そういう事情で、翌日、瞬は いつものように氷河と共に星の子学園に赴いたのである。 「こんにちは」 頼まれれば雑用もするが、瞬も星矢同様、基本的には非ボランティア――必ずしも 奉仕作業をするわけではないという意味で、非ボランティア――である。 瞬が 星の子学園に行ってすることは、主に子供たちと遊ぶこと――だった。 美穂たち星の子学園の職員たちは、 「それが いちばん大変なの」 と言って、いつも瞬の訪問を喜んでくれていたが。 「瞬さん、いらっしゃい」 その日も、瞬と氷河の姿を見ると、美穂は笑顔で二人を迎え入れてくれた。 瞬は愛想よく 挨拶をしたが、氷河は『こんにちは』も言わない。 星の子学園訪問時の氷河のスタンスは“瞬の付き添い”で、氷河こそが“何をしに来ているのかわからない微妙な訪問者”だった。 そんな氷河をすら“奇妙”と思わない美穂たちが、奇妙と感じるボランティア。 確かに それは奇妙な事象だった。 「新しいボランティアの方がいらっしゃっていると、星矢から聞いたんですけど」 「そうなのよ……!」 星矢経由で話が通じていることに安堵したのか、少々 気負った様子で頷いてから、美穂は声のボリュームを落とした。 「芳司ファシリティっていう会社の社長令嬢とかで、身元は確かなのよ。家事や子供の世話に慣れていないらしくて、手際がいいわけじゃないけど、熱心だし、真面目だし、子供たちに接する態度も問題はないの。でも、私たち、どこかが これまでのボランティアの人と違うって――違うように感じるのよ……」 美穂は、比較的、人の好悪が はっきりしている少女である。 なにしろ 彼女は、あの城戸沙織を、『星矢ちゃんを危険な目に会わせるから嫌い』と言ってのけるほどの勇者なのだ。 だが、それは、星矢の身を案じるがゆえに 言わずにいられなかった言葉。 本来は優しい心の持ち主で、根拠なく 人を悪く言うことはない。 その美穂が 口ごもるのは、もしかしたら彼女が、明確な根拠なく人を奇妙と感じる自分に戸惑っているせいなのかもしれなかった。 ともあれ、瞬は、問題のボランティア氏――もとい、ボランティア女史――に会ってみることにしたのである。 「みんな、瞬さんが来てくれたわよ」 瞬が、美穂と共に遊戯室に入っていくと、 「瞬ちゃん!」 「わーい!」 折り紙で人形を作っていた女の子たちや、ブロックで船や自動車を作っていた男の子たちが、瞬の周りに集まってきた。 瞬は腕白な男の子たちとサッカーをすることもできるが、女の子たちの遊び相手もできるので、いつも 子供たちの間で奪い合いが起こる。 何のために やってくるのかわからない無表情の氷河が 瞬の側についていることにも、子供たちは慣れていて、彼等は見事に 氷河を“いないもの”として無視していた。 が、子供たちが危険なことや喧嘩をしないようにと、その場にいた問題のボランティア女史は、そうはいかなかった――二人いる人間の一方だけを無視するという器用なことはできなかった――らしい。 「瞬ちゃ……瞬さん? あれはどなた? あの二人、恋人同士?」 「え?」 奇妙なボランティア氏に 突然 そんなことを尋ねられて、美穂は少なからず驚いたようだった。 おそらくは、美穂の中に そういう発想が全くなかったから、そういう発想ができるボランティア女史が――その発想が――美穂には奇異に思われたのだろう。 「まさか。瞬さんと氷河さんは、友人同士っていうか、仲間同士っていうか、そもそも瞬さんは、あれで男の人よ」 「お……男の子 !? 」 美穂の言葉に、今度はボランティア氏の方が驚いて、その目を見開く。 その様を見て、美穂は、ボランティア氏の発想はそれほど おかしなものではないと思い直したようだった。 瞬が男子だということを知らない人間には、それは至って自然な考えなのだ――と。 「そうね。瞬さんが男の人だってことを知らない人には、あの二人が そう見えても 全然 不思議じゃないわよね。二人共 綺麗だし――確かに、一見しただけなら、普通に お似合いのカップルだわ」 「ええ……ほんと」 「瞬さんは。あの通り、綺麗だし、優しいし、サッカーから手芸まで何でもござれで、子供たちに とっても慕われてるの。やっぱり ご両親がいなくて、ここではない別の擁護施設で暮らしていた時期があって……昨日、男の子たちとサッカーしてた星矢ちゃんの お友だち」 「あの方も、こんなふうな施設で……とても そんなふうには――」 サッカーだ、ビーズ作りだと騒ぐ子供たちの歓声に半ば 掻き消されていたが、美穂たちの会話は 瞬には明瞭に聞き取れていた。 