狂いの度合いを増す、時間の感覚。
二柱の神がタルタロスを訪れる時にだけ、瞬の時間の感覚は正常に戻ることができた。
他者と対面し、その発言を聞いている時、人は、人が その言葉を発するのに どれほどの時間を要するのかを、おおよそではあるが計ることができる。
しかし、孤独でいる時は――側に 人がいない時には――人は、『寂しい』という一言を 心の中で呟く時間さえ、それが数秒なのか数日なのかを計ることさえできなくなる。
瞬は、自分が1年の時間をかけて『さ・び・し・い』の一言を呟いているのかもしれないと思うようなこともあった。
それほど、瞬は 時間の感覚が――時間の感覚だけでなく、前後左右上下の空間の感覚さえ――狂い始めていた。

タルタロスに閉じ込められた瞬が、タルタロスに閉じ込められてから初めて、客観的な時間の経過を知ることになったのは、ある時 金色の神が瞬に告げた、
「そろそろ諦めてはどうだ。この牢獄で、仲間たちの救出を5年も待ったんだ。もう十分だろう」
という言葉を聞いた時だった。
「5年……」
『もう そんなに長い時間が過ぎたのだ』
『まだ たった5年しか経っていないのか』
相反する二つの思いを、瞬は同時に思った。

「みんなは 僕が死んだと思っているんじゃないかな……。僕のことを 忘れてしまったんじゃないかな……」
『そうであってほしい』
『そうなのだとしたら、悲しい』
相反する二つの思いが、また 瞬の中に生じる。
金色の神が、どんな感情も感じ取れない声で、彼の推察を口にした。
「知らん。だが、5年の時が経ったんだ。おまえのことを忘れている時の方が多いだろうな。有限の命をしか持っていない人間には、5年という時間は 決して短いものではないだろう」
ヒュプノスの言う通りだと、瞬は思った。
人間にとって、5年という時間は 決して 矢のように過ぎていく短い時間ではない。
だが――。

「僕は、歳をとっていないように思えるけど――」
タルタロスには鏡も光もないので、自分の目で確かめることはできないのだが、瞬には 自分が5年分 大人になった意識も感覚もなかった。
ヒュプノスが、薄闇の中で浅く頷く。
「ここは冥界の更に下にあるタルタロス。本来は、不死の神がいる場所だ。神は歳をとらない――時間は、神の肉体にどんな変化も どんな影響ももたらさない。おまえも、タルタロスにいれば 不老不死の神と同じようなものになる」
そんな現象は、全く嬉しくない。
瞬は、嬉しくはなかった。

「おまえは ここで何もしていない――生きていない。ただ無為に時を過ごしているだけだ。成長もしていない。当然 歳もとらない」
では、時間や年齢というものは、限りなく主観的なものだということになる。
孤独な人間は 時間にすら構ってもらえないのかと、奇妙なことを、瞬は考えた。






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