心配し、緊張していたせいで、心身のエネルギーを大量消費したのか、その心配事が消え 緊張が解けると、ナターシャは半端な時刻だと言うのに眠りに落ちてしまった。
が、どうやら 立派な大人についてのディスカッションに緊張していたのは、ナターシャだけではなかったらしい。
ナターシャを彼女の部屋のベッドに運んだ瞬がリビングに戻ってくると、そこではソファから立ち上がった星矢が肩甲骨周りのストレッチを始めていた。

「ガキの頃から 世界中の子供たちの幸福に 思い至ってた瞬は、例外中の例外、完全な規格外としてさあ。ナターシャくらいの子供って、普通 ああいうことを考えるもんなのか?」
ナターシャがいないのなら、『行儀が悪い』と注意する必要もない。
瞬は、“よその おうちで、落ち着きなく はしゃいでいる”星矢を そのままに、氷河の隣りに腰を下ろした。

「僕だけ規格外にしないで。それで言ったら、あの頃 城戸邸にいた子供たちは みんな、規格外だったよ。生き延びることが第一。生き延びることで精一杯の」
「そうなのかもしれないけどさあ。生き延びること第一、生き延びるのに精一杯で、俺、ナターシャの歳には、食い物のことしか考えてなかったような気がするんだよなー。あれくらいの頃、自分が何を望んでいたかも憶えてないけど」
「星矢も、お姉さんを守ることを考えていたと思うよ」
「それは当たりまえだろ」
「当たりまえじゃない人もいるよ」
世の中には、子供の親になっていながら、自分のことしか考えていない人間もいる。
瞬の病院にも、月に4、5人のペースで、大人の付き添いのない乳幼児が搬送されてきていた。
瞬の瞳が曇った訳を察して、星矢が笑顔を作る。

「まあ、でも、氷河にあれだけ甘やかされて、ちゃんと我慢することを覚えてるのは立派だよな。やっぱ、瞬の躾がいいんだろ」
「うむ。俺たちは、我慢することを教えられたわけではなく、我慢せざるを得なかっただけだからな」
「ナターシャは健気で可愛いじゃん。自分のプレゼントは我慢して、パパとマーマを助けてほしい――なんてさ」
「だが、それが仇になりそうだ」
「へ」

紫龍の呟きの意図が理解できなかった星矢が、視線を紫龍の方に巡らす。
星矢は紫龍の視線を追って、更に その目を氷河の上に移動させることになった。
紫龍に指摘される前から その事実に気付いていた瞬が、一足先に、氷河を見詰めている。
「ナターシャちゃんは我慢できても、氷河は我慢できなさそう……」
アテナの聖闘士たちの視線の先には、健気で可愛い娘にクリスマスプレゼントを贈らずにいることを我慢できそうにないナターシャのパパがいた。
いい子の娘と違って 堪え性のないパパは、爆発寸前のようである。

「瞬! 何とか、ナターシャが納得して プレゼントを受け取ってくれるようにしてくれ!」
アクエリアスの氷河に泣きつかれた瞬が、困ったように短く吐息して、大きな駄々っ子に頷く。
「わかった。何とかするよ」
星矢は、そんな瞬に 大きな声で異議を唱えた。
「瞬。おまえ、氷河にこそ、我慢することを教えるべきだって!」
“立派な いい子”のナターシャの我慢話の直後だけに、氷河の 堪え性のなさが情けない。
星矢の非難は、仲間として当然のものだったのだが、氷河は そんなことくらいで、我慢しないことを諦める男ではなかった。

「何を言う。俺はちゃんと我慢しているぞ! 瞬が日曜夜勤の時にも、病院から急な呼び出しがあった時にも」
「それは我慢して当然だろ! って、そっち方面の我慢かよ!」
せっかく ストレッチをして ほぐした肩が、また怒りで固まる。
しかし、氷河のツラの皮は、星矢の肩の僧帽筋より厚く強固で、それは三人のアテナの聖闘士の力を結集しても打ち砕くことのできないものだったのである。

鉄は熱いうちに打て。
冷えて形が定まってしまってからでは、鉄の姿を変えることは困難である。
アテナの聖闘士に あるまじきことだが、瞬は氷河に“我慢”を教えることを、最初から諦めていた。
星矢と紫龍も、自分にできないことを瞬に強要することはできず、また、瞬にできないことが自分たちにできると思い上がれるほど、彼等は傲慢でもなかった。

だから――氷河の願いは、いつも叶ってしまうのである。
信じて貫けば、夢は必ず叶う。
氷河は、自分の夢(我儘)を必ず叶えてしまう男だった。






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