「それはそうじゃ。瞬。おぬしも もう少し我儘に、もっと自由に、自分の幸せの追求に努めた方がよいぞ」 氷河にとっては思いがけないことに、老師が白鳥座の聖闘士の意見に同調してくる。 老師は、決して 自分の弟子の個人的な幸福だけを願っているのではないようだった。 むしろ彼は、青銅聖闘士全員に、それぞれの(アテナの聖闘士としてではなく、一個の人間としての)幸福を手に入れてほしいと願っているらしい。 「ぼ……僕ですか?」 たじろぐ瞬。 「そうじゃ。瞬。おまえには好きな相手はおらんのか」 逆に、身を乗り出す老師。 もしかすると 老師は、その手の話が 実は かなり好きなのかもしれなかった。 「僕は……」 ごく短い時間、言い淀んでから、 「地上の平和が守られることが、僕の何よりの望みです」 と、瞬が答える。 その答えを聞いた途端、老師は 極めて不満そうに派手に口を尖らせた。 「アテナの聖闘士の鑑じゃの。優等生は面白味に欠ける。詰まらん、詰まらん、あー、詰まらん」 「3回も繰り返さなくても……」 心底から“詰まらん”と思っている様子の老師に、瞬が少し傷付いた目になる。 しかし 老師は、そんなことは 全く意に介さなかった。 今度は氷河に、同じ質問を投げかけてくる。 「氷河、おぬしはどうなんじゃ。艶っぽい話の一つや二つ あるのではないか」 聖闘士の最高位にある(はずの)黄金聖闘士が、いったい青銅聖闘士に何を求めているのだろう。 噂話の種か、暇つぶしの材料か、あるいは娯楽の類なのか。 そう疑いたくなるほど、老師は、地上の平和に どんな関わりもないことに 興味津々の体だった。 「俺は……」 一瞬、探るような横目で瞬を見てから、氷河は実に微妙な答えを口にした――彼は、『いる』とも『いない』とも答えなかった。 「俺が人を愛すると、その人は必ず死んでしまうからな。よほど強い人でないと」 氷河が強調したいのは 最後のフレーズだったのだが、はたして瞬は そのことに気付いてくれたのかどうか。 少なくとも老師には、氷河の発言の意図に気付いた気配は全くなかった。 「だから、誰も愛さぬと? アテナの聖闘士らしからぬ臆病じゃ」 アテナの聖闘士らしく勇気をもって人を愛せば、アテナの聖闘士としての務めが疎かになる。 これこそまさに 最強の矛と最強の盾。 さすがは紫龍の師、矛盾したことを 平気で堂々と言ってくれるものである。 老師の 出たとこまかせのコメントに、氷河は立腹しつつ、妙なところに感心することになった。 「星矢。おぬしはどうじゃ。おぬしは 引く手あまた、青銅一の もて男と聞いておる。どんなに もてたくても、一生を女に縁のないまま過ごす男もおるというのに、選り好みは感心せんぞ」 「俺にまで、その話を振るのかよ!」 自分には関わりのない分野の話と決め込んで、春麗が作ってくれた桃饅頭を一つ また一つと平らげていた星矢が、6つ目の桃饅頭を手にしたまま素頓狂な声をあげる。 星矢は その桃まんを口の中に放り込んでから、老師の誤解を解きにかかった。 「言っとくけど、俺は選り好みしてるわけじゃないぜ。瞬より可愛くて、瞬より優しくて、瞬より強くて、瞬より 俺のことわかってくれてて、瞬とおんなじくらい気が利いて、瞬みたいに 嫌な顔せずに俺の面倒 見てくれて、そんで 俺に食い物くれる子なら、俺は ほいほい ついていく」 「確かに それは選り好みではないの。己れを顧みず、理想が高すぎるだけじゃ」 これは誤解が解けたと言っていい状況なのか。 そうであったとしても、老師の言葉は星矢には不本意だった。 「何だよ、ごく普通の希望だろ。瞬以下の女の子しかいないなら、瞬といた方が楽しいに決まってる」 星矢の主張は理に適っている。 星矢は ただ、“ごく普通”のレベルが 世間一般のそれと かけ離れているだけなのだ。 「瞬は、おまえの世話係じゃない」 氷河のクレームも、 「俺より瞬に面倒かけてる奴にだけは言われたくない」 星矢には 完全に無効だった。 この分野のことに関して、紫龍の仲間たちは全く頼りにならないという事実を把握したらしい老師が、その顔に はっきりと失望の色をたたえる。 「紫龍の堅物ぶりも困りものじゃが、おぬし等も 相当 面倒な奴等じゃの。命短し、恋せよオノコ。おぬし等は、もう少し 自分の人生を豊かにすることを考えた方がよいぞ」 それが、地上の平和を守るために命をかけて戦うアテナの聖闘士の最高位にある黄金聖闘士の言うことなのか。 星矢と氷河は かなり本気で そう思い、その思いを言葉にもしたのだが、老師は ふぉっふぉっふぉっと捉えどころのない笑い声を響かせるだけだった。 |