「娘は多額の借金を抱えて、父親は娘を弄ばれて――あの父娘が これから 苦労することは目に見えている。哀れな父娘を これだけ傷付けて、風船ホストだけが傷付かずに済むというのは不公平だ。だから、俺は、あの風船ホストを ナンバーワンの座から引きずり落としてやることにしたんだ。あの風船ホストの思い上がりの根拠は、超有名ホストクラブでナンバーワンだということのようだったからな。それで三方一両損。公平だろう」 氷河は、自分の理屈に自信満々で そう言うが、なぜ そういう結論になるのかが、瞬には まるで理解できなかったのである。 公平性という観点では、なるほど確かに 氷河の言う通りかもしれない。 しかし、三方一両損では、誰も幸せにならないではないか。 「その発想がわからないよ。だいいち、ホストって、女性を お姫様気分にしてあげて、そのサービス料をもらう仕事でしょう。女の人を おだてて、いい気分にしてあげるなんてことが、氷河に できたの」 「俺に そんなことができるか。俺を独占できることが特権だという雰囲気に持って行ったんだ。その辺りのテクニックはママから伝授してもらった。店にホストとして潜り込むのは簡単だったしな」 「それは――潜り込むだけなら、氷河には簡単だったでしょうけど……」 蘭子が氷河の計画を面白がって、あれこれアドバイスする光景を 容易に思い描くことのできる自分に、瞬は 軽い目眩いを覚えた。 蘭子のアドバイスは、『細客は無視して、太客だけを狙え』というものだったらしい。 ちなみに、“太客”とは“太っ腹な客”――極めて多額の金を店に落とす上客――を そう言うのだそうだった。 大きなホストクラブには必ず、来店時にVIPルームに案内される、歳のいった金持ちの有閑マダムがいる。 彼女等は、店に新顔が入ると、自分に挨拶をさせるために、一度は新入りを指名することになっているらしい。 蘭子は、その指名を断れと、氷河にアドバイス(?)した。 それでホストが務まるのかと氷河が尋ねると、蘭子は、 『氷河ちゃんなら大丈夫』 と、確信に満ちた顔で答えたのだそうだった。 『普通レベルのイケメンなら、即座にクビでしょうけどね』 と。 そういう状況が現出した時、VIPルーム直行の太客なら、そして 氷河ほどの容姿の持ち主に対してなら、その太客は 自分を袖にした新入りに、金を使って 自分の力を示そうとする。 『氷河ちゃんは、マネージャーに頼まれて、仕方なくマダムの席に来たって顔をしてればいいだけ。相手は、意地になって金を使ってくれるわよ』 「それなら 俺にもできそうだったし、実際できたんだ」 蘭子に言われた通り、 『そうだな。金を持っていない小娘の相手はしたくないな。かわいそうだから』 と、氷河が初日に某上場企業の女社長に言うと、彼女は氷河の優しさに(?)いたく感動して、即座にドンペリのロゼを20本 開けてくれたらしい。 その話は すぐに他の客に伝わり、氷河を同席させられることが 店の客のステータスになった。 やがて太客たちが互いに対抗意識を持つようになり、氷河のために開けられるドンペリの数は増えていった。 風船ホストが8時間かけて10人を相手にしている時、氷河は一人の太客に1時間だけ 仏頂面を見せて、風船ホストの2倍3倍の売上げ。 僅か1週間で、氷河は、東の“LOVE”、西の“ROMANCE”と並び称される超有名ホストクラブ、歌舞伎町の“LOVE”本店のナンバーワンになり、それは今も継続中――ということだった。 「でも、氷河のお店は? まさか、シュラさん一人に任せていたわけじゃないでしょう?」 「そんな危険なことができるか。俺がホストクラブのパートに出ている間は、俺の代わりに ママが酒を作ってくれていた。ママは器用だな」 「蘭子さんが……」 安堵すればいいのか、呆れればいいのか。 瞬は もう、溜め息しか出なかった。 「そうしているうちに、ママが重大な情報をゲットしてきてくれたんだ。風船ホストが“LOVE”の十傑入りホストを6、7人 引き抜いて、独立する計画を立てていると。俺は、速やかに、その情報を“LOVE”のオーナーにリークした。それが3日前だ。