「これで一件落着」 「大山鳴動して、ネズミ一匹も出てこなかったな」 オリュンポスの神域に足を踏み入れていたはずのアテナの聖闘士たちは、いつのまにか神域の外に運ばれていた。 氷河の腿に突き刺さっていた黄金の矢は、せこいアポロンが 回収したらしく、矢傷も含めて跡形もない。 『これが骨折り損の くたびれ儲けでなかったら、いったい何なのか』と言っていい状況だったが、ギリシャの神々の気まぐれに振り回されるのは人類の宿命。 “愛は最強”という既知の事実以外に得たものはなかったが、失ったものもなかったのだから、これは大団円と言っていい結末だろう。 憂い事も消えた星矢たちは、心置きなく聖域に帰還することにしたのだった。 「ネズミも出てこなかったが、一輝も来なかったな」 「冷静に考えてみりゃ、ピンチっていうほどのこともなかったもんな。氷河が自爆しただけでさ」 「確かに。では、帰るか。瞬が無事に帰ってくれば、教皇も喜ぶことだろう」 「うん。氷河、大丈夫?」 医術の神でもあるアポロンは、自身の黄金の矢と その痕跡は綺麗に消し去っていったが、アレスが氷河に負わせた怪我の面倒までは見てくれなかったらしい。 肩のあたりが まだ少し おかしい氷河を、瞬が気遣わしげに見詰め、見上げる。 「……瞬」 男神たちの馬鹿さ加減と アテナの登場騒ぎのせいで、ゆっくり感動している暇もなかったが、瞬の『氷河が いちばん美しい』発言は、間違いなく 氷河の人生最高最大の慶事である。 「庇ってくれて ありがとう、氷河。僕、嬉しかった」 『現実問題として 氷河が瞬を庇う必要はなかったし、結果的に 瞬は氷河に庇われても守られてもいない』という事実に、今 ここで言及するのは野暮というものだろう。 そう考えて、星矢と紫龍は瞬の謝意に水を差すようなことはせずにいたのである。 それが氷河を図に乗らせてしまった――ようだった。 瞬の潤んだ瞳に ぼーっとなった氷河は、場所柄も わきまえず、第三者の目を はばかることもせず、瞬への告白に及ぼうとしたのだ。 「瞬、俺は、ずっと おまえを――」 が、残念ながら、氷河は 彼が言おうとした言葉を最後まで言うことはできなかったが。 『好き』と言おうとしたのか、『愛している』と言おうとしたのか、まさか『結婚したい』と言うつもりではなかったろうが、ともかく、それは暑苦しい鳳凰の羽ばたきによって 因果の地平に吹き飛ばされてしまったのだ。 「氷河ーっ! 貴様、我が最愛の弟に何をするつもりだーっ !! 」 質問しておきながら、氷河の返事も待たずに、一輝が 氷河に向かって手加減のない鳳翼天翔 を放ち始める。 「おわっ!」 まだ光速のレベルには達していない青銅聖闘士の身だが、星矢たちは こういう時だけは光速移動も可能だった。 瞬だけを連れて安全圏に避難した星矢と紫龍は、そこで一息ついてから、ゆっくりと瞬の兄の登場に感心したのである。 「ここで来るか」 「まあ、瞬の運命を決するタイミングではあったな」 「あ……兄さん……氷河……」 “たとえ相手が怪我人だろうと、悪い奴なら遠慮なく ぶちかます”一輝は、遠慮も会釈も躊躇もなく 鳳翼天翔を光速連射している。 瞬の兄の拳が大地に作った幾つもの穴は、いずれ オリュンポス山の雪解け水を貯える貯水池になり、周辺の農民たちに寄与するに違いなかった。 星矢と紫龍が 一輝の攻撃を止めようとしなかったのは、しかし、それがギリシャの農業に有益だからではない。 そうではなく――それが愛ゆえの行為だったからである。 アテナの聖闘士は、なにしろ人間の愛を信じ、人間の愛に最大の価値を置く女神アテナに従う者たちなのだ。 愛が 人を美しくするのは事実だろう。 そして、愛のせいで地上に争いが絶えないのも事実である。 Fin.
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