ギリシャの独立は、1830年のロンドン会議において公式に――国際的に承認された。 1453年のコンスタンティノープルの陥落以来、380年になんなんとする長きに渡って オスマン帝国の支配下にあったギリシャは、ついに その独立を回復したのである。 ギリシャがオスマン帝国からの独立を求めて、1821年に始まったギリシャ独立戦争。 その勝敗を決したのは、1827年のナヴァリノの海戦だったと言われている。 ギリシャの独立を支持するロシア、イギリス、フランスの三国による共同軍によって、オスマン帝国のエジプト艦隊が全滅。 その敗北で、オスマン帝国はギリシャの独立を認めざるを得なくなってしまった。 ギリシャの独立は、独立を望むギリシャ国民の力だけで勝ち取ったものではない。 ギリシャ一国の力だけでは、ギリシャの独立は決して成らなかっただろう。 餓死や凍死の不安のない南欧人の特性として、ギリシャ人は 基本的に不精者。 有り体に言えば、あまり勤勉ではない。 オスマン帝国からのギリシャの独立を ギリシャ国民より熱烈に願い、そのために ギリシャ国民より力を尽くしたのは 西欧諸国の民だった。 ギリシャ文明を西欧文明の原点として敬愛する運動である“ギリシャ愛護主義”が 西欧諸国に起こり、イギリスやフランスによるギリシャ独立運動の支援が活発になったこと。 そして、ロシアの南下政策がオスマン帝国と対立したこと。 この二つの出来事が同時期に重なったことが ギリシャを独立に導いたと言っていい。 その契機と経緯はどうあれ、とにもかくにも、西欧諸国は380年の長きに渡って 失われていた、彼等の文明の原点であるギリシャを 自らの手に取り戻したのである。 ギリシャ独立後、ギリシャへの外国人旅行者が激増したのは、自然な成り行きだったろう。 ギリシャ愛護主義の中心地だったイギリスの民、古代ギリシャ芸術に多大な関心と憧憬を抱く 現代の芸術の国フランスの民、ギリシャ文芸復興運動発祥の地イタリアの民、オスマン帝国に黒海沿岸地域を割譲させて気炎万丈のロシアの民。 建築家、彫刻家、画家、詩人、歴史家、商人、軍人、古代ギリシャの文明に憧憬を抱く一般人ももちろん、経済的に余裕のある者は 誰もがギリシャに向かった。 それは、各国の王族や貴族も例外ではない。 某大公国の大公が、アクロポリスの丘に現れた。 某王国の王子が、ギリシャ各地で古代彫刻を買い漁っている。 某帝国の皇太子が お忍びでギリシャに入国したらしい。 そんなニュースや噂が、毎日のように ギリシャ国内を飛び交っていた。 ロシアや西欧諸国は言うに及ばず、新大陸アメリカでも空前のギリシャ旅行ブームが起き、その当然の帰結として、ギリシャ国内の至るところで 外国人の姿が見られるようになったのである。 そんな時に 瞬がギリシャに渡ったのは、決して観光のためではなかった。 とはいえ、ギリシャという国は、どこに行っても遺跡と絶景がある国。 ギリシャを訪ねた人間は、そのつもりがなくても 自然に観光客になってしまうのだ。 瞬も、ギリシャを訪れた外国人の宿命から逃れることはできなかった。 古代ギリシャの民には、『あまりに美しい場所には 神のみが住むことを許される』という考えがあったらしい。 そのため、ギリシャの絶景の地には、神殿はあっても 人間の住居はない。 ギリシャは、そういう意味で、観光に最適の国だった。 古代ギリシャにおいて、“美しすぎて 人間が住むべきではない”とされた場所の一つが、アテネの南東にあるスニオン岬である。 岬には、海神ポセイドンの神殿(の遺跡)がある。 知恵と戦いの女神アテナと アテネの町の所有権を争って敗れたポセイドンだが、他神に敗れたとはいえ、彼が有力な神であることに変わりはない。 ましてギリシャは海洋国。 ギリシャの民には、海神を ないがしろにするようなことは、到底 考えられないことだったろう。 その日の午後、瞬がスニオン岬に向かったのは、実は、女神アテナを祀るパルテノン神殿のあるアクロポリスの丘が観光客で埋め尽くされ、見学も ままならない状況だったから――だった。 