A4サイズのクリアポスターが4枚。
好んで見たいものではないので、いちばん下に置いて渡したのに、ナターシャは めざとく いちばん下にあったポスターのピンク色に気付き、それを いちばん上に置き直した。
色とりどりの花が咲く花畑の中に、ピンク色の聖衣をまとって 佇んでいるアンドロメダ座の聖闘士の写真。
それを若き日の瞬の姿と認めるや、ナターシャはリビングルームいっぱいに大きな歓声を響かせた。

「マーマ、可愛い!」
「言ったろ。アンドロメダ座は お姫様の星座だって。アンドロメダ聖衣の鎖はすごいんだぜ。時空どころか次元も超えるんだ。ナターシャが冬場にさくらんぼやブドウを食べたいって言えば、アンドロメダ聖衣のチェーンは 地球の裏側にでも南半球にでも飛んでいって、あっというまに さくらんぼを取ってきてくれるぞ」
「ほんと !? ナターシャ、さくらんぼ大好きダヨ!」
「星矢、聖衣のチェーンをそんなことに使うなんて……!」
地上の平和を守る戦いのためにある聖衣のチェーンの そんな使用方法を思いつく星矢に、瞬は つい本気で呆れてしまった。
すっかり その気になっているナターシャの方に、慌てて向き直る。

「ナターシャちゃん。アンドロメダ聖衣のチェーンは、地球の裏側から さくらんぼを取ってくることはできるけど、でも、チェーンはお代を払うことができないからね。さくらんぼは 6月くらいまで我慢して」
「ソッカー……アンドロメダのチェーンは お財布は持ってけないのカー」
子供の無邪気に大人が勝つことは難しいが、その分 子供は素直にできている。
ナターシャは、かなり残念そうにではあったが、瞬の説得を素直に聞き入れてくれた。

「でも、アンドロメダの聖衣、ピンクで可愛いネ。マーマにすごく似合ってるヨ!」
「そ……そう……?」
ナターシャに悪気はない。
ナターシャは褒めているつもりなのだと、瞬は必死に自分の心を なだめたのである。
無論、褒められているのだと 無理に思わなくても、実際に ナターシャは褒めてくれているのだが――それは わかるのだが――お花畑の中で にっこりしている若き日の自分の姿に、瞬は溜め息を禁じ得なかった。
『エリシオンの花園のイメージで』と、聖域を司る女神アテナにあるまじき沙織の発想に文句も言えず、顔で笑って 心で泣いてポスターのモデルを務めた若き日の自分が、瞬は悲しくてならなかった。

「特撮ヒーロードラマの宣伝ポスターの撮影だとか 何だとか、適当なことを言って、沙織さんは わざわざプロのカメラマンを雇ったんだよね。広告宣伝用だから、愛想よく にっこり笑えって注文つけられて、僕、ひどい目に会ったんだから。聖衣をまとった状態で横座りさせられて、そんな不自然な態勢で にっこりするなんて、何の拷問かと思ったよ。そもそも、聖衣をまとった聖闘士を撮影する場所が、どうしてお花畑なの。アンドロメダの聖衣だよ。宇宙をバックにするとかなら、わかるけど」
「宇宙より、お花畑の方がイイヨ! マーマ、本物のお姫様みたいダヨ。イイナー」
「……」
悪気のないナターシャを、まさか『こんな お姫様がいてたまるか!』と怒鳴りつけるわけにもいかない。
悪夢の写真撮影から十数年が経った今になって、またしても“顔で笑って 心で泣いて”を 強いられることになろうとは。
瞬の笑顔は、思い切り引きつっていた。

「パパはー?」
マーマの写真鑑賞が済んだら、次はパパ。
瞬は喜び勇んで、氷河の写真で自分の写真を隠した。
「氷河はキグナス。白鳥座の聖衣だよ」
氷河のポスターのバックは、お花畑ではなく、険しい氷壁である。
まだアンダーが青かった頃で、氷壁の白と青が鮮やかなコントラストを描いている。

ナターシャは、氷河の聖衣に関しても、金ぴかよりは青色の方が好きなようだった。
一見 クールな目付きでポーズを決めている若き日のパパの写真を ためつすがめつ眺めては、満面の笑みを浮かべる。
「パパ、カッコいい! でも、パパは白鳥座の聖闘士だったんでショ。どうしてアヒルさんを頭にのっけてるノ?」
「なに?」

地上世界に、無邪気な子供ほど恐いもの知らずな存在はない。
決して触れてはならない禁忌を いともたやすく言葉にしてしまうナターシャの恐るべき無邪気に、星矢と紫龍は息が止まってしまったのである。
これには、瞬も、つい自分の傷心を忘れてしまった。
さすがにナターシャを膝の上に座らせた状態で 絶対零度の凍気を生むようなことは 氷河もしなかったが、どうやら そのせいで氷河自身が凍りついてしまったらしい。
瞬は 慌てて氷河の解凍作業に取り掛かることになった。

