「でもさあ、いくら近付き難いっていったって、沙織さんでも、廊下で蹴躓いて すっ転ぶとか、退屈な授業で あくびしたりするとかはあるだろ?」
「城戸さんがそんなことしてるの、多分 誰も見たことない――と思う」
これは、壁や床の問題とは別に、城戸さんの名誉のための否定。
星矢くんは、私の返事を聞くと、私じゃなく城戸さんを非難し始めた。
「沙織さん、駄目じゃん。ここは 一発、親しみやすさを演出するために、静かな授業中に、でっかい屁でもかましてみるとかさあ」
「星矢……」

城戸さんが、頭痛を我慢するポーズを取る。
うん。まあ、城戸さんの気持ちはわかる。
さすがに それは、うら若き一人の乙女として絶対に避けたい事態よ。
平民の私だって、そんなことしちゃった翌日には 学校を休みたくなるわ。
そこいらへんの感性は、城戸さんも 私とおんなじみたい。
――って、お嬢様身分降格の私と女王様の類似点に、私が感動しかけてた時。
突然 瞬さんが、
「そういえば、星矢。以前、自分のそれを僕のせいにしたことがあったね」
なんて、とんでもないことを言い出した。

「へっ」
星矢くんが 妙ちくりんな声をあげたけど、彼がそうしてなかったら、私の方が 似たり寄ったりの奇声を発していたかもしれない。
だって白百合の君よ、瞬さんは。
星矢くんにとっては、瞬さんは白百合でも絶世の美少女でもなかったみたいだけど。
星矢くんは、清らかな白百合に 口を尖らせて文句を言い出した。
「なんだよ。おまえ、あの時のこと、まだ根に持ってんのかよ。男らしくねえなー」
「あれは、男らしさの問題じゃありません! 人に おならの罪をなすりつけるなんて、人として 最低でしょう」
うわ。
星矢くん、ほんとに おならの罪を瞬さんになすりつけたことがあるんだ。
すごい。
何が すごいのか わからないけど、でも、とにかく すごい。

星矢くんの大胆不敵に、私が腹の底から感心してたら、金髪の傲慢貴公子が、フレンチドアの前から移動して、星矢くんの前に立ち、
「星矢が悪い」
って言い終わるより先に、星矢くんの頭を殴った。
がつんと、はっきり音がするくらい、手加減なしで。
これは 相当 痛いわよ。
星矢くんは かなりの石頭みたいで、痛みも感じてないみたいだったけど。

「何だよ! 可愛い茶目っ気じゃん。ただの冗談、軽いギャグ。俺、逆のことされても 全然 平気だぜ。瞬の放屁の罪を、喜んでかぶってやる」
「もう、そんな話、やめてよ! 友野さんが呆れてるでしょう」
私は おならの話に呆れてたっていうより、美形宇宙人たちの 美形らしからぬ振舞いに驚いてただけだったんだけど、清らかな白百合の君は 私なんかより はるかに繊細で恥ずかしがり屋にできてるらしくて、瞬さんの頬は ほんのりピンク色。
ピンクになっても、百合は百合。
おならの話の最中にも 清純イメージを損なわないのは、さすがとしかいいようがない。
そんな瞬さんのために 話題を変えようと思ったのか、今度は紫龍さんが妙ちくりんな知識を披露し始めた。

「そういえば、江戸時代には、屁負(へお)比丘尼(びくに)という職業があったそうだぞ。放屁や腹の虫で粗相をしてしまった人の失敗を引き受ける仕事をする尼さんだったらしい。見合いや結婚式の場について行って、若い娘が放屁したりした時、娘の粗相を引き受けて、『私としたことが申し訳ありません』と詫びる仕事だったとか」
へおいびくに?
何なの、それ。
ていうか、紫龍さんは なんで そんなことを知ってるのよ。
そんなの、美形男子には 何のかかわりもないことでしょう。
紫龍さんタイプの美形が知っていていいのは、剣術とか 書画とか、そっち方面であるべきよ。
真面目な顔で、屁負い比丘尼なんて 訳のわからないことを語らないでほしいわ。
和風美形男子のイメージが超狂っちゃうから。

なんていうか、星矢くんも、氷河さんも、紫龍さんも、美形の自覚なさすぎよ!
――って、私は内心 不満たらたらだったんだけど、なんと、清らかな白百合であるはずの瞬さんまでが、紫龍さん以上の真顔で、
「僕、そういう職業が存在することは間違いだと思う」
とか何とか、 屁負い比丘尼についての意見を述べ始めた。
ったく、何なの、この美形集団は。
どうして この人たちは、美形のイメージに反することばかりしてくれるんだろう。
「僕、そういうの、絶対 嫌だよ。おならなんて、悪事じゃないんだから――ううん、悪事だったとしても、自分のしたことは 自分のしたこととして、自分で責任を負うべきだよ」
うん。
それは その通りだと思うけど。
自分のおならの罪を 人になすりつけるなんて、言語道断の卑劣行為だと、私も思うけど。
でも、星矢くんには、別の考えがあるみたい。

「でもさー。おまえ、氷河の前でハデなのやらかした時、俺が『わりぃ、わりぃ』って言ってやったら、俺に感謝するだろ」
「え……」
は?
星矢くんてば、急に なに言い出したの。
え?
瞬さん、なに 真面目な顔で考え込んでるの。
あげく、
「それは……するかもしれないけど……」
って、そそそそそれは、いいいいいったい どういうことよ !?

混乱してる私の前で、更には 氷河さんが、瞬さんより真剣な目をして、
「そんなことを気にする必要はない。おまえがどれだけ派手に放屁しても、おまえを愛する俺の気持ちは いささかも揺るがない」
ときた。
それって どういうことなのよ!
「だから、どうして、そんな話になるの……! もう、みんな、紫龍のせいだよ!」
「俺のせいなのか !? 」
私の混乱を無視して、瞬さんたちは瞬さんたちで わちゃわちゃ騒いでる。

うん、まあ、それこそ、言いがかりというか、濡れ衣っていうか、とばっちりっていうか、紫龍さんの文句を言いたい気持ちはわかるけど。
色々 言いたいことはあるんだろうけど。
私だって、氷河さんが瞬さんを愛してるっていうのは どういうことなのか、一刻も早く確かめたい気持ちで いっぱいなんだけど。
だけど、それより何より、城戸さんが笑ってる。
その笑顔が、私には衝撃だった。

信じられない。
そりゃあ、城戸さんだって笑うことはあるでしょうけど。
実際、彼女の微笑を、私は 今日だけでも既に数回 認知してた。
でも、でもね。
「城戸さんが、おならの話で笑うなんて、びっくり……」
話題が下ネタなのよ?
高貴な城戸さんは 当然、眉をひそめて、下劣な話題に興じる下賤の者たちに 冷ややかな軽蔑の眼差しを投げるものだとばかり思ってたのに、城戸さんが笑ってる。
「こんな話、真面目な顔で聞いていたら、その方が恥ずかしいでしょう」
「それは、そうだけど……」
それは そうなんだけど、でも、びっくり。
やだ、私、おならの話題で 城戸さんに親しみを感じることになるなんて、思ってもいなかったわ。






【next】