アテナの統べる“聖域”は 不思議な国だった。
何よりもまず、国土が広いのか狭いのかがわからない。
外の世界から見れば 小さな村ほどの面積しかないのだが、いったん その中に入ると、アテナの国には 果てがなかったのだ。
アテナは、不遇な子供たちを多く受け入れるために 時空を捻じ曲げているらしい――と言う者もいたが、事実がどうなのかは 瞬たちにはわからなかった。

聖域の中心に、アテナ神殿がある。
黄金聖闘士になると、アテナ神殿を守護する大きな大理石の宮を与えられる。
白銀聖闘士には、十二宮の周辺に中程度の宮が与えられ、青銅聖闘士は、更に その周辺に小宮を与えられる。
――らしいのだが、さしあたって、聖闘士志願として聖域に入った瞬たちには、そんなことは どうでもいいことだった。
聖域には、“宮”とは言い難い、大小さまざまの住居が無数にあり、聖闘士志願者たちは 空いている住まいを好きに使っていいのだと、瞬たちは、聖域に入った時に 聖域の管理監督を任されているという男に説明された。

聖域にやってきた聖闘士志願者には、住居が与えられ、食事と衣服が与えられ、税を取り立てられることもなく、基礎的な教育も施してもらえる。
不断の努力を続けたにもかかわらず 聖闘士になることができなかったとしても、聖域に残って 聖域の警護や聖域の運営管理の仕事に就くことができる。
ただし、聖闘士としてであれ、聖闘士志願者としてであれ、一兵卒としてであれ、意欲のない者、努力をしない者は、聖域からの退去を余儀なくされるのだそうだった。

聖域は、アテナは、自ら助くる者を助く――努力をしない者には、アテナは恵みを垂れないのだ。
そもそも、神であるアテナには 人間を守る義理も義務もない。
にもかかわらず彼女が人間を守護するのは、同胞を守りたいと思い、そのために力を尽くそうとする人間の強い意思――すなわち“愛”というものに、彼女が価値をおいているから。
アテナは怠惰な者――それは“愛を持たない者”と言い換えることができる――を、助ける気はないのだ。
神は そこまで甘くない。
逆に言えば、やる気さえ示せば、聖域は その者に 衣食住と仕事を保証する。
聖域の その基本方針は、無一物の瞬たちには 十分に寛大で有難いものだった。

アテナに仕え、平和のために戦いたいという意欲があり、努力さえ続ければ、聖闘士になれなくても、命を永らえるのに必要なものが与えられる聖域は、特に 瞬には幸いな場所だった。
もともと瞬は、人を傷付けることが嫌いで、平和を守るためにでも 他者を戦うようなことはしたくなかったのである。
その上、アテナの聖闘士の証である聖衣は無限にあるわけではなく、聖闘士志願者は全員が生聖闘士になれるわけではない――と聞いていたので、おそらく自分は聖闘士になることはできないだろうと、瞬は思っていた。

修行を続け、ある程度の歳になれば、聖闘士になれるかなれないかは はっきりする。
その時、自分だけが聖闘士になることができず、聖域を出なければならなくなったら、自分は一人では生きていけないだろう。
そのこと自体は、自分の力が及ばなかったのだから仕方がないことであり、諦めもつく。
しかし、もし そうなった時、仲間たちが みそっかすの仲間を一人にすることはできないと言って、聖域での暮らしを捨てようとしたら――と、瞬は それを案じていたのだ。
だが、その心配は不要らしい。
アテナと平和のために努める意思があり、実際に そのための努力を続けていさえすれば、聖闘士になれなかった聖闘士志願者も聖域の住人であり続けることができるらしい。
その事実は、瞬の心を安んじさせた。

となれば、残る問題は ただ一つ。
生まれ故郷の村にいても、大人の庇護者のいない孤児は、いずれ戦いか飢えのために命を落とすことになるだけだ――と言う仲間たちに説き伏せられる形で聖域にやってきた氷河に、まるで やる気がないことだけだった。






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