「あ……それは、えーと、ほら。ナターシャちゃん、こないだ、みにくいアヒルの子の絵本を読んだでしょう?」
「ウン。小さな灰色のアヒルの子が、最後に大きくて真っ白で綺麗な白鳥さんになるんだヨネ! ソッカ、それでアヒルさんなんダー」
『違う!』と、力一杯 否定するわけにはいかない大人の つらさ。
ナターシャと瞬を責めないために、氷河は自身の怒りを別方向に向ける努力を始めることになった。

「そ……そういえば、俺もこの写真を撮るために ひどい目に会ったぞ。沙織さんが 求人ポスターの撮影を思いついたのが真夏で、シベリアも花の季節だったんだ。夏のシベリアでは氷の聖闘士のイメージに合わないというので、俺は あろうことか南極まで出向くことになった。上陸を許可されたのが、わちゃわちゃとペンギンが たむろしている場所で、ペンギンが写り込んでしまったというので、何度も撮り直し。この写真の隅にある灰色の影は、効果でも演出でもない、ペンギンの影だ」
「ははは」
おそらくは 場を和ませるために笑い声をあげたのだろう紫龍を、氷河が ぎろりと睨みつける。
ちょうどいい怒りのぶつけ場所を見付けたと言わんばかりに、氷河は元龍座の青銅聖闘士を大声で責め立て始めた。

「紫龍、貴様はいいぞ、貴様は! 真夏に避暑地の廬山に行って、廬山の大瀑布をバックに、マイナスイオンの中で快適に写真撮影。この手のことでは、どういうわけか、貴様だけが いつも いい目を見る! 理不尽だ!」
「俺に文句を言わないでくれ。俺だって、蛇踊りをバックに撮る話が出てたんだぞ。俺は、一般人が写り込む写真は 聖域の後方写真には不適切だろうと、沙織さんを懸命に説得して、撮影場所を廬山に変えてもらったんだ」
紫龍の言いたいことは、つまり、『おまえは、アテナ説得の努力をしたのか』ということである。
無論、氷河は そんな努力をしなかった。
努力したくても、代替案が思いつかなかったのだ。

「この時も、一輝はいつも通り、トンズラかましてくれたんだっけ」
星矢が 瞬の兄に言及したのは、氷河の怒りを この場にいない者に向けるためだったろう。
期待通り、氷河が すぐに乗ってくる。
「一輝の凶悪なツラが 人材募集の材料になるか! あいつのポスターなど ばら撒いたら、逆に人が逃げていくに決まっている!」
「そ……そんなことないよ!」
星矢の意図は わかっていたのだが、ここで 氷河に、『その通りだね』と同意してしまえないのが瞬の瞬たる ゆえん。
気持ちよく一輝の悪口を言っていたところに水を差されて むっとした氷河は、不快の念を隠す様子もなく、唇を への字に ひん曲げた。

氷河が瞬にバトルを仕掛けていくはずはないのだが――仕掛けていっても、勝てるはずがないのだが――“仲のいいパパとマーマ”、“強くてカッコいいパパ”というナターシャのイメージを壊さないために、紫龍は わざとらしいほど さりげなく話題を 瞬の兄の上から星矢の上へと移動させた。
「星矢は聖域か。いちばんの正統派だな」
「言っとくけど、俺だって苦労したんだぜ。あの頃は、今ほど CG技術も高度じゃなかったし、沙織さんは 張りぼてのペガサスを作って、その張りぼてと俺が並んでる写真を撮ろうとしたんだ。安っぽくて恥ずかしすぎるから、それだけは勘弁してくれって、俺は沙織さんに泣いて頼む羽目に陥ったんだ。ほんと、ひどい話だぜ!」
「それで結局 聖域で撮影することになったのなら いいじゃないか。どこだって、何だって、ペンギンが うじゃうじゃいる南極よりは はるかにましだ!」

星矢は、つらい目に会ったのは白鳥座の聖闘士だけではないと、暗に氷河に訴えたつもりだったのだが、氷河は 星矢の つらさをつらさとして認めてくれなかった。
避暑地の廬山は言うに及ばず、聖域も エリシオンもどきのお花畑も、ペンギンだらけの南極に比べれば天国のようなもの。
それは全くの事実だったので、星矢としても、
「それは そうなんだけどさあ……」
と頷くしかなかったのである。

どんなに不機嫌そうに見えても、喧嘩腰にしか見えなくても、それは強く深い信頼で結ばれた仲間同士の じゃれ合いなのだということが わかるらしいナターシャが、四人の青銅聖闘士の写真を眺めながら、
「楽しそうダネー」
と羨ましそうに呟く。

それが どんなものであっても決して捨てられない、それがどんなものであっても大切な――懐かしい思い出。
瞬が、
「ナターシャちゃんは毎日、氷河が写真を撮ってくれているでしょう? 今度、その中から お気に入りを選んで、ナターシャちゃんのポスターも作ろうね」
と提案したのは、いつか その写真を眺めながら 皆で思い出話を語り合う幸福な時間を持ちたいという思いからだった。
「ワーイ!」
瞬の素敵な提案に、ナターシャが明るく弾んだ喜びの声を上げる。
ナターシャが笑顔になったので、氷河も機嫌を直してくれたようだった。

そうして。
「しかし、本当に継承者が出てこないな……」
と、話は振りだしに戻るのである。
悪夢の写真撮影から十数年。聖域の人材不足は、今でも解消されていないのだ。






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