5月の連休。
ママが、“若葉の径”の絵を描きたくなったから 蓼科の別荘に行くって言い出したんで、私も ついていくことにしたのよね。
ちょうど、蓼科にある別荘で密室殺人が起きる小説を読んだところだったんで、いわゆる聖地巡礼と洒落込んだわけ。
密室殺人の舞台になったのは、庭に小さな林を抱いているような別荘だったんだけど、蓼科には そんな別荘は腐るほどある。
その大雑把で ありふれた条件になら、うちの別荘だって当てはまるくらい。
そして、その周辺には、当然のことながら、若くて頭がよくて癖の強い美形の名探偵なんかいないわけで、深い考えも無しに聖地巡礼なんてことを思いついた自分を、私は死ぬほど馬鹿だと思った。
で、腹が立って沸騰しそうになってる頭を冷やすために散歩に出た私は、そこで偶然、城戸さんに会ったの。
びっくりしたわよ。
城戸さんは、こんな田舎の別荘地で のんびりしてることなんかなくて、常に忙しく世界中を あちこち飛びまわってるものだと思ってたから。

林の中の――それこそ、若葉の径を――城戸さんは すごく綺麗な女の子と連れ立って歩いてた。
私たちと同い年くらいかな。
でも、ウチの学校の生徒じゃない。
もし そうだったら、その子は城戸さんと同じくらい校内で浮いて目立ってたはず。
日本人って、特に背が高くなくても猫背が多いでしょ。
でも、その子は すごく姿勢が良くて、まっすぐ前を向いてて――そういうのって、自信にあふれてるからなのかな。
そんなふうに感じるのは、私が卑屈になりすぎてるせい?
すごく綺麗だけど、城戸さんみたいな女王様オーラはなくて、城戸さんとはタイプが違う美少女。
城戸さんは 咲き誇る深紅の薔薇、一緒にいる子は 汚れを知らぬ清純な白百合――ってとこ。

でも、城戸さんと一緒にいるんだから、彼女も いいとこのお嬢様なんだろうって、私は 勝手に思った。
もしかしたら親戚か何かなのかも。
タイプは違ってても、“綺麗”ってことでは、同類項に くくられる二人。
つまり、“綺麗”ってことでは、すごく似ている二人だったし。

綺麗な人って、いるところには いるものなのね。
何にしても、城戸さんが誰かと並んで歩いてるっていうのが、私にはびっくり案件だった。
実際に そんな場面を見たことがあるわけじゃないけど、城戸さんって、何ていうか、学校の外では いつも、後ろにお供の者を付き従えてる――ってイメージの人だったから。
城戸さんと並んで歩ける十代の女の子なんて、それだけでも 十分に とんでもない子よ。
事実、とんでもなく綺麗な子。
つまり 城戸さんは、そういう選ばれた人となら付き合う――選ばれた人としか付き合わない――ってことなんでしょうね。
だから、教室では一人でいることが多くて、浮いてるように見えるんだわ。

それにしても、嘘みたいに綺麗な二人連れ。
一応 ゲイジュツカであるママの血を引いたからなのか、人は自分にないものを求めるようにできてるからなのか、私は綺麗な人間が好きだから――お近づきにはなりたくないけど、見てるのは好きだから――私の目は 美少女二人に釘づけになって、私の足は 自然に その場で止まった。
そこに突っ立って、ぽかんとしてた。
そしたら、城戸さんが私に気付いて――気付かれてしまったのよね。
その状況で気付かない方が おかしいと言えば おかしいんだけど。
他人に ぶつからずに歩くのも困難な都会の雑踏の中なら ともかく、他に人影の全くない林の中の小道に、ぽかんと間の抜けた顔して立ってる人間がいたら、誰だって その間抜けの存在に気付くってものよ。

「友野さん?」
ろくに口をきいたこともないのに、城戸さんは私の名前を知ってた。
焦ったわよ、私、滅茶苦茶。
でも、まさか 『人違いです』なんて言って逃げるわけにもいかなくて、仕方がないから、私は彼女に ぎこちなく挨拶した。
「こ……こんにちは」
「こんにちは。こんなところで会うなんて奇遇。あなたも時計に縛られない時間を過ごすために、こちらにいらしたの?」
「……え、あ……」
まさか 美青年探偵が出てくるミステリー小説の(しかも密室殺人ネタの)聖地巡礼のために ここに来た――なんて、ほんとのことを言うわけにもいかなくて、私は しどろもどろ。
多分、顔も引きつった。

「? どうか?」
どういう事情があれば、そこで口ごもることになるのか わからなかったらしい城戸さんが、僅かに首をかしげる。
私は、
「いえ、城戸さんが 私の名前を知っててくださるとは思わなかったから」
とか何とか、あながち嘘でもない理由を口にして、答えをごまかした。
「クラスメイトでしょう」
「でも……」
クラスメイトなら、名前を覚えてるのが当然?
そんなこと ないわよね。
少なくとも城戸さんにとっては、私は 取るに足りない凡百の徒よ。

「私、お休みが多いものね。でも、友野さんは しっかり覚えているの」
「どうして」
「物理の物部先生が教えてくださったのよ。先日の学力診断試験で、友野さんが 物理でトップの成績を修めたこと。尊敬してしまうわ」
尊敬も何も、他の科目は城戸さんがトップを独走してるって聞いてるわよ。
そもそもテスト結果は個人情報扱いで公開されてないから、ほんとかどうかは知らないけど、多分 事実。
他教科は城戸さんがトップで、物理だけは私が最高点だった――っていうのも、担任が教員室で話していたのを偶然 聞いちゃった子が広めた噂。
もちろん 城戸さんの才色兼備話に盛り上がるために。
そんな話に いちいち引き合いに出されることになった私の立場ったら、ろくなもんじゃないわ。

「沙織さんより成績のいい方なんですか。優秀な方なんですね」
白百合の君が、すごく素直で まっすぐな視線を私に向けてくる。
もしかして、本気で褒めてる?
そういうの、すごく困るんだけど。
ものすごく困る。
私、城戸さんの百分の一も優秀じゃないんだから。

「私が物理が苦手なのは誰のせいだと思っているの。あなたたちが、物理の法則を無視したことばかりしてくれるものだから、どんな物理法則も信じられなくなってしまったせいよ」
「僕たちのせいなんですか」
「他の誰かのせいではないわね」
「責任転嫁されても困ります」

すごい。
薔薇と百合が会話してる。
いったい何の話をしてるのか、私には宇宙人の会話みたいに聞こえて、さっぱり 理解できないけど、平凡な人間は退散した方がよさそう。
二人のいる光景は すごく綺麗で、滅茶苦茶 目の保養になるけど、こんな美少女たちと一緒にいたら、私、自分が みじめになっちゃう。
それに、いくら私が美形好きでも、同性じゃあねえ。
これが美少年か美青年だったら、追い払われるまで 鑑賞させていただくとこだけど。

あ、でも、私はオトコが好きなわけじゃないわよ。
鑑賞に耐え得る美形の男子を見てるのが好きってだけで。
私は、イケメンの彼氏が欲しいなんて思ったことは一度もないし、それどころか 彼氏が欲しいなんて思ったことも一度もない。
もし私が合格点を出すくらい高レベルな美形男子がいたとしたら、私が最初にすることは 彼の美貌をスケッチすることでしょうね。
いずれにしても、美少女は私の管轄外。
私は、早々に 二人の美少女の前から逃げることにした。






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