今夜、奴は めでたく“LOVE”をクビになった」 「氷河……」 哀れな父親への心無い振舞いを思えば、それは風船ホストの自業自得なのかもしれない。 風船ホストは、自らの思い上がりのせいで、作らなくてもいい敵を作った。 それでも、失職にまで追い込むのは さすがに やりすぎなのではないかと、瞬は思わないわけにはいかなかったのである。 氷河当人は、自分のしたことに、全く後悔を覚えていないようだったが。 「ホストは いつまでも続けられる仕事じゃない。ホストの独立自体は よくあることで、さほど問題はないが、店のホストの引き抜きは、恩ある店への義理を欠いた裏切り行為。奴はもう、歌舞伎町では店は出せないだろう。ホストという生き物は、ホストクラブという舞台に立つからホストなんだ。舞台を失ったホストは ただのチンピラだ。この世界に い続けるなら、奴は 場末の店から 出直すしかない。これまで 奴を指名していた女たちに すがっても無駄。落ちぶれたホストに持ち上げられても、女は いい気分にはなれない。奴は、ホストとしては、もう終わりだ」 三方一両損なら公平――と 氷河は言っていたが、彼は 娘を持つ父親の一人として、やはり風船ホストを最も憎み、質朴な父親に 最も深く同情していたらしい。 『奴は、ホストとしては、もう終わりだ』と告げる氷河の目は、ただただ冷ややかだった。 「そういえば、俺がいる間に一度だけ、秩父氏の馬鹿娘が店に来た。秩父幸子 ――あの店は、客の金払い情報をデータベス化しているんだが、備考欄に 借金を抱えていることも カードが使用停止になっていることも記されていたぞ。店に飾られているナンバーワンの写真が 風船ホストでなくなっているのに驚いていたな。前回の支払いが済まないと入店させられないと 門前払いを食って、すごすごと帰っていった。風船ホストもいなくなったことだし、あの娘も これに懲りてホスト遊びはやめるだろう。俺のパート勤めも、今日が最後だ」 氷河は、これにて一件落着、めでたしめでたしの大団円――という口振りだが、氷河のような楽観視は、瞬にはできなかった。 一件落着したのは、氷河だけではないか。 「そんなの、何の解決にもなっていないでしょう。世界中の父親の敵が一人 減って、氷河の溜飲が下がっただけで。幸子さんはどうなるの」 「風船ホストがいなくなったら、目が覚めるだろう」 「そんな単純な話なわけがないでしょう!」 秩父氏の娘は、孤独感をこじらせて 自分に存在価値を見い出すことができなくなり、それでも生きて存在していたいから、他者承認を金で買おうとしたのだ。 そういう意味で、彼女は、風船ホストを本当に愛していたわけではない。 彼女が欲しかったのは、有名なホストクラブの人気ホストが 自分を お姫様に対するように褒め、持ち上げ、優しくしてくれるという事実。 風船ホストがいなくなったら、彼に代わる誰かを探すだけ。 そのために金が必要だというのなら、彼女は どんな手を用いても 必要なものを手に入れるだろう。 そうして、秩父氏は、また悲しい思いをすることになるのだ。 「幸子さん――ご両親が どんな願いを込めてつけた名なのかがわかる、いいお名前なのに……」 「娘の方は、ダサイ名前だと不満たらたら だったらしいがな。“親の心、子知らず”というやつだ。あの しょぼくれ親父は、自分の気持ちを 娘に伝えるのも下手そうだったし」 「氷河は、秩父さんより もっと下手でしょう。ナターシャちゃんだから 通じているんだよ」 「どこぞの馬鹿娘と違って、ナターシャは賢い子だからな。ナターシャは、人の心を思い遣ることを知っている。きっと、おまえに似たんだろう」 「……」 突っ込みどころは多々あったが、せっかく 得意満面の幸せなパパでいる氷河に 水を差すようなことはしたくない。 氷河には このまま、得意満面の幸せなパパでいてもらうことにした上で、瞬は 氷河に仕事を一つ 言いつけた 秩父氏父娘との面談の場を セッティングするように。 ホストクラブ勤めを瞬に秘密にしていたことに引け目があるのか、氷河は、翌日には某ホテルのロビーラウンジにアフタヌーンティーの予約を入れた旨、瞬に謹んで報告してきたのである。 |