今日のカミュとの待ち合わせは、日比谷にある某ホテル内の老舗バー。
ホテルのバーは 街場のバーと違って 開店時刻が早い。
瞬とカミュも午後3時にはテーブル席に着いていた。
飲酒の特訓といっても、瞬の仕事は、具合いが悪くなったカミュを介抱するために 側についているだけである。
似たもの師弟の面目躍如というべきか、氷河同様、カミュは放っておけない男だった。

今日の特訓は、カルピスサワーから。
アルコール度数3度程度の軽い酒だが、カミュは それでも しっかり酔ってしまうだろう。
彼が酔って具合いが悪くなる前に――瞬は、カミュの説得に取りかかった。
「あの……今朝、氷河に――もちろん、カミュ先生がお酒を飲めないことは知らせずに、さりげなく聞いてみたんです。そうしたら、もう一度 先生に会えて、先生と戦わずに済むなら、それ以上のことは望まないと、氷河は言っていました」
『戦わずに済むなら』の部分に力と熱を込めて、ほとんど すがるような気持ちで、瞬はカミュに訴えた。

「氷河……」
似非クールの誉れ高いカミュが 愛弟子の言葉に感動し、早速 瞳を潤ませ始める。
一瞬、これなら説得できるかもしれないと、瞬の胸は躍った。
シュラをして“神の域に達する”と言わしめた乙女座の黄金聖闘士が、甘い夢を見たものである。
氷河の師が それほど簡単に倒せる敵であるはずがないというのに。
カミュは、もちろん、そんな やわな敵ではなかった。

「氷河の期待に応えるためにも、私は 何としても酒を飲めるようにならなければ……!」
「どーして、そうなるんですかっ !! 」
本当に、どうして そうなるのか。
カミュの思考経路が、瞬には まるで理解できなかった。
愛弟子の健気な言葉に カミュは瞳を潤ませているが、泣きたいのは こっちだと、瞬は 瞬らしくなく、心の底から思ったのである。
だが、カミュには、カミュの都合、カミュの理想、カミュの夢(?)があったのだ。
カミュは 彼の夢(?)を、それこそ夢見る少年のような眼差しで 瞬に語ってくれた。

「私のイメージする氷河との再会は、私がさりげなく氷河の店に行き、ブランデー・フィックスを頼む。酒言葉は『懐かしき日々』、ベースのブランデーは、もちろん カミュのX.O.だ。氷河は私の来店に少し驚き、だが その感動を言葉にできないまま、作ったカクテルを私の前に置く。ブランデー・フィックスはアルコール度数24度の強敵だが、私は華麗かつスマートに それを口に含む。そして、昨日 別れた師弟のように言葉を交わす。ここで、だらだら涙を流したりするのは、ご法度だ。そして、小一時間。私が帰ることを伝えると、氷河は、私に サービスだと言って、カリフォルニア・レモネードを出すだろう。こちらはアルコール度数 12度。酒が飲めるようになっている私には、水も同然のカクテルだ。しかし、私は 味わって飲むぞ。カリフォルニア・レモネードの酒言葉は『永遠の感謝』だということを知っているからな」
「……」

カミュの中では 既に、氷河との再会シーンのストーリーが決まっているらしい。
氷河が奢りで出すカクテルまで決まっているらしい。
予定と違うカクテルを出されたら、カミュは氷河に やり直しを命じるのだろうか。
これほどまでに、“恰好よく決める”ことに情熱を傾けているカミュなら、それくらいのことは平気でやりかねない――と、瞬は思った。
カミュの“恰好よい”と 一般的な“恰好よい”は違う――根本的に、本質的に違うのだ。

やり直しを命じてくれるなら、それでいい。
むしろ、歓迎する。
やり直しを命じられる場所にカミュが立ってくれるのなら、それ以上の贅沢は望まないと、血を吐く思いで、瞬は思ったのである。

「お願いです。カミュ先生。氷河のために、師の体面や男の沽券にこだわるのはやめてくださ――」
「瞬。君の これまでの助力には、心から感謝する。この先は、私一人の問題だ」
確かに 瞬がカミュの特訓に同伴しても、カミュが酒を飲めるようになるわけではない。
問題は、カミュ一人の中にある。
その解決方法も、カミュ一人の中にある。
舌や肝臓ではなく、彼の価値観の中に。

その事実に、カミュは気付いてくれたのだろうか? ――と、瞬は またしても甘い期待を抱いた。
抱いた期待を、すぐに自分で打ち消す。
水瓶座の黄金聖闘士が、そんなに素直で 物分かりのいい男であるはずがないのだ。
そして、案の定。

「これ以上、君に時間を割いてもらうわけにはいかない。以後、酒の特訓は、私が一人で取り組むことにする」
「私が一人で……って、でも――」
「次に私が君たちの前に姿を現わした時、私が君たちの味方なら、私が酒を飲めるようになった証。もし私が 君たちの敵だったなら、努力の甲斐なく、私は酒が飲めるようにならなかったのだと思ってくれ」
「そんなことで……カミュ!」
何を言っているのだ、この唐変木の、頓珍漢の、朴念仁の、すっとこどっこい!
――と、絶対にナターシャの前では言えない言葉を、瞬は 思わず 心の中で炸裂させた。
「さらばだ、瞬」

何よりも(彼独自の)恰好よさを追求するカミュが、オーダーしたカルピスサワーもそのままに、無駄に素早く(彼なりに恰好をつけて)その場から立ち去ってしまう。
常人の理解を超越しているカミュの振舞いのせいで 激しい目眩いに襲われ、瞬は彼を追いかけるどころか意識を保っているのが やっと。
たった今 この場で起こったことを理解しようと努め、それは常識ある人間には理解できないことなのだということを理解するのに、瞬は10分以上の時間を要した。
目の前には、カミュに置いてけぼりを食ったアルコール度数3度のカルピスサワーが、いかにも立場がないと言いたげな様子で鎮座ましましている。

カミュは、最後に何と言っていたか。
『次に私が君たちの前に姿を現わした時、私が君たちの味方なら、私が酒を飲めるようになった証。もし私が 君たちの敵だったなら、努力の甲斐なく、私は酒が飲めるようにならなかったのだと思ってくれ』
カミュがもし 敵として目の前に現われても、全く負ける気はしないが、瞬は それ以上に 彼に勝てる気がしなかったのである。
そもそも、これほど理屈の通じない相手と、いったい どうやって戦えばいいのか。
それが、瞬には わからなかった。

あのカミュと互角に戦うことができるのは、やはり氷河だけだろう。
しかし、瞬にとっては、それこそが最も避けたい事態。
カミュが(彼なりに格好よく)残していった宣戦布告を、氷河にどう伝えればいいのか――。

苦渋に満ちた面持ちで、(彼自身は恰好よく決めたつもりで)忽然と姿を消してしまったカミュ。
アルコール度数2.5度のシャンディ・ガフで気持ちが悪くなり、アルコール度数3度のカルピスサワーから逃げだすようなカミュが、アルコール度数24度のブランデー・フィックスを華麗に飲み干せる日が訪れる可能性は、2.5パーセントでもあるのだろうか。
瞬は、カミュとの再会の時が 恐くてならなかった。






Fin.






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