「で? おまえと氷河の喧嘩の本当の原因は何だったんだ。そもそも、本当に、おまえたちは喧嘩をしていたのか」 星矢の災難は、今回に限れば、すべて紫龍が運んできたものだったのだが、さすがは聖闘士の善悪を判断する要の星座の黄金聖闘士。 そんな事実はなかったかのような澄ました顔で、紫龍は 瞬に問い質した。 天秤座の黄金聖闘士は、どうやら 必ずしも清廉潔白の士である必要がないらしい。 瞬が、少し気後れしたように、言い訳めいた説明を始める。 「喧嘩っていうか……。ナターシャちゃんにね、これからは、可愛らしさより 動きやすさや着やすさを重視した服を着せてあげるべきだって、僕、氷河に言ったんだよ。氷河は、やたらと邪魔な飾りの多い服や、身体を締めつけるデザインの服を選ぶから。そしたら 氷河が、可愛い服は 可愛い心を養うとか、無茶な理屈をこねて 反対してくるから――」 「……。それが喧嘩の原因なのか? ナターシャの服が?」 「おい。俺たちに う――」 『俺たちに嘘はつくなよ』と、ナターシャの前で瞬を たしなめるわけにはいかなかった星矢が、 「俺たちに、動きやすい服の肩を持てってのか?」 と、かなり苦しい ごまかしを試みる。 ナターシャより純真な星矢は、瞬の人となりを熟知していた。 命をかけた戦いを共に戦ってきた仲間にも 余計な気遣いはさせまいとする、瞬の性格。 すべて お見通しの仲間たちに、瞬が切なげな視線を投げてくる。 瞬は、ナターシャの前に しゃがみ込んで、その顔を見上げた。 「ナターシャちゃん。氷河を呼んできてくれる? 一人で大丈夫かな?」 「ナターシャ、大丈夫ダヨー」 「うん。じゃあ、星矢と紫龍が来てるからって言って、氷河を連れてきてちょうだい」 「ワカッター」 マーマにダイジなお使いを頼まれたナターシャは、嬉しそうだった。 嬉しそうに、リビングルームを出ていった。 氷河を呼んでくるより、ここにいる者たちが氷河の部屋の方に移動する方が早いのだから、それがナターシャを この場から立ち去らせるための方便であることは明白。 ナターシャのいなくなったリビングで、星矢と紫龍は真顔になった。 ナターシャが掛けていた場所に腰を下ろし、瞬は、隠し事のできない仲間たちに 困ったような、それでいて どこか嬉しそうな、いわく言い難い微苦笑を見せた。 「ナターシャちゃんのお洋服は、ただの きっかけでね。氷河が、どうして急にそんなことを言い出したんだって、僕を問い詰めてくるから――。僕は 今みたいに、氷河に言わずにいたことを白状するしかなくなったの。それは ナターシャちゃんには聞かれたくないことで、だから、僕と氷河はこれから とっても難しい お話をするから、ナターシャちゃんは僕の部屋に行っててって言ったの。ナターシャちゃんは勘がいいから、僕の様子がいつもと違うことに気付いていたんだろうね。小さな子供だからって、気を緩めちゃいけなかった」 「ナターシャが聡いのは、おまえの教育の たまものだろう。いい子に育っている」 我が子を褒められると嬉しいのは、アテナの聖闘士も よその家の親と変わらないらしい。 瞬は嬉しそうに微笑した。 「僕は、ナターシャちゃんを可愛いと思っているし、命がけで守るつもりでいる」 「ああ」 「でも 僕は、最初は――氷河を幸せにしてくれる少女だから、ナターシャちゃんを可愛くて大切な存在だと思っていたんだ。ナターシャちゃん本人を大事に思っているというより……。僕にとってナターシャちゃんは、“氷河のナターシャちゃん”だった。僕は、ナターシャちゃんのマーマとして失格なのかもしれない」 「冷たい言い方かもしれないけど、おまえはナターシャの本当のマーマじゃないんだから、それで何の問題もないだろ」 瞬に クールに そう言ったのは、意外や星矢の方だった。 星矢は 星の子学園で様々な形の親子に接してきたので、親子関係というものに夢を見すぎていないのかもしれない。 「そうなのかな……。うん。だから、これまで僕は、ナターシャちゃんに関する氷河の我儘や無茶を わりと何でも許してきたところがあって」 「ナターシャの我儘ではなく、氷河の我儘なのか」 「だって、ナターシャちゃんは、氷河みたいに我儘は言わないもの」 「……」 ここは笑うところなのか。 瞬が にこりともせず 硬い表情なので、迷ったあげく、星矢と紫龍は薄く笑うことだけをした。 「でも、ナターシャちゃんは ほんとに素直で可愛くて……。