その気になれば、絶対音感を稼働させることもできる聖闘士の耳。 和音の聞き取りなど、それこそ 児戯にも等しい。 そんな瞬に聞こえてくる美穂とボランティア女史の何ということもないやりとり。 だが、美穂は既にボランティア女史に“奇妙さ”を感じているらしい。 そんな自分の気持ちを隠して――隠すために――美穂は、瞬に群がっている子供たちを掻き分けて、瞬の側に歩み寄ってきた。 「瞬さん、こちらが先週から うちの学園に通ってきてくれてるボランティアの芳司宮子さん」 「はじめまして。瞬です」 「あ、芳司です。よろしく」 おそらく、一度も染めたことのない つややかなセミロングの黒髪。 目鼻立ちの整った、典型的アジア系美人。 陽性ではないが、陰気でもない。 積極的な親しみやすさは感じないが、人見知りというわけでもなさそう。 彼女に対する瞬の第一印象は、“どこが奇妙なのか、わからない”。 “芳司宮子さん”は、瞬の目には ごく普通の若い女性に見えた。 そして、なぜか 瞬は、彼女が氷河と並んだら、実に鮮やかな対照を成す一対になるだろうと、そんなことを考えたのである。 氷河と対照的な色合いの芳司宮子は、美穂が自分に瞬をしか紹介しないことを奇異に思ったのか、少しばかり戸惑ったように、美穂と氷河の上に交互に視線を走らせ、最後に その視線を床に落とした。 美穂にしてみれば、氷河は“星の子学園への訪問者”ではなく“瞬の付き添い”“瞬の付随物”という意識(無意識)があって、それゆえ 美穂は氷河を芳司宮子に紹介することすら思いつけなかっただけだったのかもしれない。 が、それは、客観的に見れば、確かに奇妙なシチュエーションだったろう。 瞬は、美穂が宮子に感じている“奇妙”も、そんなふうな行き違い――既知の知識のずれ、前提の違い――によるものなのかもしれないと思ったのである。 「あ、で、こっちは氷河と言います。僕の友人で、僕が子供たちに遊ばれないように ついてきてくれている、僕の お目付け役です」 瞬が、客観的に見ると“奇妙なこと”を解消するために、氷河を宮子に紹介すると、彼女は ほっとしたように顔を上げ、 「芳司宮子です。よろしく お願いします」 と、氷河に頭を下げた。 氷河は無言で奇妙なボランティアを見下ろしている。 氷河の無愛想を知っている者には、氷河は通常運転をしているだけなのだと わかるのだが、それもまた 客観的に見れば奇妙な対応――むしろ失礼――だったろう。 瞬は、ますます、人が人を奇妙と感じるのは こんなずれが積み重なってのことなのだという思いを強くしたのである。 氷河の無愛想に めげたのか めげなかったのか、少し気落ちしたような声音で、宮子は、氷河ではなく瞬に向かって――もとい、氷河と瞬の間の空間に向かって――彼女のボランティア志願の事情を語ってくれた。 「城戸沙織さんから、星の子学園のことを伺って――私、以前から慈善事業に興味があったんです。かわいそうな子供たちを幸せにしてあげたくて」 「……」 宮子の隣りで、聖闘士の目でなければ見逃してしまいそうなほど微かに、美穂が唇の端を震わせる。 そのタイミングからして、美穂が引っ掛かったのは、彼女が嫌いな“沙織お嬢様”の名でもなければ、『以前から慈善事業に興味があった』という言葉でもない。 美穂の心は『かわいそうな子供たち』というフレーズに引っ掛かったようだった。 美穂の気持ちは、瞬にも わかるような気がしたのである。 美穂も、この星の子学園で育った子供の一人。美穂も“かわいそうな子供たち”の一人である。 美穂は、自分や星の子学園の子供たちが“かわいそうでない人”に“かわいそうな子供たち”と言われることが(それが事実であったとしても)嬉しくないのだ。 たとえ宮子が 優しさから そう言っているのだとしても。 だが 宮子は、もちろん優しさから――彼女自身は そのつもりで――その言葉を口にしたのである。 少し複雑な気持ちで、瞬は 宮子に、 「お優しいんですね」 と告げた。 瞬に そう言われた宮子が嬉しそうに、 「普通の家に生まれなかったのは、子供たちのせいじゃないですものね。この学園の子供たちにも幸せになる権利はあると、私は思うんです」 と答えてくる。 美穂は もう、聖闘士の目を持っていない人間にも見てとれるほど はっきりと顔を歪めていた。 宮子は、星の子学園の子供たちが、今は幸せではないと決めつけている。 美穂が彼女を“奇妙”と感じる訳が、瞬には徐々に わかってきた。 |