アテナの聖闘士がどういうものなのか、人間の生きる世界がどういう仕組みで成り立っているのか。 その悲しい現実を知ってからも、瞬が修行を続けたのは――迷いながら修行を続けたのは――死ぬのが恐いから――だったかもしれない。 修行を積み、時間を重ねるにつれて、自分が強くなっていくのがわかる。 迷いだらけなのに、強くなっていく。 戦う術と そのための力だけが、自分の身に備わっていく。 この島で アルビオレ以外に自分に勝てる者はいないと確信できるほどに――いつのまにか 瞬は強くなってしまっていた。 だが、強い自分、強くなっていく自分が嫌なのだ。 身につけた力で人を傷付けることが嫌で嫌で たまらない。 だから、瞬は、修行仲間――アンドロメダの聖衣を巡ってのライバルでもある仲間たちと 対戦訓練をしなければならない時には、いつも 負けていた。 わざと負けているのではない。 “敵”を傷付けなければならない状況になると、瞬の手足は本当に動かなくなるのだ。 おそらく その胸中にある迷いが、瞬の身体の動きを止めていた。 そんな瞬を、アルビオレは いつも無言で見詰めていた。 小宇宙を燃やすまでもなく“敵”を倒す力はあるのに、敵を倒してしまわない瞬に、どんな指導も叱咤も与えることもなく。 アルビオレが無言なのは、瞬が自らの小宇宙を誰にも――師にも――示さずにいたからだったかもしれない。 戦闘の技術と力が どれほどのものであっても、小宇宙の力が使われないのであれば、それは聖闘士の戦いではないと思っているからだったかもしれない。 瞬が その力を示す時を、師は待っている。 瞬の迷いに比例するように力を増していく小宇宙。 しかし、瞬は、それを師に見せる決意を持つことができずにいたのである。 その力を師に見せた時、自分は否応なく聖闘士にならなければならないことを――迷いを抱えたまま、聖闘士にならなければならないことを――瞬は知っていたから。 「アンドロメダの聖衣が、誰かを呼んでいる」 とアルビオレが 彼の弟子たちに告げたのは、瞬がアンドロメダ島に来て6年が経った ある日のことだった。 「サクリファイスへの挑戦権は、ただ一人の人間にしか与えられない。明日、その者の選抜を行なう」 師の宣言は、瞬に覚悟を決めろと――迷いの答えを一つ出せと――求めるものだった。 その日、暮れかけたアンドロメダ島の浜で、瞬は海を見詰めていた。 青かった海と空に赤色が混じり、今は紫色。 やがて それは濃灰色になり、黒色になり、夜の海の色と夜の空の色になっていくだろう。 海や空が 迷いなく時を受け入れていくのは、それらに心がないからである。 人間には心というものがあるから、海や空程 潔くなることができない。 明日、サクリファイスへの挑戦権を手に入れる戦いに 名乗りを挙げるのは、おそらく レダ一人だけ――と、瞬は察していた。 戦いの技術と力では、この島では レダが図抜けていた。 ここで彼に聖衣を奪われれば――自分は、その夢や理想を叶えることはできない。 兄との約束を果たすこともできない。 それは わかっていた。 わかっているのに、それでも 瞬は戦いたくなかったのである。 戦えば、レダを倒すことはできるだろう。 迷いを捨てて戦えば。 だが、迷いを抱えたままでは勝てない。 本気で かからなければ、自分はレダに倒されるだろう。 レダには迷いがないから。 サクリファイスへの挑戦権を得るためには、本気で戦うしかない。 だが、本気で戦えば、数年間 この島で共に修行を積んできた仲間を傷付けることになる。 そんなことはしたくない――できない。 では、やはり、自分は すべてを諦め、何も成し遂げられない人間のまま 死ぬしかないのか――。 迷うことなく夜の色に染まっていく、紫色の空と海。 「ここで そなたに死なれては困る」 という声と黒い影が 瞬の前に現れたのは、紫色の空と海が いよいよ夜の色に染まり始めた時だった。 |