一生を共に過ごしたいと思えるほど愛している人、その人のためになら自分の命をかけることもできると断言できる人にチョコレートを贈り、嬉しい答えを もらえたせいで、余裕が生まれたのか、氷河はやっと星矢の存在を認知するに至ったらしい。 彼は 非常に機嫌がよさそうに(一見した表情は、相変わらず無表情だったが)、星矢に、 「来年まで待つ必要はない。おまえと紫龍の分のチョコレートもある」 と、思いがけないことを言ってきた。 「へ? おまえのチョコレートは、一生を共に過ごしたくて、自分の命をかけられるくらいの超本命だけに贈るチョコレートなんじゃなかったのかよ?」 氷河が瞬に贈るチョコレートは虚礼ではない。 瞬が仲間たちに贈るチョコレートも虚礼ではない。 しかし、氷河が瞬以外の人間に贈るチョコレートは、どう考えても虚礼である――虚礼でないはずがない。 断固とした虚礼廃止論者だった氷河が、いったい なぜそんなことを言い出したのか。 星矢の当然の疑念に対する氷河の答えは、 「それは そうだが、食べ物を粗末にするわけにはいかないからな」 というものだった。 そして、氷河は 実際に、星矢と紫龍のためのチョコレートを彼等の前に運んできてくれたのである。 大きなダンボール箱を2つ。 ポリ袋と氷河の凍気に包まれた、ダークチョコ、セミスイートチョコ、ホワイトチョコを それぞれ10キロずつ、合計30キロのチョコレートを。 チョコレートのテンパリング作業に最適の温度は30度。 緊張すると小宇宙が凍気を生んでしまう氷河にとって、その技術の会得は 常人の10倍も困難を極めるもので、テンパリングの特訓中、とにかく氷河は失敗の連続だったらしい。 氷河が 星矢と紫龍に贈る(後始末を押しつける)のは、瞬に贈ることができるレベルに到達するまでに 氷河が量産した失敗チョコレートの山だった。 それは 元々はフランスの一流チョコレートメーカーから取り寄せた最高級の(無論、高価な)チョコレートだったらしい。 が、高級チョコレートが高級であるためには、美しい姿をした少量のチョコレートが、いかにも高級そうな容器に並べられている必要がある。 成分が同じでも、ダンボール箱に無造作に詰め込まれているチョコレートは、お世辞にも“高級”には見えず、美味しそうにも見えなかった。 氷河が失敗チョコレートと言うだけあって、形は不揃いで いびつ、中には チョコレートの表面に 分離した脂が浮いているものもある。 たった一つの傑作を生むために、氷河は おびただしい数の失敗の山を築いていたのだ。 「これを俺たちに食えってのか !? 」 星矢は、震える声で、氷河に確認を入れた。 氷河が 事もなげに、 「ああ。頼む」 と答えてくる。 「……」 星矢が欲しかったのは、世界で十指に入る“可愛い子”から贈られるペガサスの形をした美味しいチョコレート(去年)や、チューリップやタンポポの形をした甘いチョコレートの詰め合わせ(一昨年)であって、無愛想な男から贈られるゴミの形をした脂の味のするチョコレートではなかった。 それでも、元は高価な高級チョコレートらしいから――と考えて、星矢は恐る恐る氷河からのバレンタインチョコレートを一かけら 齧ってみたのである。 星矢が 超過激なバレンタインデー廃止論者になったのは、まさに その瞬間だった。 Fin.
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