「瞬!」
星矢と紫龍が瞬の居室に飛び込むと、右にパンドラ、左に女官長を従えた瞬は、庭に向かって大きく開いた窓から見える薔薇園の惨憺たる ありさまに呆然としていた。
昨夜 氷河が降らせた雹のせいで、今を盛りと咲き誇っていた薔薇の花がすべて 死にかけていたのだ。
何が起こったのか わからず、だが、こんなことができるのは氷の国の王しかいないことだけは わかっているので、瞬は混乱しているらしい。

何が起こったのか、なぜ こんなことになったのかを 順を追って ゆっくり説明している暇はない。
星矢は、王妃の私室に許可なく飛び込んできた若い男たちを咎めようとした女官長を振り切って、瞬に向かった大音声を響かせた。
「瞬! 氷河は おまえのことが好きなんだ! おまえに初めて会った時、一目で恋に落ちたって、氷河は言ってた!」
「え……」

「振りではなく、本当の恋人同士や夫婦がするようなことを おまえとしたいのだが、そんなことをしたら、おまえに嫌われてしまうのではないかと、そうなることを恐れて、氷河は おまえを避けているんだ」
星矢よりは落ち着いた声で 核心部分に言及してから、紫龍は、それがどういうことなのかが、瞬に理解できるのかと、少々 不安を覚えることになったのである。
そこから説明が必要となると、女性陣には席を外してもらわなければならないと、彼は思った。
が、おそらく 瞬は、自分が氷河サマと一生を共にすることはできないと知らされた時、なぜ それが叶わないのか、説明を受けていたのだろう。
幸い 紫龍は、そこまで説明せずに済んだ。

瞬が、
「それは本当でしょうか。氷河様が、僕を――」
星矢に問うてくる。
「本当だ」
星矢は即答。
更に、
「おまえも、ほんとは 氷河を思い切れてないんだろ」
という確認事項が付される。

「あの……そういうことが本当にできるんですか」
次に、瞬が尋ねたのは紫龍。
「できないことはない」
紫龍の答えの内容は曖昧なものだったが、やはり即答。

世界を滅ぼす力を持つ、氷の国の王。
時季外れの雹。
雹の冷たさのせいで、弱り 死にかけている薔薇園の薔薇たち。
なぜ こんなことが起きたのか。
こんなことができるのは、氷の国の王以外にいない。

沈んでいる表情を女官長に見せぬために着用していた白く薄いヴェールを、瞬は その手で取り除いた。
瞬は、星矢と紫龍の言葉を正しく理解できている目をしていた。
「氷河様が、それをお望みなんですか。本当に?」
「滅茶苦茶 お望みなんだよ」
「瞬。今ならまだ間に合う。氷河と この世界を救ってくれ!」

星矢と紫龍の言わんとすることと 二人の希望を正しく理解した瞬は、そして、決意してくれたようだった。
瞬の横に ぽかんと突っ立っているパンドラに、瞬は告げた。
「パンドラ。あなたは兄さんのところに帰りなさい」
「瞬様。ですが……」
「星矢、紫龍。氷河様は、今どこ」
「え? あ、確か今日は――」
「都の東を流れている川に架かっている橋の架け替え工事の視察に出掛ける予定になっていたが――」

紫龍の返事を最後まで聞かず、瞬はレースのヴェールを翻して、駆け出した。
「おっしゃあ! これで世界は救われた!」
王妃の居室と寝室は、王城の2階、最も奥まった場所にある。
瞬は階段を すべるように駆け下り、正門に続く長い廊下を 風のように駆け抜けた。
宝石で肩に留められている長いヴェールが 床につかない。
瞬は 本当に風のようだった。

星矢と紫龍が 瞬の後に続き、かなり 遅れてパンドラと女官長が 彼女たちの主人を追いかける。
エントランスホールに出ると、そこから中央門に続く柱廊。
その柱廊の終わった先の内庭で、氷河は、ちょうど引き出されてきた馬に乗ろうとしているところだった。
内庭には、城の衛兵や 氷河の視察に同道するする兵たちが30名前後、控えている。
整列して 王の騎馬を待っている彼等は皆、昨夜の雹のこともあって、ある者は不安の、ある者は不信の目を、氷河の上に注いでいた。
内庭には、到底 穏やかとは言い難い空気が充満していた。
その不穏な空気を感じているのだろう。
氷河の顔は固く強張っていた。

