パパとマーマが そんな大変なことになっていることを、ナターシャは知らなかった(氷河と瞬は、その“大変なこと”を、ナターシャに気取られないように行なっていた)。 そして ナターシャは、富と幸せを招いてくれる猫が家の中にいることに満足し、安心しているようだった。 氷河の“ナターシャ幸せ宣言”の内容を、蘭子がナターシャに知らせてしまった時に 抱いた懸念は 杞憂にすぎなかったかと、瞬も安心しかけていたのである。 そうではなかったことに 瞬が気付いたのは、氷河の寝室に巨大招き猫が居座るようになってから 数日が過ぎた頃。 いつものように 氷河と公園に出掛けていたナターシャが、黄色い銀杏の葉と真っ赤なもみじを お土産に帰宅した日のことだった。 瞬の公園の様子を報告してくるナターシャの声が 掠れている。 夏場には緑一色だった公園の木々の葉が、あるものは黄色に、あるものは深紅に鮮やかな変身をする不思議に驚き、感動し、おそらくナターシャは、乾燥した秋の空気の中で歓声をあげながら、はしゃいでまわったのだろう。 それで、少々 喉に負担がかかってしまったようだった。 用心のために、瞬は 喉の炎症を鎮める薬をナターシャに飲ませようとしたのだが、大抵の子供の例に洩れず、ナターシャも薬が嫌いである。 たとえ甘味を加えたシロップ薬でも、甘味が消えたあとに残る薬の後味の悪さが、ナターシャは苦手らしかった。 「マーマ、オクスリ、ニガイヨー。ミルクで飲んじゃダメ?」 「その お薬は、ミルクと一緒に飲むと 効き目が弱くなっちゃう お薬なんだよ。お水ならいいんだけど……」 「むー……」 水では、後味の悪さは薄まるが、逆に それが口中に広まる。 薬より渋い顔になったナターシャは、だが、シロップが入った容器を差し出してくる瞬の後ろに 氷河が立っていることに気付くと、すぐに笑顔になった。 そして、瞬ではなく氷河に報告するように大きな声で、 「ナターシャ、平気ダヨ! イイコにして、ちゃんとオクスリ飲むヨ!」 と言って、その言葉通りに、ミルクも水もなしに シロップ薬を喉の奥に流し込んだのである。 「ナターシャちゃん、偉いね! このお薬は ナターシャちゃんの可愛い声を守るための お薬なんだよ。これで、ナターシャちゃんの声は ずっと可愛いままだよ」 シロップ薬の後味の悪さを我慢して 少し眉根を寄せていたナターシャが、かなり無理をして作っているのが一目瞭然の笑顔を作る。 それが、マーマに『偉い』と褒められたからではなく、自分の“可愛い声”が守られたからでもなく、パパに見せるために 作ったものだということが、瞬には わかった。 “マーマの言うことをきく イイコのナターシャ”に、氷河は(表情は変えずに)満足げ。 しかし、瞬は軽い引っ掛かりを覚えた。 それでも――その時には、瞬もまだ、氷河が見ているからナターシャは いい子でいようとしただけなのだと思うことができたのである。 大好きなパパに心配をかけまいとして 苦い薬も我慢して飲むナターシャは 氷河よりずっと偉いと思うことができたのだ。 その時には、まだ。 |