『ナターシャちゃんと僕が大好きだから、氷河は絶対に どこかに飛んで行ったりしないよ。どうしても、どこかに飛んでいかなきゃならなくなったら、その時には、ナターシャちゃんと僕を一緒に連れていくんだって』 『ナターシャと俺から離れたら 寂しくて生きていられないから、絶対に どこにも飛んでいかないと、瞬は俺に約束してくれた。瞬は約束を破るようなことは決してしない』 マーマとパパが そう言ってくれたと、ナターシャが 星矢たちに嬉しそうに報告してきたのは、それから数日後。 憂いが消え去ったナターシャの明るい笑顔に、星矢と紫龍もまた、笑顔で答えたのである。 氷河さん宅のリビングルームのテーブルには、紫龍が持参した春麗お手製の蛋撻。 桃饅頭と並ぶ、ナターシャの点心二大お気に入りの登場に、彼女はご機嫌だった。 小さめのタルトの1個目を食べ終えたナターシャが、 「星矢お兄ちゃんと紫龍おじちゃんは、どうして いつも パパとマーマの やぎさんゆうびんしてるの?」 と尋ねてきたのは、瞬がキッチンに立った時。 おそらく 勘のいいナターシャは、それが瞬に聞かれてはならない話だということを、鋭い直感で気付いている――そう感じているようだった。 「やぎさんゆうびん? 何だ、そりゃ」 質問の意味が わからなかった星矢が 反問すると、彼の隣りにいた紫龍が、ナターシャの質問の意図ではなく、“やぎさんゆうびん”それ自体の説明を始める。 「“しろやぎさんから お手紙ついた。くろやぎさんたら 読まずに食べた”。手紙が届くたびに読まずに食べてしまう黒ヤギと白ヤギの間で 手紙の用件は何だったのかを問う手紙が 延々と やり取りされる様子を歌った童謡だ」 「それくらい俺だって知ってるって。ヤギと連絡 取り合う時は、電話かメールにしろって歌だろ」 星矢が わざと 頓珍漢なことを言っていることは わかっているのだが、律儀な紫龍は 律儀に その顔をしかめた。 賢くて素直なナターシャが、わかっていない星矢お兄ちゃんのために、質問を変える。 「ソウジャナイヨー。パパはマーマが大好きで、マーマはパパが大好きなのに、どうしてパパは そのこと マーマに言わなくて、マーマもパパに言わなくて、星矢お兄ちゃんと紫龍おじちゃんに言ウノー?」 「なに?」 「星矢お兄ちゃんと紫龍おじちゃんは、どうして いつも、パパに マーマが『とってもとっても大好き』って言ってるって教えてあげて、マーマに パパが『すっごくすっごくアイシテル』って言ってるって教えてあげるの。パパとマーマは恥ずかしがりやさんなの? だから 直接 言ワナイノ?」 「いや、俺たちは氷河と瞬の相談に乗ってやってるのであって……」 笑いながら ナターシャの勘違いを正そうとした星矢は、その言葉を途中で途切らせることになったのである。 ナターシャが勘違いしていないことに気付いて。 今頃になって、やっと気付いて。 「俺、氷河と瞬の悩み相談に乗ってやってるつもりだったんだけど……。もしかして 俺って、毎回 あいつらのラブレターを届けてやってただけなのか? 俺って、もしかして郵便屋さん?」 『その通りだ』と、紫龍は答えなかった。 彼が『その通りだ』と答えなかったのは、衝撃の事実に自失しかけている仲間への気遣いだったのかもしれない。 もっとも、紫龍は、『その通りだ』と答える代わりに、 「気付かずにいたのか?」 という、一層 冷酷な答えを星矢に返すことはしたが。 紫龍の冷酷な返事を聞いた星矢が、本格的に自失する。 「まあ、その手のことは……大上段に構えて言うと、それが事実であっても 大袈裟に聞こえることがあるし、正面きって 直接 当人に言うと、わざとらしく響くこともあるし、相手に伝えたいことを いったん第三者の手に委ねるスリルや緊張というものもあるだろうし」 「いや、でも、なんだって、そんな まわりくどいことを……。