バイロンが その絶景を詩に歌ったスニオン岬も結構な人出だったが、この岬が最も美しい姿を見せると言われる夕刻には間があるせいか、瞬が岬を訪れた時には、その人出は混雑と言えるほどのものにはなっていなかった。 スニオン岬のポセイドン神殿は 柱と土台が残るだけの、いわば神殿の残骸なのだが、むしろ そのせいで、柱と柱の間に見える海、空、光が遺跡を彩り、その美しさを増している。 真っ青な空に並ぶ 白大理石のドーリア式の柱は 美しく――美しすぎて、時の流れの 壮大と もの悲しさとを 同時に瞬の胸に運んできた。 神殿の柱の側に人の姿が ほとんどないのは、それが遠勝りする遺跡だから。 スニオン岬のポセイドン神殿は 近くで見るべきものではなく、遠くから眺めるべきものだということを、旅行者たちが知っているからのようだった。 瞬自身も、その神殿を至近距離で観察したいという気持ちは起こらなかったので、他の観光客たちに倣い、離れた場所から美しい遺跡の姿を眺めていたのである。 エーゲ海から吹いてくる海風。 神殿を抱いた岬の風景は 人間性や生活感を拒絶するような美しさを たたえているのに、エーゲ海から吹いてくる風は、なぜか 官能的な熱を含んでいた。 神のみが住まうことを許された絶景の中に建つ神殿。 その神殿の脇に 一人の青年がいることを最初に認めたのは、瞬の視覚ではなく触覚だった。 肌が、彼の視線の強さを感じ取ったのである。 二人の間には どんな障害物もなく、そこにあるものはエーゲ海から吹いてくる風ばかり――とはいえ、二人の間には20メートル以上、もしかすると30メートル近い距離があったというのに。 逆光に金髪が輝いている。 顔立ちは はっきりしないが――顔は はっきり見えないのだが――彼が美しくないはずがないと、瞬は実に非論理的な考えを考えた。 (神……?) 瞬は、ほとんど本気で そう思ったのである。 そんなことがあるはずがないのに。 そうではないことを、理性は承知しているのに。 陽の光に透けるような金髪は、どう考えても ギリシャ人のものではない。 となれば、常識的に考えれば、彼は ギリシャ旅行ブームに乗って 外国からやってきた旅行者の一人である。 そう認識した上で、彼なら、神のみが住むことを許される この地に住まうことを 古代のギリシャ人たちも許すだろう――と、瞬は思った。 人間でなく神だと思ったから、瞬も長く彼を見詰め続けていられたのかもしれない。 神ならば、卑小な人間の視線の一つや二つを意に介することもないだろう――と思うことができたから。 「あの金髪は北方系だな。ロシアか北欧の貴族、もしかすると王子か皇子かもしれないぞ。そういえば、ロシアのニコライ1世の皇太子が お忍びでギリシャに来ているという噂を聞いた」 「スウェーデンの王子も来ているという話だったな」 「贅沢を言わせてもらえば、ここよりは、デルポイ辺りで見たかったわ。あの姿は、どう見たって、ポセイドンよりアポロンでしょう」 と、そんなことを イタリア語で話しながら 瞬の後ろを通り過ぎていく一団がいた。 神と人間界の王族を同次元で語る観光客。 それが さして突飛な発想に感じられない、この土地の特異さに、瞬は胸中で こっそり感心した。 彼は 神ではない。 身に着けているものは、ギリシャの神が まとうような寛衣とサンダルではなく、綿の白いシャツと革靴。 これ以上なく、現代的な服装である。 彼は もちろん 神ではない。 だが、ギリシャ人より ギリシャ芸術に慣れ親しんでいると言えなくもないイタリア人たちがアポロンに なぞらえるくらいなのだから、瞬が彼を神と錯覚したのも、さほど頓珍漢な 錯誤ではなかったのだろう。 神ではないだろうが――神であっても人間であったとしても、彼は行きずりの人である。 彼が何者なのかということは気になったが、まさか側に行って『あなたは何者ですか』と尋ねるわけにもいかない。 神のみが存在することを許された光景の中に、人間の身で 入っていくことなど 思いもよらない。 夕刻のスニオン岬を見ようとして、人が増えてきた。 心残りではあったが、瞬は その場を立ち去らなければならなかった。 |