『でも、彼が多くの人を幸せにしたことは、確かな事実よ』
瞬も、アテナの聖闘士として、そういう生き方をしたいと思う。
その気持ちは、アテナと同じである。
だから、瞬が氷河に、
「氷河。もうすぐ 世界が滅びるとしたら、氷河は 今でもマーマのところに行きたい?」
と尋ねたのは、
『車谷氏 ご本人が 幸せだったのかどうかは わからないわ』
という、沙織の言葉が気に掛かったからだった。――かもしれない。
車谷氏の心は、今となっては知りようもない。
ならば せめて 氷河の心を知りたいと思ったから。

氷河は、それが8年前の質問の続きだということに気付いているのかどうか。
氷河は、瞬に 答えを返す代わりに、質問の変更を要求してきた。
「訊き方を変えろ。もうすぐ 世界が滅びるとしたら、俺は どうするのかと」
「氷河は どうするの?」
ご要望通りに訊き方を変える。
氷河は、満足げに頷いて、彼にしては ゆっくりした慎重な声で、彼の答えを瞬に手渡してきた。
「おまえに好きだと告白して、最後の時まで 一緒に生きていこうと誘う。かな」
「氷河……」

幾つもの つらい戦いと悲しい戦いを戦い抜くことで 涙を取り戻した氷河の瞳は、もう砂漠のように乾いてはいない。
その青い瞳は、豊かな海のように、命と情熱をたたえている。
たった今は、少し 照れて、そして、瞬の答えを恐れているようでもあった。
恐れる必要などないのに。
氷河の望まない答えを、“瞬”が返すはずがないのに。

この先、世界が永遠に滅びなくても、人の命はいずれ終わる。
時間は限られている。
だが、限られている その時間は、人が人を愛して生きるには十分なものなのだ。

「世界が滅びなかったら、先は長いよ」
「そんなに長い間、おまえと一緒にいられたら、言うことはないな」
「うん……」

もしタイムマシンを手に入れても、自分は“今”以外のところには行かない。
行く必要はない。
頬に触れる氷河の手と指の熱さに 心を震わせながら、瞬は そう思った。






Fin.






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