氷河と瞬なら――」 「氷河と瞬の心が、本当に あれほど すれ違っているわけがないだろう。毎晩 一緒に寝てるのに」 「そ……それは そうだろうけど……」 「俺たちが届けてやっているラブレターを読んで、あの二人は さぞかし毎晩 燃え上がっていることだろう。そう 卑下することはないぞ。確かに俺たちのしていることは道化ているが、あの二人の仲が良好なことは 地上の平和の維持に役立つことでもある」 紫龍の語る地上世界の平和維持方法を聞いた星矢が嫌そうな顔をする前に、ナターシャが、 「火事ーっ !? 」 と驚きの声を上げてくる。 この家で 毎晩火事が起きていることをナターシャが知るのは、10年 早い。 ぽかんとしている星矢のフォローは後まわしにして、紫龍は先にナターシャの懸念を消し去る作業に取り掛かった。 「ナターシャは、かっこいい男の子に『ナターシャちゃんが好きだ』と言われたら嬉しいだろう?」 「カッコイイ男の子? パパみたいにー?」 「……。ナターシャが、氷河みたいなのを かっこいいと思うのなら、それでもいいが」 「パパみたいな男の子なら、ナターシャ、嬉しいヨー」 「……」 ナターシャは着実にファザコンへの道を歩んでいるようである。 その病は いつか治療しなければなるまいと、紫龍は胸中で思った。 「うむ。だが、それとは別にだ。たとえば、『パパみたいに かっこいい男の子がナターシャのことを好きだと言っていた』と 星矢から聞かされることには、直接『好きだ』と言われることとは違う嬉しさがあるだろう?」 紫龍の持ち出した仮定文を、ナターシャは自分の中でイメージすることを始めたらしい。 しばし 考え込む素振りを見せてから、ナターシャは 少し こそばゆそうに、 「ナターシャ、どきどきするー」 という結論を発表した。 ナターシャは賢い。 彼女は そうして すぐに、氷河と瞬が その“どきどき”を楽しんでいることを理解したようだった。 ナターシャが理解したことを確認し、相変わらず 自失状態の星矢に一瞥をくれてから、紫龍は再度 ナターシャの上に視線を戻した。 「俺と星矢は、昔から、そういう役どころなんだ。氷河と瞬の間の やぎさんゆうびん」 「ヤクドコロって、ナニー?」 「それがお仕事だということだ」 「パパの『マーマ 大好き』を マーマに教えてあげて、マーマの『パパ 大好き』を パパに教えてあげるのが?」 星矢と紫龍の職務内容を、ナターシャが はっきり言ってくれる。 とうの昔に 開き直りが済んでいる紫龍とは違い、ナターシャの その言葉は 星矢を更に落ち込ませることになった。 賢いナターシャは、その上 ご丁寧にも、 「星矢お兄ちゃんと紫龍おじちゃんは、トッテモ 優しいネ」 という評価を下し、星矢にとどめを刺すことまでしてくれたのである。 優しい人は、常に その両肩に悲哀を載せているもの。 十数年の長きに渡って 道化を演じていた自分に気付かされ 落ち込んでいた星矢が、何とか立ち直ることができたのは、ナターシャやぎさんが届けてくれた一通の手紙のおかげだった。 昨日 また 瞬に『天女伝説』の本を読んでもらい、 「ドーシテ、天女は飛んでいっちゃったのカナ……」 と尋ねたナターシャに、瞬が、 「星矢や紫龍みたいな友だちがいなかったから、天女は お空に帰っていっちゃったんだろうね」 と、笑顔で答えてくれた――という手紙。 瞬の仲間たちによる郵便事業は、確かに 地上の平和とナターシャの幸福を守ることの一助になっているらしい。 郵便屋さんの お仕事は、人の心と心をつなぐこと。 とても素敵な お仕事です。 Fin.
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