決して完成することなく、いつまでも変化し進化し深化し続ける奇跡のような人を、失うわけにはいかない。 今は、ナターシャのためにも。 瞬を欲しいという気持ちが自分だけのものであっても、もちろん 氷河は“自分だけ”のために努力はするが、そこに“ナターシャのためにも”が加わると、これほど強い力はない。 “自分だけ”のための努力を、瞬の兄は“我儘”と評し、『我慢しろ』と言う。 しかし、“ナターシャのためにも”となれば。 “ナターシャのためにも”となれば、一輝でも それを“我儘”とは呼べないし、『我慢しろ』とも言えないだろう。 星矢も、紫龍も、そして 社会も。 そういう意味でも ナターシャは 氷河にとって、天からの恵み、神の恩寵、何物にも代え難い、まさに 天使のような存在だった。 以前は 欧米の個人主義と相容れない日本の家族主義を、害の多い旧弊と感じていたが、今の氷河に その考えはなかった。 それは、血ではなく 愛で結ばれた一つの単位なのだ。 そうであるならば、“家族”というものは、確かに 命をかけて守るだけの価値があるものである。 命をかけて守る価値がある家族。その構成員の一人である 氷河の可愛い天使は、今は リビングのテーブルに大判の写真集を広げ、そのページを あちこち行ったり来たりしていた。 「ペガサスの南に水瓶座、こっちにあるのが アンドロメダネビュラだよ、パパ。キレイー」 『ナターシャちゃんは綺麗なものが大好きみたい』と言って、瞬が買ってきた星と星座の写真集。 ナターシャが綺麗なものを好きなのは 当然のことだと思う。 なにしろ、毎日 瞬を見ているのだ。 この地上で最も美しい心と姿を持った人を。 「ああ、綺麗だな。ナターシャ。ナターシャは、瞬――マーマが好きか」 氷河の中では、“綺麗なもの”と“瞬”は一直線に つながっている。 氷河は、話を見当違いの方向に飛躍させたつもりはなかったし、ナターシャも そうは感じなかったようだった。 すぐに、 「大好きー」 という答えが返ってくる。 理詰めで理解しているのか、直感で悟っているのか。 ともかく、ナターシャは、氷河の好む賢さを備えている子供だった。 可愛らしく賢い娘を、膝の上に抱き上げ、座らせる。 「パパもなんだ。パパも瞬が大好きで、瞬がいないと寂しい。パパはパパの命より瞬が大切で、もし瞬が側にいてくれなくなったら、きっと悲しくて死んでしまうだろう」 「パパ、死んじゃイヤ」 パパの言葉に驚いたのか、ナターシャは氷河の膝の上で身体の向きを変え、パパの顔を覗き込んできた。 「パパも死にたくない。ずっと、ナターシャと一緒にいたい」 「ずっと一緒にいようよ」 「ああ。そのためには、パパとナターシャの側に いつも瞬にいてもらう必要がある」 「うん」 「だから、パパと仲良くしてと 瞬に 毎日 お願いするんだぞ。もし瞬がパパを嫌いになったら、瞬は パパとナターシャを置いて、どこかに行ってしまうかもしれない」 「そんなのイヤ」 氷河の目的は、ナターシャを不安にすることではない、 氷河は すぐに心配顔のナターシャの髪を撫でてやった。 「大丈夫だ。ナターシャが、パパとマーマと一緒にいると幸せで、マーマがいないと寂しいと言えば、瞬はずっと パパとナターシャと一緒にいてくれるだろう。瞬は優しいから」 「うん」 『瞬は優しいから』 その言葉の意味も、ナターシャは わかっている。 綺麗、優しい、強い、温かい。 今のナターシャの周囲には、そういうものが あふれているのだ。 そして ナターシャは、冷たいものは 温かさに恋い焦がれているということも、ちゃんと知っていた。 もしかしたら、ナターシャ自身が そういうものであるから。 「マーマ!」 ちょうど リビングに入ってきた瞬の許に、氷河の膝の上から飛び下りたナターシャが駆け寄っていく。 正面衝突しかねない勢いのナターシャを、衝突の直前で押さえてから、瞬は その場に膝をついた。 「ナターシャちゃん、どうしたの」 瞬の視線の高さが、ナターシャの それより僅かに下になる。 小首をかしげた瞬の顔を しばし見詰めていたナターシャは、そのまま瞬の首に両腕を絡めて しがみついていった。 「ナターシャは、綺麗で優しいマーマと いつまでも一緒にいたいそうだ」 ソファに掛けている氷河が、ナターシャの代わりに、ナターシャが 言葉ではなく その両腕に込めた思いを口にする。 ナターシャと瞬を見詰めている氷河の瞳を 見詰め返してから、瞬はナターシャの背中を撫でてやった。 「僕はずっとナターシャちゃんの側にいるよ」 「ホントー?」 「ほんと」 「ホントに ホントー?」 「ほんとに ほんと」 「ホントに ホントに ホントー?」 「ほんとに ほんとに ほんと」 そこまで言われて、ナターシャはやっと安心したらしい。 瞬の首に絡みつかせていた腕を解き、ナターシャは、マーマの言葉に嘘がないことを確かめるように、瞬の顔を凝視した。 瞬が いつも通りの笑顔でいることを認め、こくりと小さく、だが しっかりと力強く、首肯する。 「約束ダヨ。マーマがいないと、ナターシャもパパも寂しくて泣いちゃう」 「泣かせないよ。僕は ずっとナターシャちゃんと氷河の側にいるから」 「うん」 マーマの約束を手に入れたナターシャは、満面の笑顔になって、パパの膝の上に駆け戻った。 「パパ! マーマは、ずっとナターシャとパパと一緒にいてくれるって!」 「そうか。よかったな」 「うん! ヨカッター!」 “ナターシャの”お願いは 聞き入れられた。 “ナターシャの”願いは 叶えられるだろう。 ナターシャのために、氷河は『よかった』と言う。 幸せの約束を手に入れた父と娘。 瞬は、そんな二人を無言で見詰めていた。 |