘繰っているようだよ。君が瞬のマリアについて沈黙しているのは、君が 瞬の絵を大したことがないと思っているからか、それとも 自身の負けを認めたくないからなのか――とね。誰もが、瞬の絵に対する君の評価を聞きたがっている」
それを最も聞きたがっているのは、どう見ても、そんな話を氷河の工房にまで運んできたリヴォルノ侯爵当人である。
老侯爵は、市民の噂になど まるで興味がないといった風情の氷河の顔を、なぜか ひどく楽しそうに窺っていた。

「俺の評価を聞いてどうなる。それで あのマリアの価値が増すわけでも減じるわけでもあるまい」
人間の好奇心というものは、歳を経れば 鳴りをひそめるというものでもないらしい。
うんざりした顔で 氷河が そう言うと、老いて ますます好奇心旺盛なリヴォルノ侯爵は、若いのに好奇心の持ち合わせがない(ように見える)氷河に焦れたように 彼を焚きつけてきた。
「歳が1つしか違わず、どちらも 遠い極東の島国からやってきた遣欧少年使節団ゆかりの者。どちらも、フィレンツェ近郊の村の出身で、フィレンツェに出てきて工房に入り、頭角を現してきた孤児。そして、どちらも素晴らしい美貌の持ち主。何もかもが同じなのに、その作品の印象は実に対照的。その上、画家当人たちの印象も対照的――確かに 二人共美貌だが、その美貌も対照的。フィレンツェ市民が 君たちの作品だけでなく、君たち自身に興味津々でいるのは 当然だろう。それとも、あれかな。君が瞬の絵に無関心を装うのは、そうすることでフィレンツェ市民の関心を煽り、自作の価値を上げるための作戦かね」

「そんなことをして、どうなる。それで俺の絵の価値が増すわけでも減じるわけでもない」
「無論、絵の価値は変わらない。しかし、評価は違ってくるよ。レオナルドとミケランジェロは不仲だったが、だからこそ、二人の支持者たちは躍起になって、自分の支持する芸術家の作品を持ち上げたんだ」
「……」
ああ言えば、こう言う。
氷河は、何が嬉しいのか やたらと楽しそうに若い画家を挑発してくる老侯爵に うんざりして、それ以上 一言も口をきかなかった。






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