ナターシャが泣きやまなかったのは、事態の解決策が見いだせない状況では、あるいは幸いだったかもしれない。
ナターシャを笑顔にする術を見い出せない氷河と瞬を哀れんで(?)、ナターシャは泣き疲れ、そのまま 瞬の胸の中で眠ってくれたのだ。

ナターシャの傷だらけの心と身体を、リビングルームのソファに運び、瞬は長く深い息を洩らした。
つなぎめだらけでも――つなぎめだらけだからこそ――世界一可愛い娘。
彼女を幸せにするためになら、何でもできるのに――何でもしたいのに――何もできない哀れな両親。
ソファに腰を下ろさず、その場に立ったまま、ナターシャの頬の涙の跡を無言で見おろしている氷河に、意識して 音量を落とした声で 瞬は尋ねた。

「氷河、反省してる?」
「反省などしていない。俺は、自分の無力に腹が立つだけだ。だが……ナターシャは、結局は 自力で乗り越えなければならない」
理不尽で残酷すぎる運命。
だが、その理不尽で過酷な運命を乗り越えられるのは、ナターシャだけなのだ。
その運命は、ナターシャのものだから。
ナターシャのパパとマーマにできるのは、理不尽で過酷な運命に打ち勝たなければならないナターシャの手助けをすることだけ。
にもかかわらず、その手助けをするための力すらない自分自身に、氷河は腹が立っているらしい。
それは、瞬も同様だった。
瞬は、腹立ちより 悲しみの感情の方が強く大きかったが。

「うん……。僕たちは 無力だね。こんなに愛しているのに……」
愛だけでは 何もできない。
愛だけでは、ナターシャの悲しい運命を打ち砕いてやることはできない。
瞬は――氷河も――その冷酷な事実は知っている。
知っているからこそ腹立たしい。知っているからこそ悲しいのだ。

ナターシャのマーマは、ナターシャのために何ができるのか――できることはあるのか。
『マーマのように つなぎめのないナターシャになりたい』
ナターシャは、そう言って泣いていた。
瞬とて、できることなら、ナターシャと代わってやりたかったのである。
自分は つなぎめだらけになっても、つらくはないし、悲しくもないし、もし そうなっても 氷河の愛を疑うこともしないから。
代われるものなら、今すぐにでも。
その考えが、ふっと 瞬の脳裏を横切り――瞬は ためらうことなく、掛けていたソファから立ち上がった。

「氷河の朝食――。パンを……僕の部屋の方に置いたままだった」
『取ってくる』を省略して、氷河の顔を見ることもせず、瞬は氷河の部屋を出たのである。
そして、急ぎ足で、下の階の自分の部屋に向かった。






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