「マーマ! マーマ、見テー! ナターシャ、投げるヨー!」 「見てるよー」 氷河に遊んでもらっている時も、ナターシャは 瞬の目が 自分に向けられているかどうかを気にしている。 瞬はナターシャに手を振り、それを確かめるとナターシャは 手にしていたゴムボールを再び空に向けて放り投げた。 放物線を描いて落ちてくるボールを、それが大事な宝物であるかのように、氷河が両手で受けとめる。 「ナターシャちゃん、じょうずー!」 「コントロールがよくなったな、ナターシャは目もいいが、それ以上に センスがいい」 マーマとパパに褒められたナターシャが、嬉しそうな笑顔になる。 そして、ナターシャの笑顔は いつも 氷河と瞬を幸せにしてくれた。 それは、二人の黄金聖闘士が、自らの失われた時間を 彼女の笑顔によって取り戻せているような気持ちになるからなのかもしれない。 自分たちには持ち得なかった、幸福な子供の時間。 氷河は、はっきり そうとわかる表情に作ることはしなかったが、彼が幸せでいることが、瞬をも幸福にした。 子供には、いつも親の注意が自分に向いていることを望む心があり、親の注意が自分に向いていることに安心し 喜ぶものだということを、瞬はナターシャと暮らすようになって 初めて知った。 瞬自身は 自分の親を知らず、それゆえ、そんな気持ちを抱いた経験がなかったから。 それは我が身の安全を図る子供の本能なのか、子供が幸せを感じるために体得する技の一つなのか。 気付いた時には目立つのが嫌いな人間になっていた瞬には、そんなことすら わからなかった。 幼い頃の自分はいつも、目立つこと、人の注目を集めること、誰かの目に留まることは“攻撃されること”と同義だと感じていたように思う。 幼い頃は、大人たちに真正面から刃向っていく星矢や兄を見ているのが恐くてならなかった。 特に兄が それをする時、兄の行動は ほとんどいつも、ひ弱な弟を“敵”の目から逸らすためのものだったから。 『兄さん、ごめんなさい、ごめんなさい』 いつも胸中で そう叫びながら、瞬は兄の陰に隠れていた。 自分は兄の足手まといで 重荷なのだと 思わない時はなかった。 『おまえは強い。おまえは、おまえの努力で強くなった。おまえが 俺に負い目を感じる必要はないんだ』 意識して そう振舞っていたわけではないのだが、どんな時にも 誰に対しても 兄を立たせるのが癖になっていたアンドロメダ座の聖闘士に、兄が そう言ったのは いつだったか。 『俺は、おまえの存在があったから強くなった。おまえがいなかったら、俺はデスクィーン島で死んでいただろう。いや、それ以前に――あの島に送られる前に、自分の命に見切りをつけていただろう。俺にとって、おまえは、その存在自体が力だった。おまえは俺の力の源であり、俺の希望だった。おまえが 生きて存在してくれていたことに、俺は感謝している』 おまえは もう兄に守られるだけの か弱い弟ではなく、同じ目的のために戦う対等な仲間なのだと 兄が言ってくれた時、瞬は、喜びと誇らしさと、そして 一抹の寂しさを覚えた。 あの時 自分が感じた寂しさは、非力な弟として いつまでも兄に見守られていたいという願いのせいだったのかもしれない――と思う。 聖闘士として どれほど力を増しても、どれほど年齢を重ねても、兄を慕う この気持ちは消えないだろう。 少しずつ 夏の気配を含んでくる空気の色を見詰めながら、瞬は そんなことを思っていた。 |