記憶の断罪






星空が美しいことは、勝利と成功の兆しなのだろうか。
その夜は晴れて月がなく、空気が澄み、いつにも増して星々の銀色の光が冴え、夜空が美しかった。
星の数も多い。
たくさんの星が見えるといっても、日本の都会の空のこと。
アンドロメダ島の夜空で輝いていた星々に比べれば、その数は百分の一 ――へたをすると、千分の一にも足りないほど少ないのだが。
星座を かたどった聖衣を その身にまとって戦う聖闘士にとって、星の姿が鮮明であることは 幸運の先触れであるような気もするが、人間の心というものは、美しすぎるものに不吉を感じるようにもできている。
瞬は、城戸邸のベランダから臨む星空を、“恐いほど美しい”と感じていた。
そして、疑っていたのである。
これらの美しい星たちは、明日 聖域に向かうアテナの聖闘士たちの前途を祝してくれているのか、それとも悲しんでいるのだろうかと。

「瞬? 外に何かあるのか?」
室内から、氷河が尋ねてくる。
『不吉』『恐い』『不安』――そんな言葉を口にするのが嫌だったので――明日 共に聖域に向かう氷河のためにも、そんな言葉は口にすべきではないと思ったので――瞬は、咄嗟に答えを ごまかした。
「あ、ううん。アンドロメダ島で見る星空より、星の数が少ないなあと思って」
「それは仕方あるまい。北半球の日本と赤道直下のアンドロメダ島では、見える星も違うし――都会は明るいから、存在する星も肉眼では捉えられない」
「存在する星も……」
室内に戻らない瞬に 業を煮やしたのか、氷河がベランダに出てくる。
星空には一瞥をくれただけで、彼は 恋人の表情を確かめるように 瞬の顔を覗き込んできた。

「まさか 星の光に怯えているわけではないだろうな」
「え?」
「不安そうな目をしている」
瞬が口にすることを避けた言葉を、氷河は 事もなげに口にした。
アンドロメダ座の聖闘士が逃げようとすることに、氷河は平気で触れる――逃げようとはしない。
氷河らしいことだと、瞬は思ったのである。
氷河は、『恐い』からも『不安』からも『好き』からも逃げない。
まっすぐに、ためらうことなく口にし、対峙する。
口にすることなく 胸に わだかまらせておくより、言葉として 自分の外に吐き出してしまった方が、氷河のためにも 自分のためにも いいのかもしれないと、瞬は考え直した。

「見えている星に怯えているんじゃないの。僕は……見えない星に怯えているのかもしれない」
「見えない星に?」
「そうみたい。今、氷河に言われて気付いた」
「人は、目に見える危険より、正体のわからない不安をこそ 恐れるものだが……そうではないようだな」

他人のことなど気にせず 我が道を行くタイプの人間である氷河が、そんなふうに瞬の心や感情を読み取れてしまうのは、氷河の申告によると、『好きで、いつも見ているから』らしい。
好ましくないものは、そもそも見ないから気付かないのであって、自分が鈍いわけでも 観察眼がないわけではない――というのが、氷河の主張だった。
『おかげで、俺には嫌いなものはない。好きなもの、綺麗なものしか見ないし、見えないから』というのが。
氷河の言葉は半分は事実で、半分は嘘だと思う。
氷河が見ないのは“好ましくないもの”ではなく、彼の直感が“どうでもいい”と判断したもの――なのだ。
彼の直感が“どうでもいい”と判断したものが、一般的には 重要な(とされている)ものであることが多いので、氷河は余人に“周囲を見ない男”と思われることが多いのである。

氷河の謙遜――なのだろうか?――を、瞬は あまり真に受けないようにしていた。
『綺麗なものしか見えない』と、氷河が瞬に言うとき、彼の瞳には、当然のことながら アンドロメダ座の聖闘士の姿が映っている。
氷河の それは、いわゆる恋人の機嫌をとるための言葉、恋人への媚びであり世辞。
氷河自身は、そういう言葉を 本気で大真面目に言っているので、瞬としても対応に困るのだが、とにかく それは事実とは異なる。
彼は、“綺麗なものだけを見ている”のではなく、“(彼が)綺麗だと思うものしか見ていないと思っている”だけなのだ。

いずれにせよ、氷河はアンドロメダ座の聖闘士の不安に気付いてしまった。
気付かれたら、ごまかせない。
氷河は、彼の恋人――彼が 好きで綺麗だと思う人――を不安なままにしておくことができない。
彼は、その原因を究明し、解決策を練るだろう。
それは 瞬には持ち得ない勇気で、瞬は そんな氷河の勇気が 羨ましく――時に 恐いと感じることさえあった。
氷河は、傷付くことを恐れない。
であればこそ、彼は 平気で、同性の戦友に、『好きだ』と告げることもできるのだ。
『だから、おまえを俺のものにしたい』と。

そんな 氷河の勇気、氷河の無謀が羨ましく、圧倒されて、自分は彼を受け入れてしまったのかもしれない――と思う。
二人でいる時には、氷河は驚くほど優しい恋人で、瞬は 氷河を受け入れたことを後悔してはいなかったが。
彼が彼の母を慕う、その愛情の深さ。
それほど人を愛する心とは、どんな心なのか。
彼に愛されることで、それを確かめてみたいと思う気持ちもあったかもしれない。
周囲を顧みない氷河の奔放に振り回されることも多かったが、瞬は氷河と共に過ごす時を重ねるにつれ、自分が“氷河なしでいることを つらいと感じる自分”に作り変えられていることを実感していた。

とにかく、氷河に不安を見透かされてしまったら、その理由を語るしかない。
氷河に 隠し事はできない。
氷河は、どうあっても、その理由を聞き出すだろう。
以前、氷河に隠し事をして――それは、氷河を気遣えばこその隠し事だったのに――瞬は ひどい目に会っていた。
あの時のように、挿入を お預けにされて隠し事を白状させられる事態は避けたかったので(あの時の自分の浅ましい様を思い出すと、顔から火が出る思いがする)、瞬は正直に 氷河に自らの不安を語ることにしたのである。

明日 初めて、瞬と瞬の仲間たちは、アテナと共に、彼女の聖闘士として聖域に足を踏み入れる。
そのイブを、瞬は、(あまり)浅ましいことをして過ごしたくなかった。






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