ここは氷河をけしかけて、以前にも増して 瞬と親密になってもらい、初恋の人に似ていても いなくても 氷河にとって瞬は大切な仲間なのだということを、瞬に知ってもらわなければならない。
そう考えた星矢が 次に向かったのは、理の当然で 氷河の部屋。
「おい、氷河! おまえ、おまえの初恋の人が瞬に似てるってんなら、もっと瞬と仲良くしてやれよ!」

ノックもせずに人の部屋に入り込み、『こんにちは』も言わずに 命令口調で そんなことを言ってくれた仲間に、氷河は 思い切り 胡散臭いものを見る目を向けてきた。
氷河は おそらく、星矢の無礼を、星矢以上の大声で 咎めようとして――だが、そうする前に 消沈したように溜め息を洩らす。
それから 彼は、
「俺だって、そうしたい……」
と呟いて、脇にあったスツールに力なく腰を下ろしてしまった。
その様を見て、星矢は、氷河と瞬が妙に よそよそしくなったのは、瞬が一方的に 殻に閉じこもっているからではなかったことを思い出したのである。
瞬を避けているのは、氷河も同じだったのだ。

あんなことを言っていたくせに、やはり 本当は 殺生谷でのことを根に持っていたのかと 星矢が氷河を問い詰めると、彼は そうではないと答えてきた。
「そんなことは どうでもいいんだ。一輝の幻魔拳ごときで、俺の記憶の中のマーマのイメージが壊れることはないし、あんなものは、瞬の綺麗な顔を見ているうちに3日で忘れた」
「なんだ。おまえ、瞬の顔を鎮静剤代わりにしてたのかよ? へー、そんな利用法もあるんだ。俺、瞬の顔を見ると 妙に興奮し始める男共ばっかり見てたから、瞬の顔に そういう効能があるとは思ってもいなかったぜ。ま、瞬は本来は 癒し系だよな。瞬を見て興奮するのは、普段 美少女を見慣れてなさそうな、気の毒な野郎ばっかだ」

大いに納得してから、自分は 瞬の顔の効能について話し合うために ここに来たのではないことを思い出す。
星矢は納得するのを中断して、再度 氷河を責め、焚き付け始めた。
「せっかく、そんなに いい薬が身近にあるんだから、もっと有効利用しろよ! 瞬は おまえの初恋の人に似てるんだろ。そこを 瞬にもっと強調してさ!」

それで、瞬の手は綺麗なままだと、瞬の手は優しいと、瞬に訴え続ければ、瞬の気持ちも少しは慰められるかもしれない。
戦いを知らない一般人には ともかく、共に戦う仲間には、瞬の手は綺麗なまま。
それでいいではないか。
それでいいと、星矢は瞬に思ってもらいたかったのだが。
氷河が瞬を避けている理由は――氷河が瞬を避けている理由も――実は瞬の初恋の人のあったようだった。

「瞬の初恋の人というのが――」
言いかけて、氷河が 氷河らしくなく、言葉を途切らせる。
星矢が眉根を寄せると、氷河は かなり投げやりな口調で、彼の事情を語り始めた。
「瞬の初恋の人というのが 気になって、腹立たしくて、瞬と一緒にいると、瞬を怒鳴りつけたくなるんだ」
「へ?」

それは、いったい どういう心理なのだろう。
“気になる”は ともかく、“腹立たしい”というのは。
“気になる”か“気にならない”かということに関してなら、それは星矢とて“気にな”った。
主に、瞬の初恋の人は 瞬の隣りに並んで立っても見劣りしないほどの美少女なのかどうかという点に関して。
もちろん 瞬は、外見より内面重視。
優しい心を持ち、地上の平和を守るために戦いたいという瞬の考えに理解を示し 共感してくれる人であれば、見た目の美醜には さほど こだわらないだろう。
そもそも あの瞬が 恋の相手に 自分以上の容姿を求めていたら、瞬は ほぼ一生 恋はできないに決まっている――とも思う。

そんなふうに、星矢とて、瞬の初恋の相手のことは気になっていた。
気には なっている。
気にはなるが、腹立たしさは感じない。
そんなものを、なぜ どうして感じなければならないのだ。
星矢は、氷河の思考――あるいは、それは感情なのか――が、まるで理解できなかった。
しかし、氷河は瞬の初恋の相手が“気にな”って、かつ“腹立たしい”らしい。

「瞬が“誰よりも強い”と考える相手というと、一輝か沙織さんくらいしか思い浮かばない。だが、あの二人は 瞬の恋の相手にはなり得ないだろう。瞬のことだから、“強い”というのも戦闘力や小宇宙には関わりのない、心根のことだという可能性が大きい」
「ああ。うん、俺も そう思うぜ。瞬のことだから、“誰より強い”ってのは、誰かのために 自分の命を投げ出すことができるくらいの気概があるとか、そういうことなんだろうって。“優しい”ってのも、多分、そんな意味だろうな」

それを とても瞬らしい考え方だと思うし、瞬が心惹かれる相手なら、そういう人間に違いないとも思う。
それで 何の問題があるというのか。
星矢は、まだ その疑念を言葉にしていなかったのだが、星矢が その疑念を氷河に投げる前に、氷河は その答えを星矢に叩きつけてきた。
「つまり、瞬の初恋の人というのは、俺とは似ても似つかぬ立派な人格者だということだ!」
「はあ !? 」

本当に、氷河は何を言っているのだろう。
瞬の初恋の人が、氷河に似ているはずがないではないか。
似ている必要もない。
だが、氷河の腹立たしさの原因は、どうやら それであるらしかった。
自分が瞬の初恋の人に似ていないこと。
それは、いっそ、“瞬の初恋の人が自分に似ていないこと”と言い換えてもいいのかもしれない。
氷河は、瞬の好みが まともなことに腹を立てているのだ。

「俺は……殺生谷以前も 殺生谷後も、いや、瞬がアンドロメダ島に送られる以前も、再会してからも、瞬は俺を好きでいてくれるんだと誤解していたんだ。瞬は いつも 俺のことを気に掛けていてくれたし、優しかったし、一緒にいることも多かった」
「それは別に誤解じゃないだろ。瞬は、実際 おまえを好きでいると思うぞ。ま、瞬が ガキの頃、おまえのことを気に掛けてたのは、おまえが みんなの中で浮きまくってたっていうか、外れてたっていうか、心配してたからだったろうけど」
「……」

幼い頃の自分が皆から浮きまくっていたという自覚もなかったらしく、氷河が 暫時 珍妙な顔になる。
氷河は 反駁に及ぼうとしたようだったが、最終的に、彼は そうすることを断念したようだった。
代わりに、
「瞬の初恋の人というのは、どこの誰なんだ……」
と、低く呻く。

『んなこと、俺が知るかよ!』と胸中で毒づいてから、星矢は気付いたのである。
つまり 氷河は――自分が瞬の初恋の人に似ていないことに腹を立てている。
自分が氷河の初恋の人に似ていないことを、瞬が悲しんでいるように。
同じ理由で、二人は互いを避けているのだ。
その事実は わかったが――なぜ そうなるのかが、星矢には やはり どうしても理解できなかった。






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