「アテナの聖闘士の鑑――理想のアテナの聖闘士というと、まず アテナに絶対の忠誠心を誓っていて、実際の言動もその通りであることが必要だろうな。もちろん、邪悪との戦いにおいては 誰よりも強くなければならない――少なくとも 負けてはならない。地上の平和を願う心も強固で、地上の平和を守るためになら、どんな状況においても 邪悪を倒す冷徹さも必要だ。更には、アテナが 人間の最高の美質であると考えている愛を備えていることも重要。してみると、アテナへの忠誠心、強さ、平和を願う心、愛。その4要素において 人後に劣らないと評価できる聖闘士こそが、アテナの聖闘士の鑑、理想のアテナの聖闘士といえるのではないか」 議題を提示した紫龍が、まず 理想のアテナの聖闘士の定義案を示す。 誰からも異議申し立ては行われなかったので、青銅聖闘士たちは その線に沿って討議を進めていくことになった。 「アテナへの忠誠心なら、シュラが いちばんアテナへの忠誠心が篤い聖闘士だって言われてたらしいけど、十二宮戦では そのシュラからして アテナに敵対してたぞ」 「強さは、時と場合と対戦相手によるな。身長や体重とは異なり、客観的な指標がないことが その判定を困難にする」 「地上の平和を願う心なら、瞬がいちばんかなあ。ジュデッカで、地上の平和のために本当に命を捨てようとした実績があるし」 「でも、地上の平和を願う心は、僕に限らず アテナの聖闘士なら誰もが抱いているものでしょう。実績っていうなら、黄金聖闘士全員が嘆きの壁で その心を行動として示してくれたし」 「そこは 個人で実践するのと グループで実戦するのの違いかな。個人が無報酬でする道路掃除は 善行してるーって 気がするけど、それをグループでやってると、おんなじ無報酬でも お勤めーって感じがするじゃん。個人とグループじゃ、印象と評価が全然違ってくるんだよな。で、愛に関しては――」 「俺ほど 愛に満ちている男はいないだろう」 それまで ほとんど討議に参加していなかった氷河が、このタイミングを逸してなるかと言わんばかりに 口を挟んでくる。 が、氷河の主張は、 「おまえの愛は 特定個人に向けられる愛だろ」 と言う星矢によって、言下に退けられた。 そんなふうに、特定個人に向けられる氷河の愛は あっさり退けることのできた星矢にも、では 誰なら“聖闘士の鑑”という評価に値するほどの愛を抱いているのかという問題の答えには 容易に行き着くことができなかったのである。 「アテナの忠誠心っていうのなら、アテナを奉じて戦った俺たちに敵対したことがないってのが必要条件だよな。となると、黄金聖闘士の中では、ムウ、老師、アイオリア、アイオロスの四人か」 「そこに、強さという要素を加えて考えると、ムウは ハーデス陣営についた振りをしてたシオンに逆らえずにいた。アイオリアはサガの拳に支配された。アイオロスはシュラに倒された――ということで、無敗は老師だけになる」 紫龍は 決して、己れの師を“アテナの聖闘士の鑑”認定したくて(身贔屓で)、そんな意見を口にしたわけではなかっただろう。 彼は 常に公明正大を心掛けている男なのだ。 現に 紫龍は、 「んでも、ヒルダからの タレコミによると、アテナが冥界で苦しんでた時、老師は アスガルドで のんきに遊んでたそうだし、今ひとつ アテナへの忠誠心に真剣味を感じないんだよな」 という星矢の言葉に反論反駁するようなことはしなかった。 己れの師であるからこそ、紫龍は、老師の楽観楽天振りを身に染みて知っていたのだ。 「言っておくが、俺の愛が個人的に過ぎて認められないというのなら、黄金聖闘士たちは全員、“愛”で失格だぞ。あの男たちの誰が 人類愛や博愛なんてものを背負っていたというんだ。堂々と、慈悲の持ち合わせなどないと公言していた男までいた」 少々 意趣晴らしの気が感じられないでもなかったが、氷河の黄金聖闘士全否定には 一理があった。 確かに黄金聖闘士たちには、人類愛や博愛というキーワードには縁が薄い。 「でもさ、そんなこと言い出したら、俺たち青銅聖闘士だって、あんまり立派なもんじゃないぞ。俺なんか、人類愛なんて そんなもの 意識して戦ったことは一度もない。一輝は 冥界で、地上の平和を守るために倒してくれって言った瞬を倒せなかったから、地上の平和を願う心で 今いち。氷河は、愛と忠誠心が個人対象。紫龍は、情より義の男とか言いながら、切れて脱ぐのは いつも情絡みだし、瞬は――」 「僕は最悪の聖闘士だよ。戦うのが嫌いなんだから」 そう言って笑う瞬の声と眼差しには まるで力がなく、ひどく寂しげだった。 人類愛など意識しなくても戦うことはできる。 特定個人への愛だけが突出していても、戦うことはできる。 切れて脱がなくても、戦うことはできる。 つまり、星矢たちは どうあっても聖闘士としての務めを果たすことはできるのだ。 だが。 戦うことが、聖闘士が聖闘士たる証。 その戦いを嫌いなのでは、聖闘士としてのレベルを語る以前。 聖闘士としての資質が不足しているというより、資質を有していないという方が正しいのだ。 それは アンドロメダ座の聖闘士の致命的な欠点だった。 「それがあったか……」 瞬の自己申告を受けて、星矢が肩をすくめる。 「改めて考えると、俺たちが これまでアテナの聖闘士として戦って勝ってこれたのって、ほんとに ほんとの奇跡だよな」 これまで 幾度も奇跡を起こし、神をすら倒してきたアテナの聖闘士たち。 奇跡の軌跡に、星矢と星矢の仲間たちは しみじみと感じ入ることになってしまったのである。 「黄金聖闘士たちや俺たちに限らず、アテナの聖闘士は皆 欠点だらけというわけか。それを“人間らしい”と言うこともできるだろうが……。つまり、残念ながら、アテナの聖闘士の中に“聖闘士の鑑”といえるような聖闘士は一人もいないということになるな」 それが、うまいボーから始まった“理想の聖闘士”“聖闘士の鑑”論争の結論にして結末だった。 |