そんな中に 突然 吹き込んでいた一陣の白い風。
その風は、居並ぶ兵たちの目の前を駆け抜け、まっすぐに氷河に向かい、両手をのばし、氷河の首に飛びついていった。
そして、
「氷河様! 僕と 本当の恋人同士がするようなことを しましょう!」
と叫ぶ。

「なに !? 」
自分の身に何が起こったのか、氷河は わかっていないようだった。
王の騎馬を待って その場に整列していた兵たちは なおさら。
氷の国の王の身に何が起こったのかを、氷河と氷の国の兵たち知らせてくれたのは、星矢たちに かなり遅れて やっとその場に到着し、氷河の首に しがみついている瞬の姿を見た女官長の、
「王妃様! なんて はしたない!」
という非難の雄叫びだった。

「王妃様 !? 」
「王妃様って、あれが !? 」
「見たか?」
「見た。結構な美少女だったような……」
「いや、間違いなく、とんでもない美少女だった」
「誰だよ。王妃の顔は、牛蛙の顔を 一度 押し潰してから、引き伸ばしたような顔だなんて言ったのは!」
「俺は、女装したヘラクレスそのものだって聞いてたぞ。どんな男も、まず太刀打ちできないだろうって」
「俺も。正直、雹が降っても仕方ないと思って、陛下に同情してたんだが……」
「王妃様、本当の恋人同士がするようなことを しようとか言ってなかったか」
「てことは、夕べ 雹が降ったのは、ヘラクレス相手にデキなかったからじゃなく、美人の奥方に させてもらえずにいたからか」
「そりゃあ、雹も降るわな」

滅多にない椿事に、軍規軍律を忘れた兵たちが 好き勝手なことを言い立て、騒ぎ始める。
その無規律に慌てて 真っ青になった女官長は、だが、すぐに怒りで顔を真っ赤に変色させた。
「氷の国の王の妃ともあろう方が、このような下品な者たちの前に お顔を さらしてはなりません! お部屋に お戻りください!」
自らの任務に燃えている女官長が、恐れる様子もなく、情け容赦もなく、氷の国の王と王妃の抱擁を 力づくで引きほどく。
彼女は、それで 下品な者たちも少しは静かになるだろうと考えていたのだろうが、彼女のしたことは、彼女の期待とは全く逆の結果を その場にもたらした。
氷河の首と肩に押しつけられていた瞬の顔が、王から引き剥がされ、その場にいる者たちにも王妃の顔が目視できるようになったことで、“下品な者たち”は一層 盛り上がってしまったのだ。

「美少女! 間違いなく美少女!」
「しかし、これは 男には腰が引けるぞ。見るからに清らかそうで、コトに及ぶのは、何か悪いことをしてる気分になりそうだ。ヘラクレスより 畏れ多い」
「それはそうだが、ヘラクレスよりは恐くないだろう」
「いや、これは どっちもどっちだ」
任務に燃える女官長のせいで、結局 内庭は蜂の巣を突いたような大騒ぎになり、それは、氷河が、
「今日の視察は 取りやめる」
と宣言するに及んで 最高潮に達した。

王夫妻を下品な者たちの好奇の目から隠そうとする女官長と、兵たちの、
「陛下、頑張ってください!」
の声に 後押しされて、氷河と瞬が城内に戻った後も しばらく、氷の国の王城の内庭では、
「陛下、万歳!」
の声が響いていた。



それから 氷河と瞬がどうなったのかは、あまり重要なことではありません。
今も世界は滅びずに存在し、そこには多くの人間が生きているという事実こそが大事で重要。
ちなみに、パンドラは、彼女に課せられていた任務の遂行を断念し、一人で 炎の国に帰ったそうです。






Fin.






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