「おまえの記憶が戻ったということは、おまえの務めは済んだということだろう。このまま聖域に帰るぞ」 考えるまでもない決定事項のように言う氷河の言葉に、ペルセウスが はっとしたように顔を上げる。 そして 彼は、すがるように瞬の名を呼んだ。 「アンドロメダ……!」 「悪いな。瞬は連れていく」 「アンドロメダ。ここにいてくれ。私の側に。それが駄目なら、私もおまえと共に行く!」 アンドロメダを守るため、アンドロメダを失わないためになら、祖母に逆らうこともできた。 それを“自立”というのなら、それはそうなのかもしれない。 だが、それは あくまでも、アンドロメダを守るため、アンドロメダを失わないために生むことのできた意思だったのだ。 そのアンドロメダが 自分の許を去ってしまったら――。 その意思を保ち続けられる自信が、ペルセウスには なかったのである。 エティオピア国王の そんな弱に気付いていないはずはないのに、瞬に戻ったアンドロメダは、ペルセウスを甘やかしてはくれなかった。 「ペルセウス様にはペルセウス様の務めがあるように、僕には 僕の果たさなければならない務めがあるんです。そして、それは、氷河と一緒でなければ果たせない務めなんです」 やわらかく優しい響きの声だったが、アンドロメダは ペルセウスの願いを 明瞭に拒んでいた。 「おまえまで、私を見捨てるのか!」 ペルセウスの悲鳴が、瞬の表情を切ないものに変える。 ペルセウスの横に立つアマランダの眼差しは、瞬より一層 悲しげだった。 やわらかだったアンドロメダ――瞬――の声音が硬いものになったのは、ペルセウスと、そしてアマランダのためだったろう。 「あなたは、カシオペア王大后に押さえつけられて、自由に振舞えずにいるのではないんです。あなたは、自分が両親に捨てられたのだと思い込み、自分は無価値で無力な人間だと思っている。そして、両親の代わりになる誰かを求めている。自分だけを愛し、必要としてくれる人を求めているの。記憶を失って、あなた以外に頼る者のない僕は、あなたの求めるものに最も近い存在だったんでしょう。でも、あなたを愛している人は たくさんいるの。あなただけを愛しているのではないかもしれないし、あなたをいちばん愛しているのでもないかもしれないけど、あなたを愛している人は大勢いる。そのことに気付かない限り、あなたは誰といても、僕といても、決して幸せにはなれません」 「アンドロメダ……」 それが事実なのだろうと思うから、ペルセウスは苦しげに眉根を寄せることになった。 そんなペルセウスに、氷河が、 「その娘を気にかけてやれ。この国の都を丸ごと氷漬けにすることもできる俺の凍気を恐れもせず、おまえの身を守ろうとしたんだ。 “おまえだけ”ではないかもしれないが、その娘は、おそらく“おまえがいちばん”だ」 と言ったのは、ペルセウスのためではなく、アマランダのためでもなく、自分の恋を邪魔するものを排除するためでもなく、瞬のためだったろう。 彼の愛する瞬が、それを望んでいるから。 「まあ、本音を言えば、俺としては――貴様は、人に愛されることばかり望むのはやめて、自分が愛するところから始めるべきだと思うが」 愛されたいと願うことと、愛することは、全く別のことである。 氷河の言わんとするところが わからないほど、ペルセウスは暗愚な男ではなかった。 一度大きく深く吐息して、 「君のように?」 と、氷河に尋ねる。 「そう。俺のように」 氷河は臆面もなく、これ以上ないほど堂々と首肯した。 「できる限り……努めてみよう」 だから、ペルセウスは この国に残る決意をしたのである。 もし 故国を捨て、アンドロメダと共にアンドロメダの行くところに行っても、アンドロメダは自分のものにはならない。 アンドロメダは、愛される才より愛する才に優れている男のものなのだ。 それがわかるから、ペルセウスは この国で生きていく決意をしなければならなかった。 幸い、この国には、あまり愛の才のない王に 力を貸してくれそうな健気で強い少女がいる。 アンドロメダと離れても 何とかなるような気がした。 ペルセウスの決意を見てとった氷河が、中庭から 高く空に飛び上る。 次の瞬間、彼の姿は どこかに消えてしまった。 「お世話になりました。お元気で。お幸せに」 アンドロメダが、そのあとに続く。 短い惜別の言葉だけを残し、ペルセウスのアンドロメダは、あっけないほど あっさり彼の前から消えていった。 それが 本当に あっという間のことだったので、ペルセウスはかえって アンドロメダへの未練を抱かずに済んだのである。 『ペルセウスにはアンドロメダだろうという単純かつ短絡的思考で、アンドロメダを この国に――』 ペルセウスにはアンドロメダ。 だが、あのアンドロメダはエティオピア国王ペルセウスのアンドロメダではなかったのだ。 あのアンドロメダは、人に愛される才より 人を愛する才に恵まれた男のもの。 矛盾した話だが、人は、愛される才より愛する才に恵まれた人間の方を愛するものらしい。 その事実に気付くのが、ペルセウスは 少しばかり遅かったのだ。 とはいえ、だから すべてを諦めなければならないということもないだろう。 氷河には後れをとったが――アンドロメダのことでは 間に合わなかったが――とにもかくにも 彼は その事実に気付くことはできたのだ。 「愛されることばかり願っていたので、愛し方がわからない。アマランダ。その方法を、私に教えてくれないか」 ペルセウスは、人を愛する才に恵まれた少女に、虚心に 頭を垂れて、教えを乞うたのである。 人を愛する才に恵まれた少女は、涙で瞳を潤ませて はにかむように微笑みながら、愛する人に頷いた。 Fin.
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