お披露目のパーティのその日、楽しかったパーティの興奮が静まらず、なかなか寝付いてくれなかったナターシャは、翌日も元気いっぱいだった。 そんなナターシャとは対照的に、無表情維持のために 終始 顔を強張らせていた氷河は、表情筋の使い過ぎで ぐったり。 そういう事情で、翌日の公園には、ナターシャは瞬と二人で出掛けることになったのである。 ナターシャと瞬が 公園に行くと、いつも二人の方に寄ってくるスミレちゃんと彼女の母親が なぜか今日は近付いてこない。 瞬たちとの間に 距離を置いて、遠くから見詰めているだけ。 スミレちゃん母子の代わりに、瞬たちの許にやってきたのは、例の“上流”ママ友集団だった。 「昨日、RCホテルのロビーで お見掛けしたわ」 「一緒にいらしたのはグラード財団総帥の城戸沙織……?」 「あ、ええ。昔からの知り合いですので」 「グラード財団総帥と? 随分 親しげだったわ」 彼女等は、自分たちが“下流”と査定した家族が 世界に冠たるグラード財団総帥と繋がりがあると知り、再査定をするために やってきたのだろうか。 スミレちゃん母子が 今日に限ってナターシャの許にやってこないのは、彼女等に牽制でもされたせいなのか。 ナターシャがスミレちゃんに報告したいことがあると言っていたのに。 このまま ナターシャがスミレちゃんと話ができないのは まずい――ナターシャに、大人のいやらしい事情を知られるのはよくない。 そう考えた瞬が、ママ友集団から逃れようとした時、 「瞬先生!」 瞬に声を掛けてきた60絡みの男性がいた。 瞬が勤務先の病院で診ている患者の一人。 これで、ママ友たちの再査定から逃げられるかもしれないと、瞬は期待したのである。 逃げることができていたかもしれなかった。 彼が、最近 メディアへの露出が多くなっていた某有名大学教授でさえなかったら。 「瞬先生、今日は非番ですか。月曜日なのに」 「あ、はい。臨時で他の先生と交代していただいたんです」 「道理で、月曜日なのに、待っている患者さんが少ないと思った。事前に告知されていたんですね。知らずに行って、そのまま帰ってきてしまいました」 「他の先生も、ちゃんと診療してくださるんですよ」 「それはそうでしょうけれど……自分の身体は、信頼できる先生に預けたい」 そう言われて困った顔になった瞬の立場を察したタレント教授が、瞬と手を繋いでいるナターシャに視線を落とす。 「こちらが瞬先生のナターシャちゃんですか。噂に聞いていた以上に 可愛らしいお嬢さんだ」 「ナターシャです、こんにちは!」 ナターシャが、いつも瞬に言われている通り、はきはきと ご挨拶をする。 タレント教授は ナターシャの立派な ご挨拶を受けて 相好を崩した。 「瞬先生のお嬢さんだけあって、可愛らしいだけでなく、とても賢そうだ。将来が楽しみですね」 「ありがとうございます」 ママ友集団が その場から立ち去らず、瞬と瞬の患者のやりとりを聞いているのが気まずい。 タレント教授が、 「無駄足にはなっていませんよ。瞬先生に言われた通り、車を使わず、この通り、ウォーキングに励んでいます」 と言って、公園のちびっこ広場を立ち去ると、新しい情報を得た彼女等は早速 再査定を再開した。 「不規則な仕事って お医者様だったんですね」 「今の人、夕べの討論番組で見たわよ」 「そういえば、昨日 ホテルにいた人たちも みんなタレントっぽかった」 それは誤解である。 そして、ここから逃げたい。 スミレちゃんの お母さんが いつものように話しかけてこないのは、結局のところ、彼女も この公園の母親たちの間にヒエラルキーがあることを認知し、その中に 自分の居場所を定めてしまっているからなのだろう。 そんな馬鹿げた仕組みの中に組み込まれたくない――。 組み込まれないために、瞬はナターシャと共に 氷河の許に帰ろうとしたのである。 ナターシャのために顔を引きつらせ続けて疲労困憊している氷河の許に。 氷河だけが、瞬に理解できる価値観の持ち主だから。 瞬が 自分のその判断と決意を行動に移そうとした時、瞬以上に ママ友集団の再査定が終わるのを待っていられなかったらしいナターシャが、瞬とつないでいた手を解き、スミレちゃんのいる方に駆け出した。 「スミレちゃーん、ナターシャ、ハシゴ作れるようになったヨー!」 ナターシャは、彼女の友だちに、その報告をしたかったのだ。 「スミレちゃんから教えてもらったハシゴを作ってみせたら、みんながすごいって褒めてくれたの。スミレチャンのおかげダヨ。ありがとう!」 ナターシャには、ママ友カーストも 公園のヒエラルキーも関係がない。 それは スミレちゃんも同様のようだった。 「ナターシャちゃん、覚えるの 早いもん」 スミレちゃんも お母さんの側を離れ、ナターシャの方に駆けてくる。 「それでね。アオイちゃんたちも、スミレちゃんに あやとり教えてほしいんだって」 「え」 「アオイちゃん、サクラちゃん、カエデちゃん、ツバキちゃん、カンナちゃん、アンズちゃんー!」 ナターシャが、公園の階段周辺にいる女の子たちに向かって声を張り上げ、大きく手を振る。 それは“上流”ママ友集団の子供たちで、ナターシャに名を呼ばれると、彼女たちは 一斉にナターシャの方に駆けてきた。 「広場の脇の水道に手を洗いに行った時、オトモダチになったんダヨ。ナターシャとスミレちゃんは、ママが いつも一緒でイイネって。アオイちゃんたちのママたちは、ママ同士で遊んでばっかりいるんだって。マーマは貸してあげられないけど、オトモダチにはなれるよって、ナターシャ、言ったの」 「ナターシャちゃんちは、パパもかっこいいよね。イケメンでスタイルよくて」 「クールっぽいのに優しいんだよね。ワタシんちのパパは、ワタシと遊んでくれたことなんかないのに」 ママ友集団が母親たちだけで身分制度を守る作業に熱中しているうちに、ナターシャは しっかり自分の交友関係を広げていたらしい。 母親たちの努力(?)を 水泡に帰す子供たちの盛り上がり振りに、“上流”ママ友メンバーのみならず、スミレちゃんのお母さんも あっけにとられている。 その光景が 広い草原に集団で見張りに立っているプレーリードッグのようで、瞬は 胸中で こっそり、だが盛大に吹き出してしまったのだった。 同時に、馬鹿馬鹿しいシステムと思い、意識して無視しようと思うほどに、自分もまた 公園の母親たちのヒエラルキーを気にしていたのだと、瞬は反省した。 「子供たちは大人より素直で賢いですね。そう思いませんか?」 「あ……え……ええ?」 「そ……そうかも……」 自分たちのテリトリーを完全に破壊されて混乱しているプレーリードッグたちも、見ようによっては 愛らしいと言えないこともなかった。 いずれにしても――母親たちの思惑は ともあれ、これから母親たちが どう出るのかはともかく――偏見というものを持たないナターシャなら、子供同士の友人関係も 上手く こなしてくれそうだと、瞬は思ったのである。 そして、安堵の胸を撫で下ろした。 状況が こうなると、問題は ただ一つ。 イケメンでスタイルがよく、クールっぽいのに優しいナターシャちゃんのパパが、明日から この公園で遊ぶ少女たちのアイドルになってしまうかもしれない――ということだけだった。 Fin.
|