そうして。 気が付くと、瞬とナターシャと氷河は 彼等のマンションのベランダに立っていたのである。 冬の夜空では、白く丸い小さな月が、胸に痛みを覚えるほど清冽な光を放っている。 真冬の切ない夢の時は、どうやら 終わってしまったらしかった。 「マーマ。ナターシャ、ゴールディちゃんに また会えるカナ?」 氷河に抱きかかえられていたナターシャが、その白い月を見詰めたまま、終わった夢を懐かしむように、瞬に尋ねてきた。 瞬が月を見るのをやめて、ナターシャの方に向き直る。 ナターシャの顔を覗き込むことで、瞬は、ナターシャにも月を見詰めることをやめさせた。 「いつかまた……ずっとずっと 遠い未来にね。ナターシャちゃんが、ナターシャちゃんの命を いっぱい 一生懸命 生きて、そのあとで」 「ナターシャが死んでから?」 「ナターシャちゃん」 瞬が、びくりと身体を震わせて、氷河と視線を交わし合ったのは、ナターシャに その言葉を口にしてほしくなかったから。そして、考えてほしくなかったから。 無論、死は、誰にでも――幼い子供にも 大人にも、幸福な人間にも 不運な人間にも、強い人間にも 弱い人間にも、アテナの聖闘士にも そうでない人間にも――必ず訪れる宿命である。 それでも 瞬は――もし その宿命について考えるのなら、ナターシャには 生きるためにだけ、考えてほしかった。 「ナターシャちゃん。死を極端に恐がる必要はないけど、人間にとって 生きていることは とても大切なことなんだよ。ゴールディちゃんやカイザーさん―― 一生懸命に生きて 死んだ人たちに恥ずかしくないよう、ナターシャちゃんは ナターシャちゃんに与えられた命を 大切にして 一生懸命 生きなきゃならない。まず、ちゃんと生きることをしなきゃならない。いい子でいて、毎日を楽しんで、ね」 「ちゃんと生きること……?」 「そうだよ。ちゃんと生きること。次にゴールディちゃんやカイザーさんに会った時、『よく頑張ったな』って言ってもらえるかどうか。自分が そんなふうに、毎日を ちゃんと生きているかどうか、ナターシャちゃんも 時々 考えてみるといい」 さすがに、それはまだ ナターシャには難しすぎるだろう。 瞬は、その言葉を、ナターシャのためというより、むしろ自分自身に言い聞かせるために口にしたのだが、ナターシャはちゃんと――ナターシャなりに、瞬の言葉をわかってくれた。 「ウン。ナターシャ、ゴールディちゃんが、どうしてマーマを大好きなのか わかるの。どんなナターシャでいれば、次に会った時もゴールディちゃんがナターシャと遊んでくれるか わかるの。ナターシャ、頑張るヨ。ナターシャ、ゴールディちゃんに遊んでもらえなかったら、いやダカラ」 「ナターシャちゃんは、本当に お利口」 ナターシャの聡明は、彼女が 素直な心を持つ――素直な心しか持たない――幼い子供だからこそのものなのだろうか。 これは、大人になれば 自然に失われてしまう聡明なのだろうか。 そうであっても、そうでなくても――氷河は、娘の聡明が嬉しくてならないらしい。 「ナターシャなら、きっと大丈夫だ」 ナターシャに 確約を与える氷河の声音は、ひどく得意げだった。 パパに太鼓判を押してもらったナターシャが、嬉しそうに破顔する。 「パパも、ゴールディちゃんと遊んでもらえるように イイコでいようネ!」 「いや、俺は、あんな化け猫はどうでも――」 「ゴールディちゃんはバケネコじゃないヨ。可愛くて優しいネコさんダヨ」 「ん? ああ、そうだな」 とりあえず、ゴールディが大きなネコさんではなくライオンだということは、しばらくナターシャには言わないでおいた方が よさそうである。 大人たちは 視線で そうすることを決め、互いに頷き合った。 「はい。じゃあ、いい子は おねむの時間だよ」 「ハーイ」 いつもなら とうに眠りに就いている時刻。 ずっと興奮してゴールディと遊んでいたナターシャの許には、そろそろ睡魔が忍び寄ってきているらしい。 氷河の仕事が休みの夜には、いつまでも起きていたがるナターシャが、今夜は珍しく おねむに積極的だった。 生きている人間を平気で黄泉比良坂に呼びつけるデストールは困りものだが、今夜のことは 悪い出来事ではなかったと、こしこしと手で目をこすり出したナターシャを見ながら、瞬は思ったのである。 次にゴールディに会えるのは、いつなのか。 その時のことを あれこれ考えることは、ナターシャだけでなく、瞬にも生きる力を与えてくれるものだったから。 まさか、その日以降、お絵描きというとゴールディの絵ばかり描いて パパを描かなくなったナターシャに 落胆した氷河が、ママゾンプライムで ライオンコスプレ用たてがみを購入し、その愛用者になってしまうことは、さすがの瞬にも、その時には予測できなかった。 Fin.
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