『生きて帰ってくると連絡があったのは、9人だ』 辰巳がそう言った時、城戸邸に“生きて”帰ってきていたのは、星矢、紫龍、邪武、檄、蛮、市、那智、そして 俺――の8人だった。 あと一人は当然、一輝だろう。 殺しても死にそうにないあの男――瞬の兄。 もちろん、一輝が死ぬはずがない。 つまりは、そういうことなんだ。 100人中9人。打率としては1割にも満たない。 だが、この世界に88しかない聖衣の内の9つまでを、極東の小さな島国の出身者――しかも、ただ一人のジジイの息のかかった子供たちが手に入れることになったという事実は、奇跡的な好成績と評していいことなのかもしれない。 成績が良くても悪くても、その9人の中に瞬が含まれていないなら、俺にとって それが最悪の結果であることに変わりはないが。 俺は、何のために日本に帰ってきたんだ。 アテナの聖闘士としての責務なら、日本でなくても果たすことはできるのに。 しかも、城戸沙織は これから俺たちを使って、ギャラクシアン・ウォーズとかいう、口にするのも恥ずかしい名称の見世物興行をするつもりでいるらしい。 そのために、グラード・コロッセオとかいう大袈裟な闘技場まで建てたらしい。 そのチケットが、日本国内のみならず海外でもプラチナチケットとして売買されているというんだから、呆れた話だ。 ローティーン、ミドルティーンの いたいけな子供たちを戦わせ、それを見物して楽しもうなんて、現代人は、愚民政策を採っていた古代ローマの市民より冷酷にできている。 俺が城戸邸を出たのは、『最後の一人は、一輝か一輝以外の誰かか』というネタで盛り上がり始めた邪武たちの声が不快だったからだ。 修行地に送られた時、一輝は辰巳に痛めつけられて 既に半死半生状態だったというのが、“一輝以外の誰か”説を押す奴等の主張根拠らしかったが、そんなことくらいで あの一輝が くたばるものか。 奴は、瞬に再会するためになら、砂を食ってでも生き延びる男だ。 くだらない論議に花を咲かせている奴等は、瞬が帰ってきていないことを知った一輝を どうやって落ち着かせればいいか、その算段をこそ話し合った方がいい。 一輝は、瞬の死を知ったら、俺のように大人しく絶望するなんてことはしないに決まってるんだから。 俺は、一輝のように、無駄に腹を立てたり 暴れたりはしない。 腹を立てて暴れれば 瞬が生き返るっていうなら、いくらでも そうするが、そんなことをしたって、瞬が生き返ってくるわけじゃないんだ。 俺は――まずは、ギャラクシアン・ウォーズとやらに出場せずに、シベリアに帰るための策でも練ろう。 城戸沙織や グラード財団は、そんな申し出をしても聞いてはくれないだろうから(むしろ、邪魔してくるだろうから)、正攻法は使えない。 チケット転売屋にでも行って、非正規ルートで航空券を手に入れ、さっさと大陸に渡る。 日本を出て 連絡を絶ってしまえば、まさかシベリアまで追っ手を差し向けるようなこともあるまい。 ――あるんだろうか、それとも。 そんなことを考えながら城戸邸を出て 駅に向かった俺は、駅前の広場で、実にくだらない場面に出くわした。 “くだらない”というのは、もちろん“俺にとって、くだらない”という意味で、それは当事者には とんでもない重大事だったろうが。 一人の女の子が、見るからに頭の悪そうなチンピラに絡まれていた。 ここ数年 日本語に縁のない場所で暮らしていたんで、俺は 現代日本語には疎いんだが、“チンピラ”というのは今では死語なんだろうか。 ヤクザというのは職業名だから無くなっていないと思うが、ヤクザじゃないな。 そのチンピラは、そういう組織に正社員として採用してもらえるほど胆が据わっているようには見えなかった。 そういえば、日本では、少々 人としての正道から外れた人間のことを“ヤンキー”と呼ぶことがあるそうだが、その手の人間をヤンキーと呼ぶのは、本物のヤンキー(= 北部米国人)への差別用語にはならないんだろうか。 ともかく、そのチンピラだか ヤンキーだかが、駅に向かおうとしていた(のか?)女の子の行く手を塞いで、その女の子に、 「俺は、お茶に付き合ってくれって 丁寧に頼んでるだけなのに、何だよ、その態度は!」 という疑問文(なのか?)を投げつけていた。 「僕も、あなたの お誘いを遠慮する権利を行使させてほしいと、丁寧にお願いしているだけです」 女の子の返事は明瞭明白なのに、チンピラは引き下がらない。 馬鹿の見本のような その男が、 「何だと、コラ!」 という、意味を把握するには、あまりにも色々な言葉を省きすぎた文章で、今度は どう聞いても脅しにしか聞こえない脅しを始める。 シベリアの奥地から出てきたばかりの俺が言うのも何だが、古典的というか、お約束通りというか。 恥ずかしげもなく、人目のあるところで、そんな言葉を吐くチンピラの豪胆に、俺は つい感心してしまった。 いや、だが、まさか そんな豪胆なことができる一般人が、現代日本に存在するはずがない。 この類型的展開は、コメディ映画の撮影か何かに決まっている。 そう考えて、俺は辺りを見回したんだが、駅前広場のどこにも 撮影スタッフらしい者たちはいなかった。 ということは、あのチンピラは、素でコメディアンなのか。 だとしたら、奴は 実に稀少かつ貴重な存在だ。 生きている化石、歩く歴史的文化遺産と言っていい。 そんなものを見せられて、周りの人間は、よく 笑わずにいられるもんだ。 日本人は 感情を隠すのが巧みな、実にクールな民族らしい。 その血は俺にも流れているはずなんだが、やはり生粋の日本人とハーフでは 質が違うようだ。 一瞬、本気で尊敬しかけて――幸い、俺は その直前で自分の観察眼と判断が間違っていたことに気付いた。 彼等は、確かに、これほど滑稽なコントを見せられても笑っていなかったが、その代わりに、嫌悪や怯えの表情は ちゃんと顔に貼りつけていたんだ。 彼等は、感情を隠すのが巧みなわけではなく、単に 面倒事に巻き込まれないために チンピラのギャグが聞こえていない振りをしているだけのようだった。 この場に、弱きを助け、強きを挫く正義の味方はいない。 それだけのことだったらしい。 それにしても、つくづく前近代的だ。 チンピラというのは、人としての真っ当な道から外れているだけじゃなく、進化の道からも外れているのかもしれない。 進化の系統樹から外れた その原始生物は、ついに、非力な女の子を暴力で従わせることにしたらしい。 ――んだが、これがまた。 殴ろうとして 振り上げた腕の角度も変なら、拳の作り方もなっていない。 このチンピラは、人に一方的に暴行を加えたことはあっても、まともに喧嘩をしたことがないんだろう。 そして、周りの人間は皆、相変わらず、嫌悪の表情でチンピラのギャグを 遠巻きに見ているだけ――もとい、見て見ぬ振りをしているだけ。 自分が圧倒的に優位がない限り、危険物には近付かない――というのが、現代日本人の一般的な対応、標準的なスタンスのようだった。 これが、進化する動植物の生き残りの極意なのかもしれない。 誰も動かないので 仕方なく――心の底から不本意だったが――俺は、古典芸能の舞台に上がっていったんだ。 そして、できれば触りたくないチンピラの腕を掴みあげ、得体の知れない原始生物のために、 「やめろ」 と、音を3つも提供してやった。 |