だから僕は、氷河のためじゃなく――もちろん 氷河のためでもあるんだけど、何より、一人の人間としてのナターシャちゃんの幸福を―― ナターシャちゃん個人、ナターシャちゃん自身の幸福を考えるようにしようって 思い直したの。そう、氷河に言った」 正確には、“その事実を白状させられた”である。 そして、おそらく、氷河に白状させられることは、瞬の望むことでもあったはずだった。 瞬は 自分の善行は隠しておきたがるが、悪いこと(と瞬が思うこと)は、白日のもとに さらして罰を受けたがる、よくない癖があった。 「それで、氷河好みの可愛い服より ナターシャ自身のための 動きやすい服になったわけか。よいことではないか」 紫龍に その決意を“よいこと”と断じられた瞬が、肩を小さく すぼめて こころもち瞼を伏せる。 「ん……多分……。ただ、これまで、ナターシャちゃんを、氷河の幸福の道具として考えていた自分が許せないっていうか……。まさか ナターシャちゃんに“ごめんなさい”を言うわけにもいかないし」 「考え直したのなら、いいじゃん。もともと、ナターシャの幸福は氷河の幸福と ほぼ同じなんだから、何の問題もなかったと思うぞ」 どうして 瞬は そんな些細な違いを気に病むのか。 瞬が そういう人間なのだということを、星矢は よく知っていたが、“知っていること”と“理解できること”は 全く別の問題である。 そういう目をして、星矢は まじまじと、未だ 罪悪感が完全に消えていない瞬の顔を覗き込んだ。 「でも、それで、なんで喧嘩になるんだ? おまえに、ナターシャの幸福を そこまで親身になって考えてもらえたら、氷河なんか、感激して号泣しそうじゃん」 「号泣はしなかったけど……。ちょうど 僕が『これまで ごめんなさい』って、ナターシャちゃんの代わりに氷河に謝った時にね、ナターシャちゃんが僕の部屋から氷河の部屋に電話をかけてきたの。『パパの部屋に戻ってもいい?』って」 「え?」 「そしたら、氷河は、ナターシャちゃんの人生を左右する大問題を真剣に話し合ってるところだから、もう少し 僕の部屋にいるようにって、厳しい声で ナターシャちゃんに言って……」 両肩を すぼめていた瞬が 一層 身体を縮こまらせる。 「氷河は、僕を責めるのか、慰めるのか――とにかく、氷河は ナターシャちゃんに聞かれると まずい話をするつもりなんだろうって、僕は思ったんだよ」 瞬は 身体だけでなく、声まで極小。 なぜ 瞬が そんなふうになるのかが、星矢には――紫龍にも――わからなかった。 わからないまま、瞬の告解――告解だろう――を聞き続ける。 「氷河は僕を責めなかった。責めずに――氷河は、ナターシャちゃんのために 僕を必要としたわけじゃなく、ナターシャちゃんが来る前から ずっと 僕と一緒に暮らしていたいと思ってたって、言ってくれた。そんな僕を、たまたまナターシャちゃんがマーマと慕い始めただけだって」 「そりゃ そーだろ。クールな大人の付き合いなんて、まるで氷河向きじゃない」 「氷河にしては、至極 真っ当な言い分だな。奴は、ナターシャのマーマとしての おまえを好きなわけじゃない。ナターシャが やってくる ずっと前から、おまえに――」 そう言いかけて、紫龍は やっと、瞬が声も身体も縮こまらせている訳に気付いたのである。 まるで 急性の顔面神経痛に罹ったように、紫龍の顔が――眉や頬や唇が ひくひくと痙攣し始める。紫龍は、顔面だけでなく、声まで引きつってしまっていた。 「おおおおおまえたちは、ナターシャの人生を左右する大問題を話し合うと言って、ナターシャを家から追い出し、氷河の部屋で二人きりで、今の今まで何をしていたんだーっ !! 」 「へ」 星矢は まだ、氷河と瞬が ナターシャの人生を左右する大問題を話し合うと言って ナターシャを家から追い出し、氷河の部屋で二人きりで、今の今まで何をしていたのか わかっていなかった。 瞬が真っ赤になって、 「僕は そんなつもりじゃなかったんだよ! でも、その気になった氷河に、僕が勝てるわけないでしょう!」 と弁解し、紫龍が更に、 「簡単に勝てるくせに、何を言っている! いつもいつも そうやって おまえが氷河の我儘を許すから、氷河が つけ上がるんだぞ!」 と瞬を責めるに至って、星矢はやっと、氷河と瞬が ナターシャの人生を左右する大問題を話し合うと言って ナターシャを家から追い出し、氷河の部屋で二人きりで、今の今まで何をしていたのかが わかったのだった。 |