さて、ところで。 苦悩している氷河を苦悩させたまま、星矢と紫龍が仲間の部屋から退散したのは、自分たちが氷河のためにできることは何もないと判断したからだったが、それとは別に、彼等が 氷河の病状解釈について 疑念を覚えたからでもあった。 その疑念とは、すなわち、 「俺さあ、なんか 氷河は間違ってるような気がするんだけど……。氷河は別にマザコンを こじらせてるわけじゃなくないか?」 というもの。 「うむ。どう考えても、氷河は、マーマと瞬を神聖視するあまり、自分の症状を間違って解釈している」 「あ、やっぱり? 氷河の奴、マーマは関係なく、普通に瞬に欲情してるだけだよな?」 仮にも男子である瞬に、同じく男子である氷河が欲情することを“普通”と言っていいのかという問題はさておいて、もともと星矢は、氷河を真正のマザコンだとは思っていなかったのだ。 少なくとも、病的なマザコンだとは思っていなかった。 ごく幼い頃、自分を守るために、目の前で母に死なれた子供が その母に対して抱く感謝と衝撃と愛情を、氷河は母に抱いているだけ――と、星矢は考えていた。 彼が、彼の姉に抱いている思慕の念と同じように。 「俺が思うに、氷河は 瞬への恋情のせいで マーマを忘れることに罪悪感を抱いているんだろうな。さきほどの瞬の話からすると、瞬も氷河を気に掛けているようだし、氷河の夜間陰茎勃起現象の解消に全く望みがないというわけでもなさそうだが――」 正式名称を使えばいいという問題ではない。 どんな呼称を用いても、氷河の身に起きている生理現象は変わらないのだ。 もちろん、その生理現象が起きなくなることもない。 氷河の陰鬱な凍気は、今のところは、基本的に 彼の内に向かい、外部には放射されていないらしく、ラウンジは適温が保たれていた。 氷河の部屋にいる時よりは 人心地がつき、星矢と紫龍の脳の活動も 通常レベルに戻りつつあったが、問題は何一つ解決していない。 星矢は、深く長い溜め息をつくことになった。 「ブラコンもどきと マザコンもどきの恋かー……。俺たちは、それで、ブラコンもどきと マザコンもどきの仲間のために何ができるんだよ」 「何もできんだろう。氷河が 瞬のせいで毎朝 苦慮していると、瞬に教えるわけにはいかん。少なくとも、俺は嫌だ」 「俺だって、瞬に んなこと言えねーよ!」 たとえ永久に氷の棺の住人にさせられることになっても、そんなことを あの瞬に言えるわけがない。 たとえ この命が終わることになっても、そんな ろくでもない現実を瞬に知らせることはできない。 そんなことは決して できないのだが。 「でも、じゃあ、瞬はずっと、氷河に嫌われてると思い込んだままかよ? そんなの、かわいそうだろ。瞬は なんにも悪いことしてないのに、氷河の むにゃむにゃのせいで――」 「では、瞬に教えてやるか? 氷河の夜間陰茎勃起現象を?」 「……」 アテナの聖闘士の人生は、なぜ こんなにも苦難に満ちているのだろう。 こればかりは、アテナに助力を求めるわけにはいかない。 星矢は今、いつも彼の行く手を明るく照らしてくれていた希望の光を見失いそうになっていた。 |