瞬が世界的に有名な振付師たちに提供した“重要な情報”は もちろん、アクエリアスの氷河が キグナス氷河だった頃のオーロラサンダーアタックの前振りダンスの映像だった。 嫌がらせなのか何なのか、紫龍が、カウンターテーブルの上にある瞬のパソコンの向きを変え、“重要な情報”を再度 再生する。 氷河は すぐに、瞬のパソコンの向きを元に戻した。 「それにしても、いつのまに、こんなものを――」 「僕が作った動画だよ。今の氷河の画像データにキグナスの聖衣をつけさせて、振り付けは……僕の脳裏に焼きついてるから」 「ん……まあ、見事なものだ。あの頃の氷河そのままだ」 紫龍は、抑えても抑えても湧き上がってくる笑いを噛み殺すのに苦しそうだったが、 「んにゃにゃ。案外 これだって、300年後くらいには 芸術作品として認められるようになってるかもしれないぜ。ゴッホとかゴーギャンとかって、生きてる時には全然 認められてなかったんだろ?」 星矢は、もはや 笑いを隠すつもりもないようだった。 もっとも 氷河自身には、そんな星矢の爆笑より、 「僕はとても素敵だと思うんだけどね……」 という瞬のフォローの方が、精神的に きつかったかもしれない。 「ともかく、これで、どこぞのバレエ団も、ダンスカンパニーも、舞踊団も、ボクシングジムも、体操協会も、スケート連盟も、陸上競技連盟も、芸能プロダクションも、裸足で逃げ出して――いや、氷河の獲得を 涙をのんで諦めてくれるだろう」 「そりゃあ、謹んで ご遠慮するだろ。こんな奇天烈なものを見せられたんじゃなあ」 命をかけた戦いを共に戦ってきた仲間に対して 随分な言い草である。 だからといって、この解決方法を考えた瞬を責めるわけにもいかない。 なにしろ、瞬が繰り出した最終奥義によって、アクエリアスの氷河が ろくでもない大ピンチから逃れることができたのは 紛れもない事実なのだ。 氷河は、この結末を大団円として受け入れるしかなかったし、実際に そうするつもりだった。 が。 この結末を大団円として受け入れることのできない人間が、その場には 一人いたのである。 それは、何を隠そう――隠す必要もないが――アクエリアスの氷河の愛娘ナターシャ その人だった。 (アクエリアスの氷河を除く)アテナの聖闘士たちが 笑って迎えた大団円の場で、ただ一人 ナターシャだけが、顔をむーっ としかめ続けていた。 ナターシャに その顔を しかめ続けさせている原因は もちろん、カウンターテーブルの上で繰り返し再生されているキグナス氷河の白鳥の舞の映像である。 それまで掛けていたテーブル席から立ち上がったナターシャが、カウンター席のスツールに よじ登る。 そうして彼女は、カウンターの中にいる氷河に向かって、 「パパ、今のままじゃ、ナターシャ、“パパといっしょにレッツお遊戯”に、恥ずかしくて出ラレナイヨー」 と訴えたのである。 とても――とても深刻な目をして。 「……」 世界的に有名な振付師の わざとらしい逃げ口上も、瞬の肖像権侵害行為も、仲間たちの嘲笑も、ポーカーフェイスで やり過ごすことのできた氷河の口許が、初めて小さく歪む。 世界的に有名な振付師の わざとらしい逃げ口上にも、瞬の肖像権侵害行為にも、仲間たちの嘲笑にも動じることのなかった(動じていない振りをすることができていた)アクエリアスの氷河。 そのアクエリアスの氷河の強靭な精神力を もってしても、たった一人の愛娘に 憂い顔で『恥ずかしい』と言われることは、彼の持てる全小宇宙を投入しても耐えられない苛烈激烈な衝撃だった。 氷河が、ナターシャの指導のもと、可愛い お遊戯の特訓を始めたのは、その翌日から。 ナターシャの部屋のドアに鍵をかけ、瞬にも室内を見ることを許さずに、ナターシャと氷河の秘密の特訓は続いている。 ナターシャが選んだ お遊戯の曲は“森のくまさん”。 『“パパといっしょにレッツお遊戯”に出て、パパと一緒に 素敵なお遊戯をする』というナターシャの夢は、いつか叶う日がくるのだろうか。 お遊戯の神様も ご存じないという噂である。 Fin.
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